見出し画像

筆力の低下は顕著であると思う今日この頃

ありがたいことに、昔書いた作品にスキをつけてくださる奇特な方がいる。大抵、どんなことを書いたのか忘れているので改めて自分の書いた文章を読み直してみる。

ナンジャコレハ、と思う。よくこんなものを臆面もなく載せてるものだと思う。

だからと言って、今の文章が前より格段に良くなってる、とは思えない。むしろ下がっていると思ってる。

昔、退職された偉い人による講演会があった。現職時はカミソリのように切れ、部下に恐れられていた。言葉一つ一つに余計な躊躇なく鋭かった。

退職されてからの話は、ふやけていてとりとめがなかった。まだ若かった自分は、年をとると皆そうなるものなのだろうと思っていた。

実際の話、一線から退けば目的も責任も立場もない。現場の息吹に触れていなければ、話は明確さを欠きそぐわなくなっていくのは当然のことなのだ。

必要に迫られなければ、話は求心力を失い散らばっていく。それはとても練り上げられているとは言い難い。

質の悪いものを延々と書くのは、ひたすら自己満足と自己顕示欲のためでしかない。それはわかっている。ダラダラ書くのはどうなの?とは思えど、書くのは楽しみの一つだ。要するに、自分の欲のために書いているのである。自己研鑽の為、向上の為に書いている方々に比べてなんとさもしいことかと思う。素人だから、無料だから許してね、という甘ったれ根性が存在する。そうか、自分は甘ったれなのだと洞察する。

最近読んだ短い話がある。途中までは知らない話でふんふん、なるほどと興味深く読む。そして最後の一文ですとん、と落とす。

こういう話が書きたい、と思った。

長く書く体力気力がないので、短い話で最後の一文で横っ面を叩くような、そんな文章が書きたい。俳句に四苦八苦するのも短いから良いのだろう。

人はなんだかんだいっても最終的に自分に最適なものを探し当てるのかも知れない。

と、思う夏過ぎ去りし今日この頃。夏の疲れがどっと出てる頃。皆様、お身体に気をつけて十分お休み下さいませ。


いいなと思ったら応援しよう!