近藤ようこ「水鏡綺譚」 を読んで
近藤ようこ氏は好きな漫画家の一人で、杉浦日向子氏亡き後は氏の作品を読むのが楽しみになっている。
本屋は入れ替えが早い。多少古めでもネットでは売っているのでありがたい。氏の作品で、家柄と金で昔から婚姻を決められた許嫁を捨てて、猿使いの少年と心通わせ共に旅に出る少女の話があった。その時の二人と似た姿をした少年少女の姿が表紙絵にあったので、その後の話かと思い購入したが、そうではなかった。
記憶を失った赤子のような少女を盗賊から助け出した修行中の少年は、二人で旅を続ける。旅の途中で囚われたり化け物に遭遇したりと困難を極めるが、少女の魂が宿る鏡を見つけ少女は正気にかえる。そして二人は…。
一つ一つの話は自分の好みにあっていて引き込まれたがラストがどうにも腑に落ちなかった。なんとなくもやもやとした気持ちのまま本棚に入れておいた。先日、再び取り出して読んでみた。それで思った。
これは別れてそれぞれ生きるための物語なのだと。
このような解釈をしたのも、駆け落ちした少年少女の話を読んでいたからだ。これは二人で生きる話だった。設定は違うが似たような形をした少年少女が「水鏡綺譚」ではそれぞれの道を別々に生きることになる。
共に生きるか、別れて自分の道を生きるか、どちらをとっても生きることには相違ないのだ。自分以外の他者と関わることで、はじめて自分の真の生き方を見つけられるものなのかもしれない。どちらの話もすんなり自分の中に落ちてくる。少年も少女も、それぞれが見た夢のように思えた。共に生きるのでなければ、その存在は夢のように儚いものだ。
掲載当時は評判にもならず不評だったとあり、面白いのにと意外だった。何が良くて何が良くないのかは時の運もかなりあるような気がする。
氏の作品を一冊の本にまとめてくれる編集さんがいてくれてよかった。自分のように後から手に取る読者も存在する。