「生きる力」って何だっけ?
PISAのDeSeCo、ATC 21s、PS 21などグローバルコンピテンシーと対応すると言われているのが日本の生きる力。でも、日本の生きる力って何?
生きる力とはそもそも1996年の中教審「21世紀を展望したわが国の教育のあり方について」という諮問に対する第一次答申で以下のように述べられたのがきっかけであるそう。
我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力など自己教育力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を、[生きる力]と称することとし、知、徳、体、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
これをうけて、2000年から段階的に、総合的な学習の時間が創設され、2002年以降の学習指導要領では「ゆとり」の中で「生きる力を育む」、2011年以降の学習指導要領では「ゆとり」でも「詰め込み」でもなく「生きる力をよりいっそう育くむ」という方針が打ち出されています。
詳しくみてみると、2017年の改訂では3つの資質能力の柱が以下のように示されています。
① 学んだことを人生や社会に生かそうとする学びに向かう力、人間性
② 実際の社会や生活で生きて働く知識及び技能
③ 未知の状況にも対応できる思考力、判断力、表現力など
そして、今は、アクティブラーニングを活用することで「生きる力」をさらに育むことを目指している、といった感じです。
現場の感覚としては、この指針の影響力はほぼゼロ。日々の業務に忙しすぎて、そんなこと考える余裕もありません。知ったとしても、それが個人レベルで教師の授業スタイルにどれほど影響があるというでしょうか。
そもそも目の前にいる生徒に向かって「生きる力をつけるぞ!」なんて思って授業をしている教員は誰もいません。
私が欲しいのはこんな漠然とした指標ではなくて、生徒たちが本当にこれから生きて行く中で必要なことを授業で教えていることを証明できる盾のようなもの。例えば、授業でワークや教科書を使った「ふつう」の授業をしていなくても、「この授業は批判的思考力をつけるための授業です」とか「想像力を持って課題解決するための練習です」と伝えることで生徒、保護者、同僚や管理職が「あ、そうか。これから必要になる能力を育てるための授業か」と合点が行くためのもの。そうでなければ新しい教育的取り組みはできません。
「これは生きる力をつけるための授業です!」なんて言っても笑いが取れるぐらいで、実際は何も伝わらないのです。
そのために必要なのが21世紀スキルだと思っています。もちろん日本版の21世紀スキルは他の国のものや既存のものを真似するだけではいけませんが、少なくとも、「生きる力」よりは具体的かつ、グローバルに整合性のあるものでなければならなりません。
アクティブラーニングやICTを活用した授業はコロナ禍を経てもまだ「特別」な学校のもの感が抜けていません。世間が変わらなければ学校が変わることがない、と言うのが日本の今までのパターンですが、21世紀スキルについては、市民レベルから声が上がるのを待たずとして、もっと教育界で議論が深まればいいですね。