【保存版】「困難ケースの支援の仕方」
どーもカイゾウ(@kaizo777)です。
今回は「困難ケースの支援の仕方」について書いてみたいと思います。昨日に引き続いてのお話になります。
もし昨日の記事を読んでいないという方は合わせて読んで頂けると嬉しいです。
先にお伝えしておきたいのは、私自身「困難ケース」という言葉は好きではありません。その理由も前回の記事に書いていますが、「困難」という枠を作っているのは支援する側だからです。
ただ、一言で多くの方に伝わりやすいという「浅い言葉」なので使わせて頂きます。ご容赦ください。
では本題に入る前に
この記事は
・(新人)ケアマネさん
・地域包括支援センター職員さん
・介護従事者さん
の参考になるように書いていきます。
「困難」と呼ばれている理由を考える
そもそもなぜ「困難」と言われているのか。ここをしっかりと把握する必要があります。
度々お伝えしているように「困難」とは主観でしかありません。支援する側の誰かが「困難」と感じたからそう広まっているだけで、その根本を理解しないとただ「感情」で利用者を見てしまうことになり兼ねません。
なので、しっかりと「困難」について理解する。
例えば「ゴミ屋敷」と呼ばれる利用者宅があったとします。近隣にまで有名な家だったりも…。
ここでしっかりと整理したいのが、そのゴミが近隣の住民の方等に迷惑となっているのか。はたまた家の中だけで周囲に迷惑が掛かっていないのか。
前者であれば、それをどの程度「ゴミ屋敷」に住んでいる利用者が感じているのか。迷惑を掛けている自覚のあるなしでも「困難さ」が変わります。
後者であれば、利用者自身がどう考えるかを優先して考えることが出来ます。この場合はあくまで「困難さ」は支援者がそう感じている主観以外の何者でもない訳です。
このように「主観」である「困難」を分解して、「困難」と感じている人の範囲を見つけ出します。
範囲が広ければ、何かしらの対策を早期に行う必要がありますし、狭ければじっくりと利用者と向き合って利用者のペースで変化を促せればOK。
「誰かの主観」に踊らされることなく、自分でしっかりと分析して「本当に困難なのか」を知る必要があります。
支援するには何が必要なのか?
これはどの利用者を支援するにも共通する要素でもありますが「困難ケース」と呼ばれる利用者の多くはその現状が「日常」な訳です。
なので、急に来た何者かもわからない人間の言うことなんか聞いてはくれません。むしろ「日常」を壊しにきたと認識されればそこで試合終了です。
まず支援させて頂く為には「信頼関係」を作ることから始めます。
どんなに早期に環境や状況を変える必要があったとしても、関係性が構築できる前に行動を起こすことは厳禁です。
時間を掛けられないのであれば、回数で勝負。毎日でも会いに行って少しでも同じ時間を過ごす。すると段々と心を開いてくれる人が多いと感じます。
自分の伝えたいことを聴いて頂く為には、まずは相手の理解から。
「なぜその状況にあるのか?」を知ろうとする意識がプラスの感情であれば必ず相手にも伝わってきっと少しずつ教えてくださると思います。
生命に関わるか否か?
先ほどのゴミ屋敷を例に書いてみます。
近隣住民に迷惑が掛かっている訳ではないと仮定して、利用者の生活環境だけがゴミで溢れているとします。
普通に考えたらその環境で生活するのは身体的にも精神的にもいいものではありません。これはそう感じる方が多いと思います。
しかし、そこに住んでいる利用者にとってはそれが「日常」。その環境こそが利用者にとっては過ごしやすい状況なのかもしれません。
ある程度信頼関係を築けた段階で、自宅の清掃を切り出したとします。そこでの返答は「NO」。皆さんならどう考えますか?
「こんなに汚い環境で生活するのはおかしい!何としてもキレイにしたい!」と考えるでしょうか?
私の答えは「汚い環境で生活したいならそれで良いんじゃね?」です。
誰に迷惑かける訳でもなく本人がそれを望んでいるのであって、様々なアプローチをしても本人がそう言うのであれば私の結論はいつも「良いじゃね?」です。
ただ1点「生命に関わるか否か」だけは十分に考えます。
もちろんゴミ屋敷に住んでいて身体に良いことはないので、長い目で見れば生命にも関わるのかもしれませんがここで言う「生命に関わる」は短期的なもの。
今回の事例で言えば「ゴミ屋敷過ぎてエアコンも効かずに夏場の室温が異常」とか。例え本人が望んでもそれを放っておくわけにはいかないと考えます。
逆に「生命に関わらなければ」寛容で良いと思っています。
多くの人を巻き込もう
最後になります。一番大切な点です。
「困難ケース」と呼ばれる利用者を支援する上でもっとも大切なのは、一人で抱え込まない。責任を分散することだと思っています。
「困難ケース」は「何か」起こる可能性が他の利用者より多いのも特徴。自分一人で支援して判断していて何か起こった場合にその責任を問われるようなこともあるかもしれません。
であるならば、出来るだけ多くの人を巻き込んで責任を分散しましょう。
地域包括支援センターや役所、民生委員や介護保険サービス事業所など出来る限り多くの人と支援においての状況や方向性、本人の考え方などの情報を可能な限り共有します。
そして、自分(ケアマネ)は現在どのように考えていて、どう動いていくつもりであるなど見通しも共有しておきます。
そうすることで「傍から見ている第三者」ではなく「当事者の一人」として多くの人に関わってもらいましょう。
第三者としてでは逆に見えないことでも当事者になれば、ケアマネが抱えている支援の難しさなどの理解もしやすいと思います。
まとめ
困難ケースを支援することは状況によっては心身共に負担になることも少なくはありません。
ただその分多くの学びを得る機会だとも思います。人と信頼関係を得る術を考えたり、多くの人に助けを求める必要性や求め方なども考えることになります。
その他書ききれない程の学びがあります。
ケアマネによってはこの「困難ケース」を避け続ける人もいます。そういう人は困難ケースだけでなく、要支援のプランニングや入退院支援なども避けたりもします。
そうして様々なことから避け続け年数ばかり重ねた人はいずれ詰むときが来ると私は思っています。
経験できることは年数を重ねる前にドンドンやりましょう。年数を重ねてからでは自分自身が素直に聞き入れることが出来なくなったり、教えてくれる人も少なくなると思います。
様々な経験を通して柔軟なケアマネジメントが出来るケアマネジャーになりたいものです。
最後までお付き合い頂きありがとうございました。
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今日はこの辺で。
ではまた!!