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"懐かしい記憶"は愛の原点になる〜「ベイビーブローカー」感想

本日、2022年6月24日(金)から公開された是枝裕和監督最新作「ベイビーブローカー」を観てきた。以下パンフレットに記載のストーリーである。

古びたクリーニング店を営みながらも借金に追われるサンヒョンと、〈赤ちゃんポスト〉がある施設で働く児童養護施設出身のドンス。
ある土砂降りの雨の晩、彼らは若い女ソヨンが〈赤ちゃんポスト〉に預けた赤ん坊をこっそりと連れ去る。
彼らの裏稼業は、ベイビー・ブローカーだ。しかし、翌日思い直して戻ってきたソヨンが、赤ん坊が居ないことに気づき警察に通報しようとしたため、2人は仕方なく白状する。
「赤ちゃんを大切に育ててくれる家族を見つけようとした」という言い訳にあきれるソヨンだが、成り行きから彼らと共に養父母探しの旅に出ることに。
一方、彼らを検挙するためずっと尾行していた刑事スジンと後輩のイ刑事は、是が非でも現行犯で逮捕しようと、静かに後を追っていくが…。
公式パンフレットより一部引用


※以下から映画本編の内容に触れています







途中までは上記の5人がメインで話が進むが、物語の中盤あたり、とある児童養護施設で出会った7歳の少年•ヘジンが、ひょんなことから旅に加わることになる。

ヘジンが加わり、赤ちゃん含め5人で養父母探しの旅をしていくなかで、とても印象的なシーンが出てくる。洗車のシーンだ。
ぼろぼろの車を洗車している途中、ヘジンが急に窓を開ける。
「おい!やめろよ!」とみんなが止める中、窓から勢い良くジェット噴射が入ってきて、みんなびしょ濡れになる。
びしょ濡れになりながら皆で笑う、というシーンだ。
物語の本筋には絡まない、何気ないシーンだが、みんなが笑っているほぼ唯一のシーンだ。
だからとても意味がある。僕はこのシーンにかなりウルっときた。

その後、ヘジンは念願だった観覧車に乗ることができるのだが、観覧車に乗ったものの顔を青ざめながら「高所恐怖症なんだ」と言い、サンヒョンの膝に顔をうずめ「また洗車に連れてってよ」とつぶやく。

なぜヘジンは楽しみにしていた観覧車に乗ったのにも関わらず、「また洗車に連れてってよ」と言ったのか。
もちろん彼が高所恐怖症だったからなのかもしれない(本当にヘジンは高所恐怖症だったのかは分からない。彼は小さなウソをついたのかもしれない。あくまで僕の憶測)
ただ確実なのは、ヘジンにとって「洗車の途中で窓を開けてびしょ濡れになり笑った記憶」が、彼にとってかけがえのない「懐かしい記憶」となっていることだ。
とても良いシーンだった。

ヘジンにとっての洗車の記憶のような、「懐かしい記憶」というのは誰にでもひとつはあるはずだ。
「懐かしい記憶」は、忘れることの無い記憶だ。そして人は定期的にその「懐かしい記憶」を思い返す。
人が「懐かしい記憶」を思い返すときは、感情が揺れ動いたときだ。
マイナスでもプラスでも、感情が揺れ動いた時、人は「懐かしい記憶」を思い返す。そして「懐かしい記憶」は愛を纏って自分自身を抱きしめてくれる。
「懐かしい記憶」というのは愛の原点である記憶のことなのだ。

「つらくてしんどい記憶を"懐かしい"と思い返すこともあるだろう」と言う人がいるかもしれない。
しかしそういった記憶を懐かしむ時、人は
「"今になってみると"懐かしい記憶だな」と表現する。
それはその人がその記憶を真に受容できている証である。
その時はつらくてしんどかった記憶でも、時間やその後の体験などを経て真に受容した結果、その記憶が単につらくてしんどかった記憶だけでなく、愛を纏って自分自身をを抱きしめ、人生の糧になっていることを無意識に認識しているのだ。

反対に考えると「今でも懐かしむことができない記憶」とは「今はまだ受容できていない記憶」のことだ。
たとえば家族で旅行にいった"ぱっと見幸せ"な記憶だったとしても、自分がそれを真に受容できていない場合、それはただの記憶、ただの思い出でしかなく、それを懐かしむことはできないはずだ。

受容というのは、つらくてしんどかった記憶を楽しかった記憶に書き換えることではない。
受容というのは、
つらくてしんどかったかもしれない記憶、
楽しくて幸せだったかもしれない記憶、
というのを「つらくてしんどかったな」「楽しくて幸せだったな」と受け容れる行為のことだ。

しっかりと受容できた「懐かしい記憶」は、いつだって自分自身を助けてくれる愛の原点になるはずだ。

ヘジンがなぜ児童養護施設に預けられることになったのかは描かれていないが、少なくともヘジンが洗車でびしょ濡れになって、それをみんなで"家族のように"笑い合った記憶を大切にしているのは丁寧に描かれていた。

僕は僕の人生で、「懐かしい記憶」はどのぐらいあるだろうか。
ある。確かにある。しっかりこれからも「懐かしい記憶」として大切にもっていきたい。
「懐かしむことができない記憶」も、ある。確かにある。
これから先、ひとつひとつそれらを受容できていければ良いな、と思う。

これから懐かしい記憶となるものを積み上げていくこともできる。僕にとって、あるいは僕と妻にとって、あるいは僕と妻と息子にとっての「懐かしい記憶」になるものを、これから積み上げることもできる。

この映画は、家族、命、親子、法律、赤ちゃんポストの存在が放つ社会問題など、さまざな事柄を描いている。
僕が感じたものはあくまでこの映画のほんのひとつのピースを切り取った意見にしかすぎない。ぜひみなさんにも鑑賞してほしい作品だ。

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