メンタルを回復するには「自分で自分を受け入れる」しかない。のか?

病みからの回復って結局は自分で自分を受け入れてなんとかしないといけないんだな、という境地にたどり着く。自分や他者(社会)に期待をし続けるうちは病みが終わらない。
自分は何者にもなれないんだなという絶望を超えたその先の無常の空間が、希死念慮から離れた「死なないための場」になる。

夜中にネットや動画を漁っている時、「何かがある」と期待してしまう。自分をなんとかしてくれる何かがあると思ってしまう。だがいずれ気づいてしまうのだ、そこに一発逆転できる「解答」はなく、「世の中なんてそんなもん」という面白くないものしかないと。
普通に生きて生活することが病まない道のりなのだろう。一攫千金を夢見て、人気者になることに憧れてあれやこれやとやってきた結果、「自分はそうはなれない」と気づいた時の絶望が人を病ませる。さらには普通ですら困難な「自分」であることにも苦しみを増幅させる。仕事に行くことも学校に行くことも、人から愛されることも生活費を稼ぐことも、子を育てることも家族を愛することも、それが普通として遂行することができない自分がいる。自分に絶望すると人は病む。社会が悪いと思いながら、結局普通でない自分の責任にされる。
私が悪いから私がなんとかしなきゃいけないのに、私は普通のことすら出来ていない。自分で自分を受け入れて社会とは、人生とはこういうものだと受け止めた先に回復がある。

そんなものクソ食らえだと言えたら強くなれるのかもしれないんだけど。そもそも言えてたらこんなに病んでないかもしれないし。

「そんなあなたを愛します」

そう言われるだけで生きていけるのに。

独りはつらいよ。


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