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鍵盤楽器音楽の歴史(52)ルイ・クープランのオルガン作品
ルイ・クープランのオルガン曲のほとんどを独占的に収録するオールダム写本の封印が解けてもう4半世紀にもなりますが、相変わらずルイ・クープランのオルガン曲はめったに演奏されていません。
彼のオルガン曲ははっきりいって地味です。クラヴサンのあの輝かしい天才ルイ・クープランとはほとんど別人の作に思えます。
ついでにいえば、満を持して発売されたモロニーによるオルガン曲全集(1995年録音)の演奏がぱっとしないものだったのも未だに影響を及ぼしているんじゃないかと思います。学術的というよりは単に弱々しい演奏で、最高の楽器を使いながらもレジストレーションがなんかいまいちですし。
しかし未だに全曲録音というのは他に見当たらず、音源としては相変わらずこれを参照せざるを得ません。
グレン・ウィルソンはルイ・クープランに帰属されているクラヴサン音楽とオルガン音楽のあまりの隔たりの大きさから、これらを同一人物の作品とは認めず、ルイ・クープランの作品として知られているクラヴサン曲を下の弟のシャルル・クープランのものとする説を提唱しています。
https://www.breitkopf.com/assets/pdf/EB8705_Early_Keyboard.pdf
Charles Couperin et la seconde fille de Claude Lefebvre, Claude Lefèbvre, c. 1670.
ルイ・クープランは作品を出版しておらず、作品は手稿譜のみで伝わっており、それらはいずれもファーストネームなしの "Couperin" としか記されていない為、この様な推測の余地が生じます。しかしウィルソンの主張の一部には頷ける部分があるものの、クラヴサン作品全てをシャルルに押し付けるのは流石に無理があるのではないでしょうか。
思うにルイ・クープランは典礼のためのオルガン音楽と、世俗のクラヴサン音楽とを分けて考えていたのだと思います。後のフランソワ・クープランの作品でもそうですが、フランスではオルガンとクラヴサンの音楽様式は明確に区別されていました。
ルイ・クープランのオルガン曲は対位法的な作品が主体で、クラヴサン曲に比べてまったく古風ですが、しかしながら如何にもルネサンス然としたティトゥルーズのそれとは違う新しい世界に踏み出しています。
1654年の日付を持つルイ・クープランの唯一のオルガンのためのプレリュードは《別の曲集、大オルガン曲集のプレリュード Prelude Autre Livre, Grand Livre d’Orgue》OL 46 という興味深い題名が付けられています。これは未知のルイ・クープランのオルガン曲集の存在を示唆するものなのでしょうか。
とまれこのプレリュードはアテニャン以来1世紀ぶりに現れたフランスのオルガンのためのプレリュードですが、《Fantaisie "Duretez"》OL 1 (1650) と同じく、イタリアの影響を感じさせる極めて大胆な和声による傑作で、ルイ・クープランのオルガン曲の中でも最高の出来栄えを示します。とりあえずこの曲だけでも少しは知られてほしいものです。
現存するルイ・クープランのオルガン作品約70曲のうち、聖歌を基にした作品以外では、ファンタジーとフーガがほとんどを占めています。ファンタジーは音楽内容的に特に定まったものはなく、フーガという題は日付が後の対位法的作品でファンタジーに替わって用いられています。
彼のオルガン曲にはレジストレーションの指示を持つものが結構あります。これはフランスのオルガン曲ならではの慣習となるもので、ルイ・クープランはその嚆矢です。《Fugue sur la Tierce du Grand Clavier》OL 63 (1656) は、主オルガンの Tierce 1 3/5' を使用したリード的な音色を指定しています。
実のところ、ルイ・クープランの職場であるサン・ジェルヴェ教会のオルガンは、彼の就任時には主オルガンにしか Tierce がありませんでした。したがってポジティフの Tierce を使う "Tierce en Taille" のようなことはできなかったのです。1659年には、おそらくルイ・クープランの意見も汲んで、ポジティフへの Tierce の追加を含めた大幅な改修がされています。
その後の度重なる改修によって、現在のサン・ジェルヴェ教会のオルガンに残っている17世紀当時のパイプは全体の半分以下といったところです。
第一次世界大戦時にはドイツの超長距離列車砲、通称「パリ砲」の至近弾を受けるという災難にも遭いました。パリ砲の砲身長は36mで約118フィートといいますから、オルガンのパイプにすれば Montre 8' の4オクターヴ下で約5Hz程度の超低音が出せますね。
レジストレーションの指定がなくとも自ずとわかるものもあります。《Fantaisie》OL 12 (n.d.) は右手の和音の下で低音の旋律が目まぐるしく動くという曲で、明らかに後の "Basse de Cromhorne" や "Basse de Trompette" と同系統の音楽です。レジストレーションもそれに準じたものと考えて良いでしょう。
ルイ・クープランのオルガン曲は、ユニークで活気ある旋律を特徴とするものが多く、この作品でも非常に大きな音程の跳躍が目立ちます。これはどちらかというと弦楽器的な発想であり、彼のヴィオール奏者としての経験に由来するものかもしれません。
《Fantaisie》OL 15 (1656) と《Duo》OL 16 (n.d.) は何故かボーアン写本にも載っています。これらはオールダム写本が公開されていなかった頃にも知られていたルイ・クープランのオルガン曲です。OL 15 はこれも「バス」型の作品。その末尾に見える "a Paris au mois de Decembre 1656" というのはボーアン写本の数少ない日付情報の一つです。
Ms. Bauyn, vol. 2, f. 59
非常に珍しい例として、《Urbs Beata Jherusalem en Haulte Contre avec le poulce droict ou en trio》OL 5 (1657) は、グレゴリオ聖歌の《祝福されしエルサレム》を定旋律とした作品ですが、右手の親指で下の鍵盤を弾く「3つの手」技法を指示しています。これには3段の手鍵盤が必要ですが、当時のサン・ジェルヴェのオルガンには1628年の改修によって Cornet のレシ鍵盤が備えられていました。
オールダム写本以外で伝わるルイ・クープランのオルガン曲としては、アンドレ・ダニカン・フィリドール『Recueil de plusieurs vieux airs』(1690) 収録の《カリヨン Carillons》があります。
「パリのカリヨンを模してクープラン氏が作った曲、万聖節と万霊節の晩課の間にサン・ジェルヴェのオルガンで常に演奏されてきた Piesce qui a esté faitte par Mr Couprins pour Contrefaire les Carillons de paris et qui a toujours esté jouez sur l'orgue de Saint-Gervais entre les vespres de la Toussins et celles des Morts」と説明のあるこの曲は、実に素朴なものですが、当時の雰囲気を偲ばせます。サン・ジェルヴェのオルガニストという職と共に、この曲はクープラン家に代々受け継がれていったのでしょう。
André Danican Philidor l'ainé, Recueil de plusieurs vieux airs, 1690, p. 71.