上からは明治だなどといふけれど

本日9月8日は、あれやこれやを経て慶応4年9月8日(西暦&新暦で1868年10月23日)に元号が明治に改元されたことから、『明治改元の日』となっているのだそうです。
……今放送されているNHKの大河ドラマ『青天を衝け』ではそのあれやこれやが膨大な情報量とともに爆速で描かれていますが、フランスから帰国した篤太夫(渋沢栄一)が自身不在中の国元の様子を聞いて落涙したのが前回、8/22の放送回。
パラリンピックの放送を挟んで、ドラマは今週末から再開ですね!

渋沢栄一つながりで少々閑話を。
読んだり読まなかったりでズルズルと手元に置いている1冊(否、2冊)に、篠田鉱造著『幕末明治女百話(上・下)』(岩波文庫)という本があります。
タイトルの通りで、著者が幕末明治御一新の頃を知る女性から聞き取った話を短編としてまとめた本です。
上巻冒頭、「渋沢子爵未亡人の~」と始まる章では、渋沢栄一が最初の奥さんである千代亡き後に後妻として迎えた伊藤兼子さんのご実家について、当時を知る女性が語っています。

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兼子さんのお父さまが武田耕雲斎の息子から勤王攘夷のため壱万両出せと言われて断った話なども、やはりそこは女性から聞く話、しかも女性自身が書き残したものではなく、思いつくままに話しているものなので、なんというか、この時代の名だたる人々の名前や出来事が圧倒的な臨場感を伴いながらドラマチック感ゼロでさらりと出てくるのがとても面白くて、この本はこの先もズルズルと手元に置いて、パラパラと読んだり読まなかったりするんだろうなあ。

閑話休題。

改元と言えば、2019年5月1日に『平成』から『令和』へ改元されたとき、その典拠が話題になりました。

記憶に新しい『令和』の典拠は『万葉集』第五巻、梅花の歌にある

于時、初春月、氣淑風、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香。
→時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
→時は初春の令い月であり、空気は美しく、風は和やかで、梅は鏡の前の美人が白粉で装うように花咲き、蘭は身を飾る衣に纏う香のように薫らせる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/令和

でした。

『明治』の典拠は『易経』の

聖人南面而聴天下、嚮
→聖人南面して天下を聴き、明に嚮(むか)ひて治む
→「聖人が北極星のように顔を南に向けてとどまることを知れば、天下は明るい方向に向かって治まる
https://ja.wikipedia.org/wiki/明治

だそうです。
前述のwikiには「岩倉具視が松平慶永に命じ、菅原家から上がった佳なる勘文を籤にして、宮中賢所で天皇が自ら抽選した」とあります。
松平慶永は、越前の松平春嶽ですね。
(関係ないけど、岩倉具視の名前を見ると鶴瓶さんが出てくるの、そろそろなんとかしないと。五百円紙幣で上書きするとか。)

そんなありがたい言葉に、いつの時代もなんやかんやいいたがるのが庶民というもので、当時は

「上からは 明治だなどといふけれど 治明(おさまるめい)と 下からは読む」

というナイスな狂歌があったそうです。
上(新政府)がいくら「明るく治るように明治な!」と言ったって、下々までおさまるわけがねぇ、という感じでしょうかね。

とはいえ、薩長出身の(派手な)官僚が中心だった明治新政府も、その中で実務を担っていたのは、かつての江戸幕府のお役人たち。
大変なご苦労だったことは察して余りありますが、まあなんとかやりくりできていたということでしょうか。

『明治改元の日』と聞いて、この狂歌が浮かんだので記事にしてみました。

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9/10追記
この記事をアップした日、9/8だと思い込んでいましたが、9/9でした。
すっかり1日ズレていました……(呆)


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