再び、「不立文字」は私を奮い立たせてくれる……
宗旦の息子の一人が大名に仕官することになった。宗旦は旅立つ息子に言葉を贈った。
「利休からは何も教えられていません。私はお点前を、ただ見ていただけです。ですから、これからは殿とともに学んで行きたいと存知ます、と挨拶しなさい」
と息子に言い含めて送り出した。
確かに利休は茶道の教えを書物にして残したりしなかった。文字として残っている彼の茶道に関する考えは、弟子や他の者が書き記したものばかりである。
茶道の基本は、
「不立文字」(ふりゆうもんじ)
である。文字では伝わらないのである。
やはり、「共に学びましょう」なのであろう。
しかし、記録がないのも困ったものである。
宗旦が関わった大事な茶会の茶会記のありかが全くわからない。本人も、生涯で14回分の茶会記しか書き残していない。たとえ残っていたとしても、宗旦の茶会に招かれた人が、客の側から書いたものである。
ある意味、「不立文字」を自ら実践して見せていたようなものである。
宗旦が催した茶会。今書いている小説の重要な部分を占めている。その茶会をどこまて描写できるかが、私の取材力と筆力が試されるところである。
私が、宗旦が主催した茶会について調べている事を、私が通っている茶道教室の先生も知っている。お稽古で先生にお会いすると、
「カゲロウさん。その後、お茶会のお道具立ては、決まりましたか?」
と、揶揄される始末。
「作家の一作目は彼の人生の記憶で書ける。二作目は想像力で書ける。三作目が、作家の本当の力が試される」
と、私は二十代のころから心に刻んできた。もう、つまらない作品を何本書いてきたかわからない。最後は取材力と描写力だと信じている。
当然、これを読んでいる人の中には異論を唱える人もいるだろう。しかし、そこはあえて反論はしない。それは、自分で体験してみないとわからない。自分の考えるところを実践して継続していくのみである。