「不登校」が英語に
アメリカには不登校がない、と言われています。ないと言えば、語弊があるかもしれませんが、ないと言われる所以には、生徒がどのような教育を受けたいかという選択肢が日本より多いことがあります。
アメリカの高校で教えていると、今までホームスクーリングをしていたという生徒に会うことが何度かありました。「日本語を家で勉強するのは難しかったから、学校に通うことにした」というのです。結構気楽にホームスクーリングから変わってくるもんなんだな、と思いました。とてもよくできる生徒で、日本語もどんどん上達し、夏休みを利用して日本に行ったりと自分の興味関心のあることに注力することを楽しんでいる様子が微笑ましかったです。
ホームスクーリングを選ぶ背景には親の方針であったり、本人が一般的な学校では上手くいかなかったというような経緯があります。ホームスクーリングって難しいのかな、と思いきや、現代のインターネット社会、しかもアメリカのように教育コンテンツも溢れている中では、ホームスクーリングでの教材探しなど、困ることは特に見当たらないと保護者は話していました。また、ホームスクーリングをしていることに対して「特別感」がないのもよかったです。
教育を受ける権利が保障され、受ける方法に選択肢があると、自分への認識も「学校へ行くことができなかっかった」から「自分には○○の方があっていた」という自己認識にもつながります。個を大切にする西洋文化と、集団にあわせる日本の違いがあるのでしょうが、そこもシフトする時期に来ています。(もちろん日本流であっていいと思うのですが)
イギリスBBCの記事でついに日本の「不登校」が英語"futoko"として紹介されました。”tokokyohi"もあります。この記事によれば小学校から中学校に30日以上欠席している生徒数は2018年に164,528人で前年度の144,031人から2万人も増加しています。
「厳しい校則やみんなが同じことをする教育のスタイル」と「社会の流れ」が相反するものであることはもう議論の余地がないほど明らかです。発達障害として扱われてしまう数の生徒が近年増えているのもその反動とか。
このコロナショックで少しでも日本の学びのスタイルが変わっていくきっかけになればいいですね。