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茶を飲む時の、武士の覚悟

 伊達政宗が、「綺麗さび」の小堀遠州に語った。
「利休と織部の茶にあって、お主の茶に無いのは、罪業の深さだ。茶は己の罪の深さを知って許されることを願い、また、人を許すことを誓って飲む物だ。己に罪なしと悟り澄ました顔で飲むのは、茶ではない」


 武士が茶を飲む時に無くてはならない覚悟を、歴史小説家の葉室麟が伊達政宗に語らせた。流石に、深い。こんなに深い覚悟をもって一碗の抹茶を飲んだことはない。 
 そう思った瞬間、厳しくも優しい美人のおっしょさんの茶を飲む時の所作が、鮮明に脳裏に蘇って来た。
 あのような深い所作で、一碗のお茶を飲むことなど、わたしには死ぬ間際でしかできないだろう、と思った。どんな修練を積めば、あんなに殺気に満ちて、それでいて周囲を魅了する飲み方が出来るのか、誰かわかる人がいたら、教えて欲しい。

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