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歴史学者に問い合わせてくれた師匠の心意気に、感謝!

 江戸時代初期のとある高貴なお方に、千宗旦が茶会を開いて献茶した。その時の茶会記が手に入らないものかと思案した挙句、茶道教室の先生に相談のメールを送った。この件について三度目くらいの問い合わせと「お知恵拝借」のメールだった。
 先日のお茶のお稽古の時、教室に辿り着いた順番は五、六番目くらいだったのだが、
「カゲロウさん、濃茶のお客さんね」
「えっ? 順番は後の方なんですけど」
 と言ったのだが、
「いいの。そこに座って」
 と言われて客座に着いた。すると、姉弟子がお点前の準備をしている間、くだんの茶会記の話になった。
「この間の茶会記のお話、家元の歴史担当の先生にお聞きしたの。そしたら、意外な答えが返って来たの」
「家元の偉い先生に問い合わせたんですか!」

 その偉い先生は、まさに裏千家の歴史や古文書の研究をしていて、著書も沢山ある先生である。
「その先生がおっしゃるには、江戸時代初期で元禄以前だと、ちゃんとした茶会記が残っていないことが多い、とのお話しでした。その先生も、あなたがお探しになっている茶会記は、目にしたことがないとおっしゃってました」
「先生。そこまで調べてくださったんですか。申し訳ありませんでした」
「青漆爪紅及台子も、宗旦から姫様に献上されたことになっていますが、宗旦の案ではなく、姫様がご所望なさったのかも知れないともおっしゃってました」
「まさに。貧乏宗旦に発想はあったとしても、それをわざわざ新調したかどうかは難しいところ」
「ですから、歴史の先生がおっしゃるには、自由な発想で当時のお茶会をイメージしても大丈夫でしょう、ともおっしゃってました」
「記録がなくて詳しいことはわからないということがわかったことは、重大な発見です。大いに勇気づけられました。最近、その時に使われた棗は、蓋に菊の御紋が描かれた大棗だったのではないか、ということを突き止めました」
「甲が菊の紋様ね」
「甲、とは何ですか?」
「カゲロウさん、棗の甲をご存知ないのですか。では今まで、お棗の蓋を帛紗で拭いて、と言ってましたっけ?」
「いや。なんというか、コウ拭いてと。コウいう風に拭いてと、拭き方を説明しているのかと思って聞いてました」
「甲とは、棗の蓋の事ですよ。あらまぁ、そうでしたか。ホッホッホッホ」
 と、また綺麗な妹弟子たちの前で、先生のネタにされてしまったのでした。
 幸せな時間は、すぐに過ぎて行きました。

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