台所男子を育てるには、かあさんの人間力がいると思い知る。
小学生男子。まだ家庭科は始まらないが、料理をしたいと。興味ありなのか。もしかしたら、何か一緒にしたいけれど、よく遊び方が分からないかあさんだから、もしや料理なら一緒にかあさんと何か出来るかもしれないという期待に満ちた空気も感じます。
良く言われるんです。「一緒になんかしたい。」と。なんかと言われても困ってしまう。遊び下手なんです。そんなこと言ってくれるのはとても嬉しいのですが、形に出来ないジレンマ。
その時、息子に教わりました。その興味がわくわくするものになるか、更なる興味を持てるようになるかは、手助けするこちらにかかっていると。
つくづく反省。
やりたい→やってみる→うまくできない
この<うまくできない>からが、正念場。目の前で起きている今こそが、そっと見守るときですよといろんな方が話されていたな、そういえば本にも書いてあったな。仏の心になりなさいなと自分に唱えてみるが、そんな上手くはいかないです。
気づくと、やってあげると手が出てしまうし、あっ!あっ!あぶない!と声がでてしまう。ちょっと切り傷するぐらいなら、ちょっと火傷するぐらいなら、失敗してから学べることがあると思ってるのですが。自分もそうしてもらっていたな。
それなのに、目の前にするとそんな思いはどこへやら。時間がない早くご飯を作らねばならぬや、頭に仕事が残っている焦りだけでなく、そうはいってもめっちゃ手を切ったらどうしよう、服に火がついたらどうしようなどの妄想心配も出てきたり、こちらの心の余裕次第で変わるもんだから、息子もそりゃ大変そうです。
そんな状況の中でも、息子も大変そうだと思えるのは、そんなかあさんに対しても、息子の切返しが紳士的だったから。ちょっと前だったら、かあさんに反応して、もうやらない、プイってあっちむいてしまい、お互いにプリプリ星人になっていたのに、この頃は、
「待って、待って、やりたいからちょっと見ててほしい」
「気をつけるから、大丈夫、分かっているから」
「教えてほしいんだよ」「こうしたらいいの?」
など、大変冷静に切り返しをしてくる。そうなると、こちらも、うっ、、うん。見てるからどうぞ。とならざる得ない。見守らざる得ない。
やっぱり、子育てではないのかもしれない。親育てなんだな。今日も、子どもから教わり育つ。
いつもお世話になっております。このかあさんを選んでいただき本当にありがたいです。未熟者ですが、甘えに走らず、反省を振り返り、次に活かせるよう人間力を磨いていきたいです。