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#夏の一コマ:ばーちゃんの台所
私にとって、夏といえば、いつだってばーちゃんの家だ。
私のばーちゃんの家は東北の田舎にある。夏は暑く冬は雪が降る地域、関東生まれ、関東育ちの私は四季をばーちゃんちで感じていた。
物心がついたときから、夏休み・冬休みなどの休みの半分以上をばーちゃんちで過ごすのが当たり前であったのだ。
子供の頃から、この風景がなければ「夏」と呼べないほど、ばーちゃんちで過ごす時間は私の中で夏の象徴である。
スイカやソーメン、冷たいそば、そしてプールや川遊び、そんな夏らしい思い出もたくさんあるが、何より私の心に焼き付いているのは、ばーちゃんの台所での後ろ姿だ。あの風景こそが、私にとっての「夏そのもの」なのである。
田舎の台所からの夏
田舎のばーちゃんちに来ると、じーちゃんが育てた野菜や果物が台所に並ぶ。その中で、特に印象深いのは、畑でとれた野菜を茹でるばーちゃんの姿。
特に夏の定番は枝豆である。じーちゃんから受け取った枝豆を枝からとるのはわたしたち子供の仕事。ざるにもられた枝豆たちをばーちゃんに渡し、茹でてもらうのだ(チームプレー)。
鍋から上がる湯気と豆の香りが、たまらない。たまらないからこそっと何個か味見をする。熱々でちょっと塩が効いたその味は、夏の始まりを告げる合図のように感じられる。
日中にばーちゃんがスイカを切ってくれる姿や、夕飯の支度に励む姿も、これまた私の中の「夏の日常」だ。
小学生の頃は、当たり前の風景だったこの台所も、今では少し違って見える。
今年、91歳になったばーちゃん。いつまでこの姿を見られるのかと思うと、ほんの少し切なさがこみ上げてくる。
少しずつ減る、でも続く
90歳を超えたばーちゃんは、少しずついろいろなことから手を引いている。漬物や梅漬け、梅酒をつけることも、最近はやめてしまった。
漬物石は重たいし、膝にくる。梅も拾って軸を取ったり、何度も干しては入れて、が大変になってくるのだ。
もともと看護師だったばーちゃん。自分で体のことを考え、無理をしないようにしているのだ。
でも、それでも台所には立ち続けている。「何か美味しいものを孫に」と、今年もばーちゃんの手料理を楽しむ、わたしの夏がやってきた。
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「台所に立つ」ばーちゃん、その姿は私にとって特別で、夏の終わりが近づくたびに、もう少しこの光景が続けばいいなと思う。
ばーちゃんが台所に立つ背中を見られる夏が、少しでも長く続いてほしい。
やがて、その役目を私が受け継ぐ日が来るのかもしれない。その時、ばーちゃんには私の後ろ姿を見てほしい、、、とも思うのだ。
感謝とともに過ごす夏
今年も無事にばーちゃんと過ごせた夏。実はここ数年、じーちゃんが病死をしたり、ばーちゃん自身にもいろいろあった。本当に色々あったのだ。
しかし、変わらず元気でいてくれることが何よりも嬉しい。特別な何かがなくても、こうして一緒にいられること、それが私にとっての「夏の一コマ」だ。
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