色んな立場の人と対話をすることの重要性について
昨日、教室のえんがわに初めて参加させていただきました。
「公立小学校の良いところ・良くないところ」
最近の私の大きなテーマです!!
学校に対する不満をnoteに書いていますが、最近は良いところも見えてきているので、参加しないわけにはいきません!
中学生、学校の先生、保護者、一般人、幼児教育専門の方色んな立場の人が、ひでこやさんの準備したテーマに沿ってそれぞれの想いを言ったり、聞いたりする会です。
ここに中学生が参加してくれたことを、本当にうれしく思います。
注意しなければいけないのは、全中学生代表じゃないのよ!(ちょっと参加しただけなのに代表とか重すぎる)中学生が全員そう思っているという捉え方ではなく、「中学生である子供の意見」の中の1つです。同じ子共でも日にちが変わったら違う見方もしてるかもしれないですよ!!
あの子が参加してくれなかったら子供の意見1つすら拾えないので、やっぱり貴重です。
嘘も忖度もありません。
討論ではありません。
優劣もないです。
論破とかいりません。
結論もないです。
対話して、それぞれの意見を交換する会。
オンラインですので、直接の知り合いよりも利害関係が少ないから率直に話せるのかもしれません。誰かに話して聞いてもらうっていう行為も、相手の話をきいて自分に生まれる感情をキャッチするのもなんだか不思議で、すごく楽しい時間でした。
民主主義ってこういうことだと感じました。
これから前例だけには頼れない新しい時代に突入です。多様性の時代だからどんな条件の相手であっても対話が重要になると思います。
誰かに決められたことを一方的に聞くっていうのは民主主義じゃないよね。
選挙で選んでるとか言うけど、多分出来ないだろう約束を一方的に話してる人の中からマシなのを選んでいるだけで、結局は私の意見なんて届いてるわけないと感じるのは、本当はその人がどういう考えの持ち主なのかを知ることがないからです。
この会に参加する数日前にテレビで「専門家×市民」っていう番組を見たんだけど、番組の終わりに専門家の人が「知っているつもりだったけど、改めて色々と気付かされました」と話していました。見ていた私は、参加されていた市民の方が感じる問題を気付いてもなかったことに驚いたし、専門家の人達の考えの深さに敬意を抱きました。専門家も、市民も、視聴者の私も、見えていないことがあったのです。
たまに、「そうじゃないんだよ!!」みたいな政策がありますが、どんなに賢くても、色んな視点で見てるつもりになっていても、当事者じゃないと気付かないことが必ずあるから、何を希望していて、どう変えてほしいのか細かいところまでは全て把握できないんだと思います。これからの多様な時代にはそれぞれの立場の人が自分で深く考えて主張しないと誰にも気付かれずに埋もれていくんじゃないかなと感じています。ワガママを通すのではなく、陳情でもなく、何ていうのかわからないけど・・・。
例えば、先生と生徒、保護者と管理職の人、政治家と市民と官僚、開発者と営業、上下関係も利害関係もない状態で、年代や立場の違う人とフラットに意見を交換出来たら、どんな人でも必ず新しい発見があると思います。
この発見をしようとする作業がとても大事!!
本当にフラットな気持ちで話すために直接日常では関係ない人の方が良いと思うんだけど、オンラインだったら簡単に出来るじゃん!!検索サイトを使って一生懸命ひとりで情報を集めるのも良いけど、オンラインで誰かと対話をすることによって、より深く幅広い情報を得ることができるような気がしました。noteも対話に近くて、いろんな方とフラットに関係を構築できているなと感じています。オンラインだけどリアルなんです。
前にも書いたことありましたね ↓↓
そもそもだけど、何かを決めるまでのプロセスに対話はセットなんじゃない??多数決って話し合った後の最終手段で、思い通りになってもならなくても、ちゃんと対話を通していたら納得できると思うんです。
無理やり押し付けないで!!
それは単なる「あなたのワガママ」だから。
自分の意見を理解してもらうためには、相手が誰であっても、自分の意見を冷静に伝えることが出来る状態まで考える、そして色んな視点の意見も聞いてみる、聞いたうえで自分が感じることをキャッチして、さらに考える。この繰り返しです。
なるべく対等になれるように相手との状態を考慮する必要はあります。
私が自分の子供にしてしまうのですが、子供に理詰めすることは対等じゃないですよね。(自分の子供と冷静に話すことは出来ますが、どうしても親として伝えなければいけないときがありますので、この先もフラットになれる気がしないです。ごめんなさい。)
もう現代は、どれが偉いとか、良いとかそういうのじゃないよ。
老若男女ジェンダーレスの人たちも
国籍も、条件は何も問わず
みんなおなじ人間。
苫野一徳さんの「自由の相互承認」の考え方がすごく胸に刺さる日でした。
決して相手を否定するわけではない。もちろん意見が反対になるときはあるけれど、自分のために、相手のために、何かをより良くするために話して、お互いの自由を認めあえるものが見つかれば、なんだか人間らしいです。
学校教育では教わらないけど、大人がやってたら子供も真似をすると考えています。この記事を読んでくださっているみなさんも1度なにかで対話を実践してみてくれたら嬉しいな。
昨日の今日で、まだ興奮冷めやらぬ朝でした。