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「澗水湛えて〜」、字面のままに涼を味わうのが、一番!

「カゲロウさんは、茶箱の準備を一人でできないの?」
 水屋で講師の方の手を借りながらお稽古の茶箱の準備をしていた私に、容赦のない先生の声が、お茶室から聞こえてきた。思わず手が止まってしまった。そして講師の男性と目が合い、私は苦笑いを浮かべた。
 幸いなことに茶箱のお稽古は先生ご自身では無く、もう一人の男性講師の方が担当だった。
 そうはいっても、流れる様なお点前とは行かない。講師の男性とアイコンタクトを取りながら、なんとかお点前は進んで行った。私たち二人のコンビネーションを、離れたところから先生は、一切漏らさずに見ていたことだろう。緊張のうちに、大きな失敗もなくお稽古は終了した。
 この日の掛け軸は、
「澗水湛えて藍の如し」
 澗水(かんすい)は谷川の淵の緩やかな流れである。深みのある流れはゆっくりと流れ、青味を帯びている。しかし、水は上流から流れてくる水と次々と入れ替わって、一時たりとも同じ水が止まっていない。また、風が吹けば波立って色も変わる。刹那の中に永遠を見出し、永遠の中に刹那を見出す。見出すものは法性であり、悟りである。
 先生はたぶん、軸の言葉の中に「涼」を見出し真夏のお稽古、暑い中、ご苦労様という気持ちからお軸を選ばれたのだろう。
 しかし、ここは深読みして、暑さの中に涼を見出し、涼の中に暑さを感じる、と読んでみようか。あまり意味を感じない。やはりここは、お軸の字面のままに、素直に涼を感じるのが一番しっくりいきそうだし、座りが良い。深読みばかりが良いわけではなさそうだ。
「カゲロウさん、茶箱の準備、一人でできないの?」
 これも深読みせずに、そのまま努力目標と受け取った方が、座りが良さそうだ。


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カゲロウノヨル
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