
#3 認知症専門病院への紹介状は赤紙⁉︎
老いは誰にも訪れるので、一体いつから介護がスタートになるのかを、おそらく多くの人は疑問に感じているかもしれない。一般的には、介護保険申請が介護のスタートになるのではないか。
親の老化が進行していたとしても何もしなければ介護にはなっていないと考えることもできるし、知らなければ悩む事も無いので、介護の話題の外にいることができる。認識する時点が介護の入り口だと私は考える。しかし、遅かれ早かれ、人は皆老いるものだ。いずれ当たり前のようにやってくるものと思う方が自然だ。
母は六十代の頃から「頭がぼけてきちゃったかしら」とよく言っていたので、それは常套句のように馴染みのあるフレーズになっていた。家族の前でも友人たちの前でも、ニコニコ笑いながら自分の物忘れや、頭の回転の悪さを半ば自虐的に受け入れながら話す母。それは母のチャーミングな部分でもあった。
そんな母なので、少しぐらい頭の回転が悪くなったとしても気にはしていなかったのだと思う。そのときまでは。
ある日、母は家から三分ほどのクリニックに、いつものように喉が痛むからと足を運んだ。その時、主治医に母はこう言ったらしい。「先生、最近物忘れがひどくって。もうぼけちゃったのかしらね(笑)」
本当に気軽な発言だったらしいのだが、主治医は、「では認知症の専門病院をいちど受診してみたらどうですか。」と言われたのである。
そして手渡されたのが、認知症専門病院への紹介状。私は姉からの電話で、母がそうした書類を受け取ってきて、なんだかひどく落ち込んでいると聞かされるのである。
お母さん、ショックだったのだな…。
冗談みたいに面白おかしく、自分の物忘れを楽しそうにおしゃべりしていた母なのに、いざ認知症病院への紹介状を受け取ってみると、混乱状態に陥ったのだ。家族としてそこまで落ち込むとは想定していなかった。母にとって、その書類は赤紙。いわゆる招集令状のようなものだったに違いない。
認知症と言う病名を聞かない日は無いけれど、当事者となる恐怖がどれほどのものか、その時初めて知った。
姉からのパスは、あなたがどうにかしなさいと言うサイン。認知症専門病院と聞いて、私が驚かないのは、以前仕事でお世話になったり取材をさせていただいたりしたことがあったからだ。私は埼玉県にあるその病院に母を連れて行くことにした。
アルツハイマー型認知症の初心者になる
その認知症の専門病院は、自宅から電車とバスで50分ほどのところにある。認知症の専門病院と言うくらいなので、認知症の何かしらの治療をしてくれるものと最初は思っていた。だが実際は違う。
初診時には、まず相談員が個室に通してくれる。母の状況、私の状況、ここに至るまでの経緯を色々と質問し、とにかく丁寧に話を聞いてくれる。そして検査だ。検査は、MRIやCTで脳の画像を撮る検査と、心理検査と言って、専門の医師が母の認知の状態を検査するものである。長谷川式認知症スケールを用いた検査だ。その名の通り、開発されたのは認知症研究の第一人者である長谷川和夫先生だが、私は仕事を通じて長谷川先生に何度かお会いしたことがあった。ご高名な先生なのに表情も声色も優しく、上品さをまとったような先生だった。
母が初めて長谷川式認知症テストをうけたのは2019年の2月。その同じ年に長谷川先生は自身が認知症であることを告白した著書を発表された。余談になるが、先生の存在は私にとって認知症を身近なものにしてくれていると思う。嫌じゃないもの、怖くないもの。私にとって認知症はそんな存在。おそらく母にも私を通じてそれは伝わっていったと思う。
明るい待合室で、私は母にこっそり予習を試みていた。「お母さん、100引く7は?」「えっと、きゅうじゅう…さん?」
母は笑ってしまうくらいもともと計算が苦手。計算というより勉強が苦手。まあそれを上回るくらい性格がよい人なのだが。
認知症の心理検査では、100から7をずっと引き算するような計算や記憶テストや指を使ったゲームのような動作のテスト、コミュニケーション力を測るものなど複数のスケールで脳の状態をチェックする。医師と当事者だけ静かな個室に入りチェックするのでその様子を見ることはできない。家族が隣にいると、家族の顔を見て反応を待つのが認知症の人によくみられる兆候だが、個室に入ると医師と一対一。わからないことをごまかすことはできない。
心理テストをする専門の医師たちはみな大変優しい印象だった。声も柔らかいし、落ち着いた態度でゆっくりと話しかけてくれる。腰をかがめて目を見つめてくれるので、母も嬉しいのかワクワク気に先生について個室に入っていった。最初のテストでは、母の点数は30点満点中22点。認知症判定のボーダーゾーンとのこと。コミュニケーションの得点は高かったが、一方で、計算と記憶力は平均点を大きく下回っていた。でも、それってもともとじゃない?と母をいじりながら二人で大笑いする。赤紙をもらってショックを受けていた母も、一緒に病院に来てみれば別にたいした事でもないと思ったようだ。それは私も同じだった。
認知症の病院は何をするところかというと、端的に言えば検査と診断。治療と言えるものは薬の処方である。その薬も、現段階においては進行を緩やかに遅らせるものであり、根治には至らない。なんだそれだけか、薬の処方だけならオンラインでもいいではないか、と思われるかもしれないが、私と母はその認知症専門病院に三年間通い続けることになるのだ。
「脳のスカスカの部分はそんなに変化はないですねえ」MRIの画像を視ながら、担当の先生が気の抜けた感じでゆっくり語りかける。代打で水曜日に当直されるおそらく40代の男性医師が母の担当医になった。いつも後頭部の髪の毛が寝癖でちょっとハネていて、身なりは無頓着な感じだが、おしゃれをしっかりすればそれなりに素敵に仕上がりそうな人物であった。母はその先生がとても好きになった。
「Fさん最近はどんな感じですか?」という問いかけに、「まぁまぁ、、です。いつもの通りです。」と母は答える。このやりとりは毎回同じ。いつもの通りと言えば会話が正常化すると言う知恵を認知症の人は使っている。記憶力はすっかり衰えても、こうした取り繕いができるのはむしろ賢いなと私は感じてしまう。むろん先生もそんな事はわかっているのだが、にこやかに会話を続けてくれている。私は私で、母の適当なテキトークを、はじめの頃は一つひとつ正しく上書きして一生懸命に伝えていたのだが、振り返ってみればそんなことも必要なかったのかもしれない。そうした切迫感のある私の様子も含めて、医師は私たちの状況を観察し、寄り添ってくれたのだなと思う。そうした相談機能こそが認知症専門病院の素晴らしいところだと私は感じている。
何も治療してくれないではないかとどうか思わないでほしい。アルツハイマー型認知症初心者の母と家族介護初心者の娘にとっては、専門性を持って優しく接してくれる、差別なく見てくれる、こうした存在のありがたさは格別なのだ。