後追いトイレは語り場となり、貴重な時間だった。
赤ちゃんの頃、後追いでトレイについてきた。それも可愛かった。
そんなものだと過ごしていたからか、ハイハイの時期を超えても、ある程度の年を重ねても、貴重なコミュニケーションの場として後追いトイレは続きました。
共働きのフルタイムということもあり、1日の中で子どもと一緒に過ごせる時間は少ないので、過ごす時間の質をどれだけあげられるかが、勝負どころ。
朝起きて、保育園や学校に行くまでの1時間と、迎えに行って寝るまでの2時間の計3時間ほどの一緒に過ごせる時間があるかどうかの日々。
その3時間でさえ、その間にご飯作ったり、準備したり、洗濯したり、なんやかんやするので、ゆっくり座って向き合う時間は極少となる。
あれっ、今日息子とまともに何話したっけなんてこともありました。
となると、トイレ時間も貴重な会話タイム。
いつのまにか、トイレに入れば扉越しから話かけてくるのが日常の風景だった。
あれっ、今日はどうした来ないのかい?おーい何しているの話そうよー。今日何したのーと、こちらが呼びかけてしまうこともあったり。
そのタイミングでなら、かあさんが上の空ではなく話を聞いてくれているように、むすこは感じていたのかもしれない。
トイレの時には、会話の返しがまともに感じられていたのかもしれない。というか、その時ぐらい話をちゃんと聞いてくれよと思って話してくれていたのかもしれない。
時には、扉越しに顔を見ずに話すということが、気楽に話のはきだしやすさもあったのかな。幼心の素直な気持ちもよく聞かせてくれた。
働き方をかえたこともあり、むすこも更に歳を重ねたこともあり、いつのまにやらその日常風景はなくなりつつあり。
あの時は、むすことの時間の取り方に、そんな日々に悶々とすることもあったけれど、悩んでいたけれど、振り返れば、その時なりに出来ることをしようと、それなりにしていたのだと思えてきた。
それが我が家スタイルと。
あの頃のこともそれなりに良かったと思えるように、あれは全力だったと思えるように、今日を大事にしていこーっと。
そうだ、保育園の送り迎えの自転車時間も貴重な会話タイムでした。保育園時代で一番好きだったなあの時間が。
ビュンビュン走りながらも、わ~!きゃ~!見て見て!と話したり、歌ったり。
今でも、歌いながら自転車乗って送り迎えしている親子を見かけると、こちらまで嬉しくなってしまいます。
みんなが、それぞれに一生懸命。
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