日本の国語教育って特別だったんだー!PISA学力試験にみる日本の国語教育🇯🇵
大学院のアドバイザーに教えてもらい、読んだ論文がとても面白かった。京都大学の高山敬太教授の論文で、実際にPISAの問題作成に関わった日本人の関係者にインタビューをしたことから分かったことが書かれていたものです。
まず最初に面白かったのは、日本の国語教育について。
- 本文の内容や筆者の気持ちに共感する日本の国語教育は独特である。
- 批判的志向で文章を読ませる、いわゆる「PISA型国語」とはまったく別物。
- 日本の国語授業では筆者や物語の登場人物に寄りそう教育であり、批判思考は重要視してこなかった。
という点。自分の受けてきた国語教育を思い出しても思い当たることがあるのですが、それが世界的に見て特異なものだとは、この論文を読むまで考えたこともありませんでした。もし、国語科の先生でこれを読んで頂いている方がいましたら是非コメントをいただきたいのですが、今の国語科のトレンドなどどうなんでしょう。これからは、PISA型重視になっていくのでしょうか。
あと、興味深かったのはPISAのテスト問題(国語)作成のプロセスと、日本人の関わりについて。
基本的にPISAの試験はどの文化圏であっても公平に受験することができるようバイアスのない試験内容であることが求められていますし、それをPISA側もセールスポイントにしています。そのため、文化的バイアスを排除することに最新の注意を払うと同時に、試験問題はなるべく沢山の国々から集めることになっています。
しかし、実際は、理事会役員のほとんどが欧米人だったり、採用された試験のほとんどが欧米諸国のものだったり、日本が提出した問題は全て没で、結局は原文が英語のものを使ったら採用されたり、アジア人にとって全くフェアじゃ無い状況がどんどんと明らかにされています。サザエさんの漫画を採用したら、そのユーモアを理解しようともせずに却下された話など、「ありそう」すぎて笑えるほどです。
文化的要素を完全に排除した文章をつくることは超至難の技であるようですが、実際、どうなんでしょう。数字や図が入ったような内容の文や、評論文みたいなものになるのでしょうか。
とにかく結局のところ、PISAのような世界的な学力試験で測れるのうりはある一定の型があって、逆に言うと今はそれしか測れないのだろうと思います。日本のように特異な文化圏はその型の外で生きてる事が多いので、その分野は今は測れないし測る必要もないと思うんですよね。世界的に共感力を測定する時代がきたら日本の出番かもしれませんが。
この論文の主な内容は以下の動画からも見られます。とっても面白いのでおすすめです。
京都大学の高山教授はオーストラリアの大学で教鞭をとられていて英語で精力的に論文を出されています。私のアメリカの大学院のアドバイザーが知っていたのも英語で論文を書かれていたからでしょう。日本人は基本的に英語で論文発表はあまりしませんから、珍しいパターンですよね。
最後に、もう一つ面白かったのが「学校にICT環境がないほどPISAのスコアが良い」と言う話。面白そですよね〜!
こちらは詳しくまた調べてみたいなと思います。