介護現場から 〜『やっぱりさ!!人だから、普通のご飯が食べたいよ!!』〜
最近、お食事の飲み込みが難しくなってきたご利用者Oさんがいます。
常食(健康な方が日常で食べているような食事)を召し上がっていましたが、おかずを食べやすいように刻み、米飯からお粥に変更するか、他部署を交えて検討していました。
お食事の様子を見ながら評価をし、ご本人の意向もふまえて、食事の形態が変更になりました。
ところが、次の日の朝・・・
お食事が終わり、お部屋に一緒に戻ると溢れるほどの涙、涙、涙
「ちょっとそこ(扉)閉めてくれ・・」と仰られ、お部屋でゆっくりお話をききました。
「食べやすいわけでもないのに、あんな食事、やだよ。。。もう早く死にたいよ!!」と気持ちを教えてくれました。
評価の日も、皆んながわざわざ見に来てくれて、嫌だなんて言えなかったと。
しばらくすると「もう大丈夫。ありがとう。」と落ち着かれましたが、もう1回他部署にかけあってみる旨を伝えても「悪いからいいよ」の一点張りでした。
でもやっぱり、その人らしさ、生きている充足感は、安全面からだけでは語れないと思うのです。健康は何よりですが、そこに自分らしさが欠けてしまうのなら、尊重した支援とはかけ離れてしまうのではと思いました。
そして、もう一度Oさんと話をしてもらえないか他部署に話をしてみました。
看護師さんが話を聞きにきてくださり、「Oさん、ご飯のことで・・」と声をかけた途端、涙いっぱいに「やっぱりさ!!!人だから、普通のご飯が食べたいよ!!!」と溢れるように気持ちを吐き出したOさん。
そんな姿をそばで見ていて、「そうですよね。。」そんな言葉しか振り絞って言えませんでした。
食事形態は元に戻り、飲み込みづらさを感じながらも、「ゆっくり食べるよ。美味しい。ありがとうね。」と今はまた常食を召し上がっています。
誤嚥のリスクもあり、正直これで良いかはわかりません。フロア職員一同、とても迷いながらOさんのベストを模索しています。
誤嚥したことで、苦しみ、その人らしい生活が失われてしまうのであれば、安全を考慮して、食事形態を変えるのも考え方のひとつだと思います。
どこの施設に行っても、どのご利用者と話しても「最期は好きなものを食べたいよ」というご利用者が多くいました。「チョコレートが食べたい。」「ピザが食べたい。」いろいろな楽しみ、生きがいが「食」には詰まっていると感じます。
自分の親なら、最期は好きなもの食べてほしいと率直な気持ちを優先できますが、介護施設として予測できるリスクは未然に配慮する義務、責任もあると感じます。
その人らしく生きてほしい。
健康に、思うように生きてほしい。
ただそれだけですが、とっても難しいです。
今のOさんの気持ちや、体の状態も大切にし、どんな生活をしていきたいのか先々の思いも聞きながら、ご利用者にとってベストに近い支援を考えたいと思います。