指導者の功罪
いきなりですが、僕はスポーツが苦手です。
泳げない、踊れない、走れない、投げられない。
スポーツは万能に苦手と言っても過言ではないと思います。
学校の体育ではいつもチーム分けで最後まで残り、ジャンケンに負けて僕を引き取らざるを得なくなったチームのキャプテンが泣き出したこともあります。(笑)
体育は振り幅がありますが、九分9厘嫌いでした。運動会も地獄でしたねぇ…。他にも英語や音楽や数学はとても苦手です。スキー、マラソン、ボクシング、サッカーも苦手です。
この苦手(嫌い)になったもの全ての共通点は、指導者が酷かったの一語に尽きます。
怒鳴る、殴る、横柄、一方的、段階を踏めない、できないことに怒りしかぶつけられないなど。暴力は論外ですし、とても指導者として「向かない」としか言いようがないですね。
最初に教わる先生、指導者という存在は大きいもので、そのジャンルに対するイメージが一気に決まってしまいます。
ちょっと前のアイドルグループが言った言葉で「私のことが嫌いでも○○は嫌いにならないで」というものがありましたが、僕はその精神で指導にあたることにしています。
お互いがどう努力をしたところで、人間ですからね。
相性的な部分はどうしても出てきてしまいます。そこで勝手に「厳しいかな」と見切りをつけたとしても、相手がジャンルごと嫌になるほどの対応は、やはりするべきではないです。
逆に、どんなに相手にとってそのジャンルに苦手意識があっても、時間をかけてしっかりと信頼関係構築できさえすれば、指導者次第でどんどん伸びるでしょうし、何よりもそのジャンルが好きになってくれます。
人間って鏡みたいなものなので、相乗効果はいい意味で見込めるようになると思います。
よく気が合う人は「息が合う」と言いますが、呼吸を合わせる、ペースを合わせることである程度のいいリズムがつかめます。
天気の良い日に「いい天気ですね」「ちょっと寒くなってきましたね」など、万人に「そうですね」という返事が引き出せるような言葉をつなげるのも良いと思います。
人間は素直さが何においても最短距離です。
教えてやってる、私の知識は豊富だ、俺はすごいんだ、言うことを聞け!…そういう我の強さは相手に伝わります。
責任感と寄り添う気持ちを持って、指導にあたりたいものです。