「恋歌の掛け軸は必ず用いず」 小堀遠州から千宗旦への変遷は、彼をどう変えたか……
「宗旦四天王」の一人である山田 宗徧(やまだ そうへん)という茶人は江戸時代前期の人。最初は小堀遠州に師事し、のちに千宗旦に学んだ。小堀遠州は利休の七哲の一人である古田織部の弟子で、武家の茶道を発展させた人。千宗旦は千家三代目である。
山田宗遍は、延宝八年(一六八〇)に茶道の根本資料として「茶道要録」をまとめ、利休百年忌の元禄三年(一六九〇)に刊行された。この書は「千家作法の入門書」であり、「茶道人口の増大に伴う初心者の要望にこたえて出版されたもの」といわれている。
その中には以下の様な一文がある。(※以下は「茶道要録」の一部の意訳)
掛軸においては墨蹟を掛けるのが一番よいとされています。しかし、名僧の要文、要語といっても茶会の亭主の考えによって、使うか使わないを決めるべきです。
また、同じ掛け軸でも古の名将の詩歌、さらには名僧の歌、色紙、短冊、公家の門跡の詩歌、特に真筆を用いることは、非常に良い掛け軸なのですが、絶対とは言えません。最終的な判断は、各々の考えによるものです。
また、人の生き方を説いた道歌を好むあまりに、恋の歌は絶対に用いてはならないと言われますが、本当にそうでしょうか。一方的に恋歌は、茶会の席には似つかわしくないと決めつけて良いでしょうか。
「宗旦四天王」の一人である山田宗徧は「恋歌とてそんなに嫌うものではない」と語っている。山田は宗旦の門下の中でも、意見を異にしていた。
古の茶人たちの中にも、
「恋歌を全て排除するのはおかしい」
とし、その場の、
「茶趣味によるべき」
とする意見もあった。
恋歌が多いにも関わらず「古典文学は茶道の基礎教養」と言われる。それでいて「茶禅一味」といい、「茶道に恋歌は合わない」という。では、基礎教養という「古典文学」からは、茶道のために何を学べば良いのか。
新たな飛躍のための糧を、茶道は私に与えてくれたようだ。