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あたりまえは、あたりまえではない。温室育ちにしがちで反省。


小学生になる息子とは、出会ってから何年ものお付き合いをしているわけなのですが、当たり前は当たり前ではないことをいまだ教わります。

つい最近では、部屋着のタンクトップの背中が、ちょっとではすまない大きさでびりっと破れていた。でも、本人は言われて、脱いでみて、え〜!!っと気づく。そういえば、さっきドアの取っ手に引っかかった気がするけどさ、こんなに〜!!まさか!!だそうだ。

ここまで、破れるには、それ相応のビリッというような音がしたんじゃないかと思うのだけれど、もしかしたら、洋服がビリッと破れる音を聞いたことがなくて、ビリって音がした=破れちゃったの図式自体がないのかもしれないと思いました。

というのも、さらにそのちょっと前に、トマトの件があったのです。パクっと食べやすいし、切らずにすぐに食べられるしと、子どもが産まれてからミニトマトが主流な我が家に、あの日は、ミディトマトが丸ごと登場した。

大玉トマトよりも小さいからカットしていなくて、ミニトマトよりも大きくて一口では食べられないなと感じるサイズ。すると、見たことない、体験したことないトマトのサイズ感に、どう食べるの?と。

この、どう食べるの?に、なるほどそうか、普段見ているトマトだけれども、普段とは違う形状に出会うと不思議に思うものなんだと驚いた。

かぶりついてくださいな。と伝えると、かぶりつくという行動は分かっているようだった。この時、好きなように食べてみてと伝えたらどうなっていたのだろう。トマトの丸かじりは初でもないような気もするけれど、かぶりつき慣れていないから、汁もボトボト。そうか食べ方も慣れなんだよな。当たり前のことも、意外と直面しないと気づけない。

この立て続けの2つの出来事は、ほ~っと考えさせられるものがありました。こんな風に育ってほしいとなんとなくイメージしていたよりも、結構ぬくぬくで、手出し口出ししながら育ててしまっているのかと。また結構ルーティーンな生活をしてしまっていないかと。That's 温室育ち。

やってみなければ、わからない。わからないけど、やってみる。の行動になるには、

やってみなければ、わからないから、やってみたの土台が、まず必要なのでした。

これって、色々なところで、たくさんの人が説かれている。変わらない本質なんだな。まず日々の生活の中で、大切にしていこう。

やはり、頭ではわかっちゃいるのだけれど、、、自分が経験しないと腹落ちしていないんだな。腹落ちしてから、やっと本質に向き合って焦る。目の前の赤ちゃんが少年になっている。焦らずいくしかない。と言いながら、めっちゃ焦る。

何年おつきあいしても学び多くて。今日も、子に教わり育つ日々。毎度お世話になりありがたいでございます。



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