BUMPの才悩人応援歌に学ぶ人生学
世の中の大半は”凡人”と呼ばれます。
もちろん僕も凡人です。
しかし、ほんの一握りの”天才”と呼ばれる存在がいることもまた事実です。
上には上がいる、それが世の常。
それを受け止めた上で、背中を押してくれる曲がBUMPの「才悩人応援歌」。
このnoteで伝えたいことは、
✅才能のある人と自分を比較して苦しむ必要はない
✅だって自分は唯一無二の存在だから
✅「がんばれ!」の言葉に変わる応援歌
です。
■才悩人応援歌の歌詞を紐解く
得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは
それを自分より 得意な誰かが居たから
ずっと前から解ってた 自分のための世界じゃない
問題無いでしょう 一人くらい 寝てたって
幼いころは得意だと思っていたこと。関係する人間が増えていくにつれ、自分の立ち位置(順位)が下がってきてしまい、自信を失ってしまう。あなたもそんな経験がありませんか?
僕自身、小学生の頃は学年で一、二を争うくらい足が速かったのですが、中学校に上がったら全然大したことなくて、いつしか「自分は足が速いんだ!」という自信はきれいさっぱりなくなっていました。
自分のための世界じゃない。(=自分が世界の主役ではない)そんな当たり前のことは分かっている。
だったら自分一人くらい寝てたって、さぼってたって問題ないでしょう?こんな思いを抱えながらも生きている人も多いのが現実です。
生活は平凡です 平凡でも困難です
星の隅で 継続中です
声援なんて皆無です 脚光なんて尚更です
期待される様な 命じゃない
唇から 零れ落ちた ラララ
ほんの少しだけ 大気を揺らした ラララ
とても 小さな声 唯一人が聴いた唄 ラララ
平凡な生活を送るためにも必死にもがかなければならなくて。
声援をもらうことはもちろん、脚光を浴びることなんてまったくなくて。
周囲からの期待など感じられることもなく、それでも生きている。
そんな心の声を漏らしてみても、聴こえているのは自分だけ。
大切な夢があった事 今じゃもう忘れたいのは
それを本当に叶えても 金にならないから
痛いって程解ってた 自分のためのあなたじゃない
問題無いでしょう 一人くらい 消えたって
昔は大切な夢があったけれど、今はもう追いかけていない。
生きていくために、暮らしを守るために、諦めざるを得なかった夢。
いっそのこと忘れてしまいたい夢。
”あなた”は私のためにいるわけではないし、私の存在などその他大勢の中の一人でしかない。
消えたって困ることはないでしょう?
自分の存在に価値を感じられず、ネガティブな気持ちの加速が止められない様子です。
ファンだったミュージシャン 新譜 暇潰し
売れてからは もうどうでもいい
はいはい全部綺麗事 こんなの信じてたなんて
死にたくなるよ なるだけだけど
その喉から 溢れ出した ラララ
ほんの少しだけ 温度を上げた ラララ
とても 短い距離 その耳まで泳ぐ唄 ラララ
ファンだったミュージシャンも、売れてから、つまり”才能人”側にいってしまってからは興味を無くしてしまった。
売れ始めて大衆に向けられるようになった歌詞は綺麗ごとに聴こえてしまって魅力を感じない。こんなものを信じていた自分にも嫌気がさし、「死にたい」という感情まで出てきてしまう。けど行動に移すことはできずに、何となく生きているような感覚。
一番の歌詞と違うのは、漏れ出した心の声が少し熱を帯びていること。葛藤する中で、新たな気持ちが芽生えようとしている描写になっています。
隣人は立派 将来有望 才能人
そんな奴がさぁ 頑張れってさぁ
怠けて見えたかい そう聞いたら頷くかい
死にたくなるよ 生きていたいよ
身近なところには才能に溢れ、将来有望な人物もいる。
そんな人が気軽に「頑張れ」なんて声をかけてくる。
向こうには悪気がないのでしょう。でも、「俺はもう頑張ってんだよ!」と叫びたくもなる。
自分はこんなに頑張って、もがいてもがいて必死で生きているのに、周囲から見たら怠けて見えるのか?いっそのこと死にたいという気持ちも溢れてくる。
でも、やはり、自分は生きていたいんだ。
世界のための自分じゃない 誰かのための自分じゃない
得意な事があった事 大切な夢があった事
僕らは皆解ってた 自分のために歌われた唄など無い
問題無いでしょう
唇から 零れ落ちた ラララ
その喉から 溢れ出した ラララ
とても 愛しい距離 その耳だけ目指す唄 ラララ
僕が歌う 僕のための ラララ
君が歌う 君のための ラララ
いつか 大きな声 唯一人のための唄 ラララ
自分の存在は、世界のためでも、誰かのためでもない。
自分は”自分のため”に生きている。
得意なことがあったことも、大切な夢があったことも、今の自分を作る要素で、今は無くしてしまったからといって決して無駄なものではない。
自分のために歌われた歌なんてない。
でも、問題ないでしょう?
自分のための歌は自分で歌えばよい
君のための歌は君が歌えばよい
のだから。
”自分のために”自分ができる精一杯で生きていくのはとても美しいことで、誰かの人生や能力と比べて価値が決まるものではないんです。
■まとめ
「がんばれ!」っていう言葉自体、嫌いじゃないですし、普段使うこともあります。
しかし、本当に目一杯 頑張っていて、苦しいくらいに限界が見えている人にとって、このワードはプレッシャーにしかなりませんよね。
頑張る とか 努力する とかって、他人の物差しで測られるものではないんです。正確には、皆持っている物差しの長さが違うのだから、”頑張り度合い”を比べて評価すること自体が無意味。
腕立て伏せ10回できました!という人がいたとします。
500回できる人の物差しで見たら、確かに大したことではないかもしれません。
でも、「昨日まで9回しかできなかった人が、今日は10回できました」だったら?
その人は昨日より成長していますよね。
自分が「頑張った、やり切った」と思えるポイントまで行動できればそれでいいと思いませんか?
どんなに小さなことだとしても、他人と比べたら些細なことだとしても、自分自身に誇れるものがあれば、それだけで生きていく理由になります。
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