花風

興味の趣くまま好きなように書いています。時々俳句。読んで楽しんでいただければ幸いです。スキ、フォロー、マガジン追加などありがとうございます。

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  • みん俳:旬杯 審査員賞、私設賞などなど

    身に過ぎた賞をたくさんいただきました。また、楽しい工夫も寄せていただき、創造の輪が広がるのはとても楽しい体験でした。お礼の意味を込めてまとめました。ありがとうございます。

最近の記事

室井慎次「敗れざる者」「生き続ける者」

踊る大捜査線のファンならたまらないのではないでしょうか。懐かしさにつられて見に行って参りました。インディジョーンズみたいにがっかりしないといいなぁと思いつつ。 まず、風景が綺麗だった。観光地のように作られた風景ではなくそこに住んでいる者が日常的に見るであろう風景。 もちろん映画ですからどこかに作り物は入り込んではいるのでしょうが、とにかく風景が美しい。そこに住んで暮らしている人がいるんだろうと思わせる。 室井慎次は田舎の山奥で二人の子供の里親になり暮らしている。野菜を育

    • 審判

      「ここからは靴を脱ぎ裸足で。」 促され私は戸惑いつつ使者の顔を見た。無表情で親しみのない顔。物腰だけは丁寧でそつがない。なおもわたしが躊躇っていると、再び促す。 私はのろのろと靴を脱ぎ靴下を捨てた。できるだけ時間を稼ぎたかった。使者の顔にはなんの変化もない。どれほどの時間を費やしても彼らの命令から逃れることはできない。 私は目の前の細い道を見つめた。石畳の繋ぎ目からは硫黄の臭いがする。シュウシュウと煙を吐き出すその道を私は裸足で歩いて渡らなければならない。 「前へ。」

      • 俳句はそろそろいいかなぁと思いつつ続けてるという謎

        俳句に関わって三年。昔の作品に比べれば少しは俳句らしくなってきたように思う。少しは俳句らしい形になったような気がする。俳句は慣れでしかないと思う。仕事を覚えるのと同じ。 俳句には、心から感嘆し共感するものもあればよく意味がわからないものもある。作者によって個性がある。抒情的だったり現代風だったり。激しかったり穏やかだったり。古めかしかったり尖っていたり飄々としていたり。こういうところが面白い。 作品はその人そのものなのだろう。個性的であるということは面白みがあるということ

        • 世の中が変わるにつれ自分も変わっていくものなのだ

          自分が好むと好まざるに関わらず、世の中とは自分の思惑など考慮せずに変わっていくものなのだなぁ、とつくづく思う。 若者が政治に関心をもたないと嘆く風潮があるが、最近はそうでもないように思う。それどころか、若い人はいかようにも煽動されやすいのではないかと危惧すら覚える。もちろん余計なお世話だ。若い人プラス政治、というとどうしてもヒットラーユーゲントとか紅衛兵とか連想する。経験値が少なく熱しやすく一途なところは好ましくも心配だ。大丈夫なのかと心配しちゃうのは歳のせいなのだ。 大

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        • みん俳:旬杯 審査員賞、私設賞などなど
          22本

        記事

          何十年も前、小さな衝撃を受けた話

          フォローしてる方が東京を訪れた記事をupしていたので。奇しくも、東京へ行った時のことを思い出していたので書くことにします。 フォロワーさんのように確とした目的があるわけではなくなんとなく東京の喧騒に紛れたくて、コロナ前は年に数回上京しては、本屋を巡ったり美術館や博物館を見て回ったりしていました。大抵、三日目には人の多さと複雑に入り組んだ街の広さに打ちのめされて帰りたくなるのですが。 話は戻ります。これは、まだ若い頃の話。移動中のバスでの出来事。 後ろで若い女性二人が話し

          何十年も前、小さな衝撃を受けた話

          俳句365のお題「八月」

          俳句365に投稿を始めてから久しい。夏井いつき先生がなんと無料で句を選出してくれるというありがたい場所である。 無料のところはいい加減で勉強にならない、という意見があるが、では有料でそれに見合った指導が受けられるかというと?である。指導者によるのかもしれないが。 兼題は初めて知るものばかりで勉強になる。いまだに自由に作れ、と言われるとよほど興が乗らない限り頭を抱える。自由は難しい。何もないところから作るのは悩ましい。 じゃ、兼題はあった方がいいんだね?と言われるとそれも

          俳句365のお題「八月」

          2024note創作大賞中間発表がありました

          誰か知ってる名前があるかなぁと思い覗いてみたら、見知った名前がちらほら。人ごとながら嬉しい。 名前があった、なかったとの記事もあり興味深く読む。皆様の筆力は高くどの方も真摯だなぁと思う。応募して果たして入選するのかしないのかと結果を待つジリジリした気持ちは痛いほどわかる。 創作大賞の概要を斜め読みしてみると、即戦力!プロ志望者求む!なんだろうなぁと思う。 書いてることが自分の表現欲の発散でいいやと思う自分とは違う世界に生きる人達の話だ。 noteで書いている方々は、文章

          2024note創作大賞中間発表がありました

          筆力の低下は顕著であると思う今日この頃

          ありがたいことに、昔書いた作品にスキをつけてくださる奇特な方がいる。大抵、どんなことを書いたのか忘れているので改めて自分の書いた文章を読み直してみる。 ナンジャコレハ、と思う。よくこんなものを臆面もなく載せてるものだと思う。 だからと言って、今の文章が前より格段に良くなってる、とは思えない。むしろ下がっていると思ってる。 昔、退職された偉い人による講演会があった。現職時はカミソリのように切れ、部下に恐れられていた。言葉一つ一つに余計な躊躇なく鋭かった。 退職されてから

          筆力の低下は顕著であると思う今日この頃

          「エイリアン:ロムルス」を観る

          ホラーが苦手なのだが、たまに怖いものが見たくなる。神経が刺激されるのでリフレッシュに良いらしい。 若い人にはエイリアン?なんだそれ?なのだろうと思うが、当時登場した時のショックというものは結構大きかった。なんだかんだ言いながらもこのシリーズは見続けている。ファーストインプレッションとはかくも影響が大きいのかと思う。 大まかな筋立ては初回とほぼ同じ。エイリアンが待ち受けているところに入り込み、寄生され仲間が次々とやられていく中、主人公が奮闘する。 先に何が起こるのかだいた

          「エイリアン:ロムルス」を観る

          モフモフはなんでも可愛い

          蚕は人の手により改良された虫だ。紡ぐ繭は一本の糸でできており七十メートルにも及ぶ。 繭の中で蚕は蛹になる。それは孵化することがない。繭から出る前に絹糸を取るために煮られるからだ。煮沸される大量の繭からは動物的ななんとも言えない嫌な臭いが漂う。 成虫になった蚕の羽は飛ぶのに適さない。食物を取ることもない。口は食べるための機能を備えておらず退化している。そのまま2週間ほど生きて卵を産み一生を終える。ただ次に命を繋ぐために。 優美な触覚を持ち大きな複眼は愛らしく、ふさふさと白

          モフモフはなんでも可愛い

          俳句というわからないものをひねる試み

          俳句を始めて3年目。続けてよかったと思うことは、曲がりなりにも好きなように作れる兆しが出てきたこと。慣れるまでに3年かかった。必要な年月というのは、多分人によって違うのだと思う。 好きなように作った作品をそのまま掲載してくれるところにしばらく送ったことがあった。そこはあれこれコメントのやりとりをするわけでもなく論評もなく、本当にただただ掲載してくれるところ。 で、はたと気づく。レスポンスがないとつまらないのだと。評価も一つのレスポンス。 添削は、たいてい自分の持ってる型

          俳句というわからないものをひねる試み

          とりとめのない話をするね

          新デザインのお札が出回ってから久しいが、手元に来るまでには時間がかかる。先日、やっと新札の千円札を手にした。 しみじみ眺めてみて一回り小さくなったような気がした。あれ、サイズも変わったのかなと思い旧札と重ねてみる。サイズが違ってるようには思えない。なのに、小さくなったような軽くなったような気がする。2枚を並べてみてやっと違和感に気づいた。 以前は漢字表記であった額面が数字になっていたのだ。 壱千円が1000に。 おそらく世界を意識してわかりやすく数字表記にしたものだろ

          とりとめのない話をするね

          感想:「独り剣客 山辺久弥 おやこ見習い帖」を読んで

          フォローしてる方々が「面白かった!」「読んで良かった!」と感想を述べておりまして。ものぐさな自分も読んでみようと興味をそそられました。 noteにも素敵な文章を載せていらっしゃる笹目いく子さんの作品です。面白くないわけはありません。 普段、剣客ものも歴史ものも食指が動かないのですが、本作はストーリー展開の面白さに一気に読みました。以下勝手な感想です。的外れかも知れません。今のうちに謝っておきます😅 久弥は三味線の名手であり小牧藩主山辺伊豆守彰久の庶子である。市井の人とし

          感想:「独り剣客 山辺久弥 おやこ見習い帖」を読んで

          セカイノキタノの「首」

          北野監督の作品は暴力的なシーンが多くて好みではない。この人が役者として出演する作品は面白そうなので観てしまうのだが。 「座頭市」が海外でウケたのもなるほどなーと思うところがあった。そして「首」。 見終わってから、ああ日本人に見て欲しくて作った話じゃなくて海外ウケを狙ったんだろうなぁと思った。特に今年に入ってからそう思う。黒人の弥助に信長の首を取らせたところ、衆道関係を全面に押し出すあたり時流を先取りしたと思わざるを得ない。その時流も今後どう変化するのかわからないけれども。

          セカイノキタノの「首」

          戦争を知らず供物のバナナ食ふ

          季語:バナナ バナナ、子供の頃は高価なものでした。お金持ちの家の九官鳥がふんだんにバナナを与えられているのを見て、子供心に羨ましいと思ったようです。本人に記憶はないのですが。 戦前、戦中生まれは戦争を体験せずに済んだ世代から見ると逞しく深みが違うと思うことがままあります。理不尽に耐え生き延びた人達です。同じ時間を生きてはいても、自分の中にはない時間を生きてきたのだと思うと不思議な気持ちになります。 小学生が奇声を上げながら楽しげに小道を駆けて行きます。生きているのが楽し

          戦争を知らず供物のバナナ食ふ

          note4周年のお知らせが来た

          お知らせを貰い、ああ、8月に始めたのだったと思い出した。感慨深い。 初めの頃はショートショートらしきものを書いていたので、創作を主にする方の作品を読むことがが多かった。 今は同じ年代と思われる方の記事を読むことが多い。コメントのやり取りが致命的に下手なので、たまーにカキコするくらい。そんな淡いやり取りが性に合ってる。 既に社会的役割は果たした、と思う。昔ならとっくに死んでしまってる年齢になった。今の生は余録である。せこせこ生きてきたご褒美である。 これからさらに年を経

          note4周年のお知らせが来た