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鍵盤楽器音楽の歴史

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記事一覧

ロンドンの神童、フィールドとピント(199)

ジョン・フィールド(1782-1837)は、1782年7月26日にアイルランドのダブリンで、ヴァイオリニ…

影踏丸
2週間前
3

フランツ・リスト編『ジョン・フィールド:6つのノクターン』序文翻訳(198)

 この度、フィールドの六つのノクターンが初めてまとまった形で出版されたことは、これらの親…

影踏丸
3週間前
16

クレメンティのピアノ(197)

1767年、クレメンティがベックフォードに買われてイギリスに来た頃、ジェームズ・ロングマンが…

影踏丸
1か月前
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イギリス式グランド・ピアノ(196)

クレメンティは弟子のインタビューで彼が歌うような鍵盤奏法を確立した要因の一つに「Englisch…

影踏丸
1か月前
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クレメンティとモーツァルト(195)

1781年のクリスマス・イヴのこと、後のロシア皇帝パーヴェル1世と妻のマリア・フョードロヴナ…

影踏丸
2か月前
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スペインの初期ピアノとアルベロのソナタ(194)

フィレンツェのバルトロメオ・クリストフォリ(1655-1731)の発明したピアノは、当時イタリア…

影踏丸
3か月前
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モーツァルトとフーガ(193)

イギリスのバッハことヨハン・クリスティアン・バッハが46歳で亡くなったのは1782年1月1日のことなので流石に遅すぎる話題ではないでしょうか。 J.C.バッハの晩年は人気が低迷しコンサートは赤字続き、さらには肺を病んで闘病生活を送り、挙句の果てには召使いに全財産を騙し盗られるなど悲運に満ちたものでした。 モーツァルトは幼時よりJ.C.バッハを敬愛し、多くを彼から学びましたが、しかしその父であるJ.S.バッハについては何も教わらなかったようです。彼が『平均律クラヴィーア曲集

モーツァルトの弾いたピアノ⑤:ペダル・ピアノとクラヴィコード(192)

1 span = 9 inch = 22.86 cm この父レオポルトの手紙にあるように、モーツァルト愛用のヴァル…

影踏丸
4か月前
12

モーツァルトの弾いたピアノ④:「モーツァルトのピアノ」の謎(191)

モーツァルトが生涯で唯一所有したピアノは、ウィーンのピアノ職人アントン・ヴァルター Anton…

影踏丸
5か月前
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ギロチンとピアノ(190)

1793年10月16日のマリー・アントワネットの処刑の直後にロンドンで出版された、デュセックのピ…

影踏丸
5か月前
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マリー・アントワネットのピアノ(189)

この有名な逸話は、モーツァルトの妻のコンスタンツェの再婚相手であるゲオルク・ニコラウス・…

影踏丸
5か月前
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モーツァルトの弾いたピアノ③:アンシャン・レジームのピアノ事情(188)

1778年の3月から9月にかけてモーツァルトは求職活動のためにパリを訪れています。この三度目の…

影踏丸
5か月前
16

モーツァルトの弾いたピアノ②:シュタインの発明(187)

次は手紙の本題であるところのシュタインのピアノです。 クリスティーネ・ショルンスハイム『…

影踏丸
6か月前
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モーツァルトの弾いたピアノ①:シュペートの “Pandaleon-Clavecin”(186)

モーツァルトとピアノと言うと必ず引き合いに出される、この1777年10月17日のモーツァルト(当時21歳)が父親に宛てた手紙ですが、楽器の説明としてはなんとも要領を得ない文章でもあります。 シュペート  Franz Jakob Späth (1714 - 1786) はレーゲンスブルク(ラティスボン)のオルガン及びクラヴィーア職人で、彼は主にタンジェント・ピアノの発明と製造で知られています。既に何度か触れてきたように、これは細長い木片を飛ばして打弦する鍵盤楽器で、18世紀末