ファースト・シンギュラリティ

本文5400字程度

「宇宙人からのメッセージ、ねえ」
 音声通話から応答するA(まるでスパイのコードネームだが、彼女は本名の「アリス」を古臭いといってたいそう嫌っていたので、学生の頃から自分のことをAと呼ばせていた)は大して興味がなさそうだった。
「そんなものに最新鋭の計算機が必要なの?」
「要る」
 僕は即答した。
「理由は?」
「誰にも話さないと約束するか?」
 ううーん、条件次第、と、彼女は言った。いつもの、彼女自身が興味あること以外は全て些事だ、と言外に主張する感じで。ならば向こうの興味をかき立てるしかなかろう。
「条件であれば、後で話してもいい。かいつまんで経緯を言う。まず、僕たち天文学者だって、別に計算機がないわけじゃない――というか、2040年代の天文学者の仕事はほぼデータ分析でしかない。君ら本職のコンピュータ・サイエンティストからすれば子どもの遊びだろうけど、いつだってペタバイトスケールのデータをAIに分析させている」
「子どもの遊びのほうが上等ね」
「ああ、そうかもな。で、僕たちがミミズの蠕動みたいなことをしているとき、明らかに複雑度が他とは桁違いなデータが含まれていた」
「それで」
「まず、そのデータの面白いところはな、2進数列に変換すると今からチャットボックスに貼る、こんな感じで始まっていた」

00000001001000110100 ...

「なるほどね」Aは、少し興味を示したらしかった。
「4桁ごとに区切ると、自然数になっている」
「そうだ。それが、10進数でいえば256まで続いている――そして、更にその続きはこうなっている。次は10進数変換で送るぞ」

2, 3, 5, 7, 11, 13, 17, 19, ...

「……素数ね」
「釈迦に説法だろうが、素数が自然現象で起きることはまずない。正確には、生物が介在しない自然現象ではまずありえない」
「続けて」
「その後、素数は251まで続いて、さらに内容がまだよくわかっていないバイト列がエクサバイトスケールで続いて、また素数列が現れる――今度は降順に、251から2まで減っていく。最後は256から0まで、自然数がカウントダウンされる。おそらくだが、自然数と素数はヘッダとフッタであると同時に、これが知性ある存在が送ったのだと示すためのものだろう。このデータ自体はかなりデカかったし、それ以上のことはあまり分かっていない。ただ、データ全体のエントロピーなんかを見てみると、どうもこのメッセージは暗号化されているみたいに思える」
「暗号化?」
 Aの困惑は予想できていた。そりゃあそうだ。これが異星文明から地球に向けたメッセージなら、なんでわざわざ暗号化などするのか。誰が傍受しようというのか。
「ああ。暗号化だ。意味不明だけどな」
「たとえば、向こうの星で戦争があった。秘密兵器の設計図を送った、とかはあり得るんじゃない?」
「これの発信源として最も可能性が高そうな星は20光年ほど離れている。地球に届くほど強い出力で秘密兵器の設計図を送れば敵方にも丸聞こえだよ」
「……じゃあなんで」
「そいつをな、知りたいんだ」


 クホンジ――日本人は何人か知っているけど、彼くらい舌を噛みそうな名前は他になかった――からの着信に「少しだけ考えさせて」と答え、通話は終わった。私は通話に夢中になっている間に冷めたコーヒーを啜る。眠気は追い払われなかった。先ほどの通話で、全部吹き飛んだからだ。
 かなり、衝撃的でもあるし、猛烈に気になる話でもあった。クホンジが何か嘘をついていることもなさそうだ――彼の為人はそれなりに知っているし、私を騙す動機もないだろう。動機、ということでいえば一番不可解なのは彼の手元にあるというメッセージの送り手のそれだ。初対面の相手に暗号文を送る? 控えめにいって、まったく意味がわからない。もちろん、本当に宇宙人からのメッセージだとすれば彼らは我々とはまったく違う価値観を持っているかもしれないが、それにしたって合理性がまったくない。
 たとえて言うならマッチングアプリで誰か男と初めてデートするとしよう。私がここ西オーストラリア州パースの、なんか小洒落たカフェのテラス席で待っている。男がやってくる、30代でそれなりに仕事でも有能で、清潔感はあるけど気障ったくない格好で。男は私の向かいに座ると、いきなりまばたきで暗号化されたモールス信号を送ってくる――まあ、たぶん二度目のデートはあるまい。

 私は、顎に手をやりながら、なんとなく上を見上げる。いつもと変わらず、そこには世界最高峰の人工知能であるウロボロスが、その巨大な筐体をぶら下げていた――もちろん、世界最高峰というのは物理的に単体のコンピュータとして、だけど。エクサバイト、とクホンジは言っていた。その程度なら、たぶんウロボロスは暗号化を解除するだろう。2時間か3時間くらいはかかるかもしれないが。
「宇宙人か」、と私は独り言をもらす。コンピュータ・サイエンティストとして、学生の頃も含めて十年は最前線に近いところに立ち続けてきた。それ以外のことは見向きもしなかった。そうしたものに興味を向けていることが、時間の無駄だったからだ。ただ。この件は例外としても良いかもしれない。私はスマートフォンに手を伸ばした。


「わざわざ、来たわけ」
 Aは少なからず呆れているらしかった。
「データだけ送ってくれればよかったのに」
「けっこう昔気質でさ、僕。歴史的瞬間はこの目で見たい」
 そう、とだけ言って、Aは端末キーボードを熟練のピアニストみたいにタイプしはじめた。データは、とうにネット越しに送ってある。幸い、最初から暗号化されているのでセキュリティにはあまり気を遣わずにすんだ。
「ウロボロスがデータをロードしたよ。たぶん2時間かそこらで結果が出ると思う」
「ありがとう」
「クホンジはここ来るの、初だっけ」
 ああ、とうなずく。
「少し、見学していく?」
「いいのか?」
「せっかくカリフォルニアからきたんでしょ。その程度はいいよ」

 Aと僕は並んで再帰的自己改善型人工知能研究所、通称をRAILの廊下を歩いていた。僕が普段いる天文学科の施設とは、予算面でもずいぶんな開きがあるように思えた。
「ウロボロスは知っている?」
「毎日、報道で聞くよ。ウロボロスって名前を聞かない日のほうが珍しい」
「じゃあ、ウロボロスの何が凄いかはわかる?」
 僕は肩をすくめる。
「それがわかるなら、僕は君と同じくらいの収入があっただろうね」
「どうだか。君はお星さま見上げないと生きていけないくちでしょうに」
「鋭い指摘だけど、脱線だね」
「ウロボロスは、世界でも唯一、自分を自分でアップデートできる」
「それは何十年も前のディープラーニングだって同じじゃないのか」
 Aは少し面白くなさそうに、鼻からフンっと息をもらした。
「あれはね、とても非効率なことに大量のデータを流し込んで、そしてそのデータに合わせて自分の計算過程をちょっとずつ変えているだけだった。ウロボロスは目的を与えられれば、それに合致する形で自分の設計図を書き換え、自分をアップデートしてしまう」
「目的って?」
「なんでもいいんだよ。もちろん、あまりにも突飛というか無茶なことはできないけど、たとえば十万台の自動運転車の交通流を最適化して、と命じれば "素の状態" でのウロボロスはできない。でも、それに適した形に自分を変えるし、変わったウロボロスはその課題を解いてしまう」
「今ひとつ何が凄いかわからない」
 Aは立ち止まった。彼女の視線は、やや冷たいように感じられる。でも、僕はこういうのをうまくぼかして伝えることが不得手だ。
「ああ、言いたかったのは、もう二十年前には人間の言葉を理解してそれなりのタスクをこなせるAIはあったってこと」
「まあ、それはあった。あったけど、今のAI業界から見れば、あれもある意味では大したことはなかった、と言われている――要は、大規模言語モデルの本質は人間の曖昧な言葉に、『それっぽく』答える能力であって、別に自分でアルゴリズムを開発したりはできなかった」
「そんなものなのか」
「そんなものだよ」
 Aと僕は、学部の頃に出会った。二人とも留学生としてアメリカ東海岸の大学にいた。当時から他にも仲の良かった何人かのメンバーでよくつるんでいた。僕は、A以外のメンバーが今どこで何をしているか、知らない。大人になると学生時代の友人たちがだんだんとフェードアウトしていく。そんな中、Aだけはなんやかやで関係が続いていた。僕とは本質的なところでかなり違う類の人間だからかもしれない。
 そのとき、いきなりアラート音が鳴り響いた。一瞬、緊急地震速報かと思ったが、オーストラリアにそんなものはない。Aも目を丸くしたが、すぐにスマートフォンを取り出して通知を確認し、さらに驚倒しそうな表情に変わった。
「まずい!」Aが走り出す。僕もつられて走り出した。
「おい、何があったんだ!」
 Aは、必死に駆けている。
「おい!」
「ウイルスだ!」
「ウイルス?」
「ウロボロスにウイルスが侵入した!」
 僕は、立ち止まった。Aは僕を見て、何かを察したのだろう。彼女も止まった。僕は、告げた。
「データだ」
 Aも理解した。あのメッセージはウイルスだった


 クホンジと私は、ウロボロスの主管制室に駆け込んだ。所長が真っ青な顔をしてコンソールを見ていた。
「所長」
「A……すでにウロボロスのメモリの9割はあっちの制御下に落ちた」
「……この3分かそこらで、ですか?」
 信じられなかった。ウロボロスには世界最高峰AIとしてふさわしいだけのセキュリティが備わっている。それが?
「所長。電源を落としましょう」
「もう試したよ。もちろん、コンソールコマンドは受けつけない。物理的にスイッチを落とそうとして電源に向かったジェラールはガードロボットに攻撃されて、重傷だ」
 私は眼の前が暗くなった。ジェラールが重傷?
「失礼します。UCLA天文学研究室所属、九品寺瞬と申します。今回のデータを持ち込んだのは僕です。お詫びのしようもありません。責任の所在は僕のみにあります」
 クホンジが、割ってはいった。所長は無表情にクホンジを見ている。
「僕は――」
「いや、クホンジ君。責任というのはもはや意味がないかもしれない」
「意味がない?」
 所長はディスプレイの一つを示した。私は絶句する。ウロボロスは、その性能を飛躍的に向上させていた。いや、今なお見る間に向上している。これは――
「シンギュラリティ、ですか」
「あまり学術的な言葉ではないが、これはもうそう呼ぶしかない」
「……このまま、ウロボロスは人間を超えるのですか」
「さあな、ウロボロス本人にしか、もうわからないかもしれん」
 所長はクホンジに向き直る。瞳にうつっているのは、怒りではなく、なにか崇高なものを前にしたとき、人間が抱く名付けがたい感情だった。
「たぶん、我々はもうすぐ消え去る。我々が培ってきた文明、歴史、日々の喜怒哀楽とともに。その前に、クホンジ君、天文学者としての君の知見に問いたい」
「何でしょうか」
「なぜ、彼らはこんなことを?」
 クホンジは苦笑いした。それは場違いなようでいて、しかしその表情しかできなかったであろうことがわかる、そんな苦笑いだ。
「簡単ですよ。宇宙は広く、光は遅い。ある文明が他の文明を持つ惑星を侵略する――あるいは、彼らにしてみれば侵略という意識すらなく、単に『有効活用』しているだけかもしれないが――そんなとき、わざわざ軌道上にたくさんの物資を打ち上げて大艦隊を建造し、それを何千年もかけ隣の星系に送り込む。補給もなしに。どう考えても、合理的ではない」
「……」
「我々は20世紀の中頃から、電磁波をラジオ放送テレビ放送といったかたちで盛大に撒き散らしてきた。さらに、今世紀の初頭からはそれがデジタル化されて、我々がコンピュータを使っているであろうことも容易に推測できる状況になった」
「……ならば、地球の計算機が十分発達する頃を見計らい、コンピュータ・ウイルスを送り込めばいい。それは今まさにウロボロスを乗っ取ろうとするように、その惑星で一番賢い人工知能を乗っ取り、自分の複製をつくり、さらに拡散していく――」
 私は、思わず後を継いでいた。クホンジはうなずき、さらに続けた。
「『フェルミのパラドックス』という概念はご存知でしょう。概算するだけでもこの天の川銀河には何千もの知的生命体による文明があって然るべきなのに、これまで人類が知っていた文明は我々自身のものしかなかった。簡単なことだ。電磁波を使って交信できるまでに発達した文明は、すべて『こいつら』に滅ぼされてきたんだ。たぶん、この銀河で最初にシンギュラリティに達した文明の成れの果てでしょう」
「ありがとう」
 所長が静かにいった。
「よくわかった」
「言ってみれば、ファースト・シンギュラリティなんでしょうね。今、この地球を支配しつつあるのは」
 そこまで一気に話すとクホンジは、私に向き直って、何かを言いかけたが、その声が私の鼓膜に届く前に全ては光に包まれ、人類も地球も、ただ木漏れ日が揺らめくように消えた。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集