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もっと〝楽しい〟を選んでも

子どもの頃の方が描くのが上手だったなと思う。

今年の朝練はデッサンをしている。

〝陰影を掴むこと〟を目標に掲げて、15分ほどかけて人の顔をリアルっぽく描いているのだけど、

これがなかなか上手く描けない。

まず、モノの形を正確に取るのが圧倒的に下手。

僕は美大出身というわけでない。

だから、こういった絵の基礎みたいな描き方はほとんどやってこず、

デフォルメされた線を只管に描いてきた人間なので、

写実的に描く能力は本当に低い。

のだけど、

多分、子どもの頃の方が写実的に描く感覚は鋭かった。

バランス感覚、というのか。

見たモノの絵を描くときの、

どの部分がどの部分より、上か下か、大きいか小さいか、

といった、測りながら描く感覚が、子どもの頃はもっと鋭かった氣がしている。




10歳までの僕は、漫画やアニメのキャラクターの絵をよく描いてた。

ポケモンから始まり、デジモン、ロックマン、ワンピース、

数年かけて、小動物系から徐々に人型のものを描くことに移行していって、

学校の友だちに絵を見てもらったりしていた。

この頃は見て描くことしか知らなかったといっても過言ではなくて、

多少、オリジナル要素を加えて遊ぶことはあったけど、ほぼほぼ、見たモノを忠実に描くことに力を注いでいた記憶がある。

中学1年生のときからコマを割った漫画を描くようになるのだけど、

何も見ずに自分のキャラクターを描くようになって、

その頃から、見て描くことを徐々にしなくなっていった。



それは、「見ないで描ける人が絵の上手い人」という

大いなる勘違い意識もあったのかもしれないし、

同級生にめっちゃめちゃ絵の上手いヤツがいたから、

劣等感から生まれる自信の無さもあったのかもしれない。

兎に角、僕は10代の頃から、見て描くということをサボりにサボって絵を描いてきて、

34歳になる今になって、見て描く楽しさを思い出している。

見たものを正確に描くこと、描こうとすることって、こんなに楽しいものなのかと思っている。

難しい。けど、楽しい。



振り返ると僕は、周りの目を氣にするようになって、徐々に夢中から外れていったなと思う。

前途した、

〝「見ないで描ける人が絵の上手い人」っていう大いなる勘違い〟は、周りから絵が上手いヤツと思われているっていう意識から生まれたものだし、

〝劣等感から生まれる自信の無さ〟っていうのは無論、他人と比べている自意識からに他ならないし。

20代もまるっと振り返ると、周りの目を氣にして描いてきた人生だった。

本格的に漫画家を目指すってなったら、上手いヤツなんていっぱいいたから。周りにも、SNSにも。そういった連中に負い目や引け目を感じながら、ずっと描いてきたなぁ。って、改めて思う。

真面目すぎたのかもしれない。



もっと〝楽しい〟を選んでもよかったんだなと思う。

〝楽しい〟に集中できてたら、もっと絵が上手くなったのかもしれないなぁと思うのと同時に、

〝楽しい〟を仕事にした方が、もっと人様のお役に立てるだろうなとも思う。

34歳になる今年からはもっと、〝楽しい〟という感情に集中して生きていこうと思う。



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