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【殺人の追憶】記憶の中の非現実/現実。



━━━【ネタバレ。観た後向けの感想です】━━━



実際に起こった連続殺人事件を元にしたクライムサスペンス。

80年代の韓国の事は全然知らないのであの景色がどれだけリアルなのかは判断がつかないけど、オンボロの立ち飲み空間や木造の警察署、お世辞にも綺麗とは言えない学校、それらの雰囲気には強い懐かしさを覚えた。

全体的に彩度が落としてあってモノクローム一歩手前みたいな銀残しのざらざらした絵作りも、寂れた農村の停滞した空気を上手く描き出している。

タイトルに引っ張られるまでもなく
あれは記憶の中の景色なのだろう。

隙間から覗く眼のアップや、車のミラー越しなど印象的な画面。韓国の映画の、ある種漫画的なレイアウトは独特だ。
明らかにそれをわざとやっているパクチャヌク作品とは少し趣が違ったが、日本人から見て、日本映画的お約束から自然に外れるのだろう。
それがどれなのかははっきりとは認識できなくても、感覚的にわかる。

たとえ姿かたちは似ていても、外国の映画だ。



内容は良く有る未解決事件ものだが、もちろん映画的に脚色されているとは思うのだけど、登場する警察も容疑者も犯人もみんな結構めちゃくちゃだ。

刑事である主人公達は証拠の捏造もお構いなしで、直ぐに暴力で自白を強要させようとする、割とクラシックなタイプの悪徳刑事だ。
本来であれば正義の主人公に退治されるであろう、悪いヤツである。

アメリカと違って狭いこの国では警察は脚で捜査するのだ、とカッコつけておきながら目星がついたら直ぐにとび蹴り、そして監禁と拷問。
弱ったところで台詞を読ませてテープに録音しようとする。

ただ、見慣れたハリウッドの刑事達に比べれば、少なくとも警告も裁判も無しに射殺しないぶん少しだけマシかもしれない。少しだけ。


ソウルからきたというエリート刑事は冷静に真実を追究するタイプかと思わせておきながら、驚くべきことに主人公達の蛮行を特に積極的には止めようともせず、近くで煙草を吸いながら文句を言うか、せいぜい酔った勢いで喧嘩するくらいだ。情けない。

そして張り込み中に眠ってしまったりして観客の期待を大きく裏切った後、クライマックスでは無実が明らかになったはずの容疑者をそのままノリで射殺しようとする。感情が全く抑え切れていない。
いつの間にか主人公たちの毒気にやられてしまったらしい。

ここでカッコよくその凶行を止めに入ってくるのが主人公なのだが、少なくとも前半さんざっぱらインチキ捜査で事件を撹乱したおかげでいたずらに被害者の数を増やした元凶だと観客は知っているので、もういくらカッコつけても無駄だ。

ただ、ここで効いてくるのが俳優だ。

ソンガンホはその他の韓流スターとは違う。
情けないオッサンのプロなのだ。

ここでも期待を裏切らず、米国から届いた書類をみてから
なんて書いてあるんだ?という。
そう、情けないオッサンは英語など読めないのだ。

彼は情けなければ情けないほど魅力が際立つ、稀有な役者だ。


この辺りのやりとりが事実ではないことを祈りつつ、散々彼らを馬鹿にしてきたが、そもそもあの村もちょっとおかしい。

三番目の被害者は村中誰でも知ってるよとかいう発言や、逃走犯を追いかけている最中に前に会った少女の家に出たりすることで、そこがとても小さな村であることをアピールしている。
だがそんな狭いコミュニティなのにいくらなんでも変人だらけである。

女子トイレに現れる不審者の噂、勤務時間中に殺人現場で自慰にふける工員、雨が降る度にマイナな曲をリクエストするという奇行。

そのあたりの説明は特になく有耶無耶のうちに20年の時が過ぎる。

最初の遺体が発見された場所で、自分たちの不手際すらも過去の懐かしい思い出になっているかのような(というか間違いなくそうだ)表情でノスタルジアに浸る主人公。

それをぶち壊すように、真犯人の影を臭わせて映画は終わる。

この時の後味の悪さは良かった。

急にヒヤリとする。


ポンジュノ監督の映画はグエムルとTOKYO!に入っている短編 シェイキング東京しか観たことが無いのだけどシリアスなシーンの合間にどうしてもギャグやおふざけを入れないと気がすまない質らしい。グエムルでもそんな雰囲気があったのは覚えているし短編はそもそもが不条理ユーモアだった。

かつての自国の警察権力の暴虐さに対する批判のメッセージもあるとかなんとかそんな記事も見たが、現場検証で女装するところとか、自白強要の拷問が漫画みたいなあからさまな逆さづりだったり、陰毛のくだりから銭湯で子供の股間を見るオチなどそういうしょうもないギャグのせいであまりそういう意味は受け取れなかった。

シリアスな映画として観てしまうとなんでそこでふざけるのだろうと思うし
コメディだと思って観るとテーマが重すぎて笑えない。

映画としてはどちらかにしてほしいのだけど、どちらでもない、常に不定である状態がいまの僕達の日常に近いリアルさなのかもしれない。


リアル?


あのめちゃくちゃな登場人物たち。確かに僕の身の回りにも、思い込みで行動して、失敗して、でもそれを有耶無耶にごまかして人生の次のステージに進む、振り返りもせず、不条理の塊みたいな人間が沢山いるじゃないかと気づいた。

なるほど、リアルだった。

事実は小説よりもというが、普通の人間は普通の映画の登場人物たちのようにいつでも芯を通して生きていくことなどできない。


忘れていたけど、ここは現実(リアル)なのだ。

実は僕らは、彼らを馬鹿にすることなどできない。







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