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マギステル・ザカリアス

この作品は、音楽の全歴史を通じてのリズムの複雑さの頂点を示すものと言えるかもしれない。

Willi Apel, The Notation of Polyphonic Music 900–1600, 1941.

『モデナ写本』収録の、Magister Zacharias《Sumite karissimi》についての上掲のアーペルの言は、楽譜を一瞥するだけでも納得がいくところでしょう。この賑やかな譜面は、もはや現代譜では適切に表現することが困難です。

Modena Codex, 11v

Sumite karissimi,
Capud de remulo, patres,

取れ、親愛なる人
ロムルスの首を、父よ

Caniteque, musici
Idem de consule, fratres,

歌え、音楽を
執政も同じく、兄弟よ

Et de iumento ventrem,
De gurgida pedem,
De nuptiis ventrem
Capud de oveque
Pedem de leone: milles

牝馬の腹
渦巻きの足
婚礼の腹
雌羊の頭
獅子の足を千度

Cum in omnibus
Zacharias salutes.

これらをもって
ザカリアスの挨拶と致す

この意味不明なラテン語の歌詞は謎掛けで、 ロムルスの首(remulo)、執政の首(consule)、牝馬の腹(iumento)、渦巻きの足(gurgida)、婚礼の腹(nuptiis)、雌羊の首(oveque)、獅子の足(leone)、これらを合わせて、“reconmendatione”(推薦)✕1000

たぶん就職活動のために提出した作品なのでしょう。

このふざけた曲を作ったザカリアス師こと Zacara da Teramo(c.1350-1413)は、本名を Antonio di Berardo di Andrea de Teramo といい、Zacara は渾名で「泥しぶき」の意。これには小さなもの、取るに足らないもの、といった意味もあります。失われた死者台帳によれば、彼はひどく背が低かったとのこと。また両手両足合わせた指の数が10本しかなかったとされ、そのことは『スクアルチャルーピ写本』(I-Fl MS Mediceo Palatino 87)にある彼の肖像画にも示されています。この写本の成立は彼の存命時であった可能性が高いので、この絵は彼の容貌を割りと忠実に伝えているのかもしれません。

Squarcialupi codex, f. 175v

ザカーラは多分テーラモの出身で間違いないと思われますが、記録上の初出は1390年1月5日、ローマでサント・スピリト・イン・サッシアの孤児院の音楽教師に任命されたときのもので、その契約書で彼は「有名な歌手、書家、挿絵画家」とされています。そして、1391年2月1日に、ザカーラはローマ教皇ボニファティウス9世の秘書官に任命されています。

時は教会大分裂時代、教皇はローマだけでなく、アヴィニョンでもベネディクトゥス13世が教皇を名乗っていました。彼は元アラゴン枢機卿で、つまりジャコブ・サンレーシュが仕えていた人です。

この状況に終止符を打つため、1409年のピサ公会議では両教皇を廃した上でミラノ大司教をアレクサンデル5世として新たな教皇とすることになりました。しかしローマとアビニョンの教皇はどちらもこれを拒否し、結果3人の教皇が同時に存在する事態となり、ますます収集がつかなくなります。このアレクサンデル5世にはマッテオ・ダ・ペルージャが仕えていました。

アレクサンデル5世は1年もせずに亡くなり、公会議派の教皇は、かなり怪しい人物であるヨハネス23世が後を継ぐわけですが、ペルージャは彼には仕えなかったようです。代わりにどういうわけかザカーラが彼の元に居ました。

コンスタンツ公会議への途上アールベルクで事故に遭うヨハネス23世(『リヒエンタール年代記』)

《Sumite karissimi》は、多分ヨハネス23世に捧げたものでしょう。この軍人上がりの教皇と、不具の異端音楽家の組み合わせは、実に胡散臭いので、誰か彼らを題材に小説でも書いてくれませんか。

ペルージア市立アウグスタ図書館所蔵の『マンチーニ写本』(I-PEc MS 3065)に収録されているザカーラの2声のバッラータ《Deus Deorum Pluto or te regratio》は、このふたりが歌うのに相応しい曲です。冥王プルートーと冥界の住人たちを賛美する地獄の信仰告白。

Mancini Codex, LVIIIv
Mancini Codex, LVIIII

Deus deorum pluto, or te rengratio,
Mille merçé, Gebelles, Demorgon:
Non dirò più barbam barbam aaron,
Poy che so reintegrato et de luy satio.

神の中の神、プルートーよ、汝に感謝し奉る
キュベレーよ 、デモゴルゴンよ、千の慈悲を
“ばるばむ、ばるばむ、ああろん” とは、もはや唱えず
我は立ち戻り、彼に倦みしが故に

Serà in eternum el nostro laudatio
De la vendetta et de tanta iustitia.

我は永遠の賛美を捧げん
復讐と全き裁きのために

Or superete l’auro e’l topatio,
Che per nessun conmessa c’è pigritia.

汝には黄金もトパーズも及ばず
けして怠惰を認めぬ故

Io so’ in possession a gran leticia,
Servo serò de cacus radamanto:
Rengratiando ognun tanto per tanto
Presta iusticia in pocho tempo et spatio.

我は大いなる幸福のうちに
カクスとラダマントゥスの下僕とならん
更に更なる感謝を各々に捧げん
ささやかな時と空間における速やかな裁きの故に

さらにザカーラは、この曲をあろうことかミサのクレドに転用しています(I-Bc Q.15, “Zacar deus deorum”)。罰当たりもここに極まれり。

I-Bc Q.15, 75
I-Bc Q.15, 75v


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