国際理解教育って何のこと?
国際理解教育って何でしょう?
皆さんの勤務されている学校や、お子さんが通われている学校では国際理解教育は実施されていますか?
そもそも国際理解教育って何でしょうか。
海外の学校や生徒と交流すること?外国語を学ぶこと?留学すること?
私は、考えれば考えるほど答えが分からなくなります。
文科省の定義
文科省の資料によると国際理解教育は以下のように書かれています。
「国際理解教育は、各教科、道徳、特別活動などのいずれを問わず推進されるべきものであり、・・・この教育(国際理解教育)を実りのあるものにするためには、単に知識理解にとどめることなく、体験的な学習や課題学習などをふんだんに取り入れて、実践的な態度や資質、能力を育成していく必要がある。・・・指導の在り方としては、国際理解教育が総合的な教育活動であることを踏まえて、・・・「総合的な学習の時間」を活用した取組も考えられよう。」
(平成8年『21世紀を展望した我が国の教育の在り方について』(中央教育審議会 審議のまとめ)より)
基本的には「総合的な学習の時間」を活用する際に取り入れることができるものとしての位置付けであるようです。
しかし、「総合的な学習の時間」で「国際理解教育」をしよう!となったところで、具体的にどのような活動を思い浮かべますか。
そして、どのような活動が「国際理解教育」であると皆さんは考えますか。
平和教育?
人権教育?
開発教育?
多文化共生教育?
異文化理解教育?
Googleで「国際理解教育」と検索するとGoogle Scholarでまずでて来る記事があります。明治大学特任教授の佐藤郡衛による「国際理解教育の現状と課題ー教育実践の新たな視点を求めて」という2007年の文献です。
日本における「国際理解教育」の流れを理解するために、以下にこの文献に従って少しまとめて見ました。
1970年代:ユネスコ主導型
日本の国際理解教育はユネスコの流れをくむ形で始まりました。主に、人権教育、平和教育などが主なテーマです。当時は日本のいくつかの学校がユネスコの協同学校計画というものに参加していたようです。ユネスコ主導ですから、教育目標や内容はユネスコによって明確に規定されています。実際のところは実情と理念がかけ離れすぎていたために長期継続には至りませんでした。
1980年代:開発教育、グローバル教育の導入
その後、国際理解教育は徐々に増えて来た海外・帰国児童生徒への教育、外国語教育、国際交流活動として捉えられていき、佐藤氏は「そのことにより国際教育が矮小化されていく傾向になった」書いています。
<国際理解教育とは…>
①ユネスコの流れを組む国際理解教育:人権教育、平和教育、民主主義教育
②開発・環境などのグローバルな課題に焦点を当てた教育
③現実的な課題に則した海外・帰国児童生徒教育
教師目線で言えば、③の帰国子女への対応などは目の前の生徒への対応として必要性が出て来たものですよね。国際理解教育への意味づけは後付けで発生したということろでしょうか。
1990年代:グローバル教育へ
80年代以降、徐々に「グローバル教育」という語彙が登場し、90年代にはキーワード化していきます。「国際化」が叫ばれ始めてから次に耳にするようになった言葉として記憶している方も多いのではないでしょうか。(グローバリズム、グローバリゼーションなど)
グローバル教育とは国際理解教育から派生した(そして派生したものをまた国際理解教育と呼ぶことでまた戻って来たようなイメージの)言葉として私は理解しました。また、視点が「国際理解」から「グローバル」に変化したことで、その教育目標にもただ単に異文化を理解するだけでなく地球市民としての視点が入るようになったと思っています。
大津和子(1994)は「グローバル教育」を「多文化が共存し、人々が互いに依存時合う地球社会の市民として必要な資質を育成する教育」と定義しており、従来の異文化理解教育、開発教育、環境教育、人権教育、平和教育を含むとしています。
そして、次に登場するのが総合的な学習の時間です。総合的な学習の時間の登場により国際理解教育を実践する場が(選択肢の一つとして)確保されることになります。
2000年以降:多文化共生から市民性の育成へ
総合的な学習の時間では、「生きる力」との関連性もありコミュニケーション力や表現力を伸ばすための教育として国際理解教育が活用される側面が多くなります。
また、教師が直面する問題としては外国人労働者の増加により外国人児童も増加したことにより多文化教育、多文化共生などの関連性が生まれて外国からの子どもたちへの市民教育などの視点が登場す市民性の育成などが登場します。
※ただし、これらの活動が外国人には親切にしよう、や差別はいけないなど「日本優位」の支配と服従の関係を維持させるためのものとしてとどまっているという指摘は注目すべき。
「国際理解教育」における課題
国際理解教育の変遷やを見てもわかるように、そして現場の先生方であればご経験からも分かるように、実際に何をもってして「国際理解教育」とするかの明確な定義は様々で、佐藤氏も「焦点が絞りにくい」としています。実際に、何が「よい国際理解教育か」についてはまだまだ解明されていません。
というか、問題は国際理解教育に関する定義や概念の変化があったからというよりも今生徒を育てている一人一人の教員が、どのような国際理解教育をしたいか、すればいいのかというビジョンがぼんやりとしていることではないでしょうか。
「全体的に見ると、国際化のもとで生ずる多様な社会的課題を教師が主体的に受け止め、そして学校や子どもの実態に即して実践するということには結び付いていないのが実情」と佐藤氏も書いています。
どのような生徒を国際理解教育を通じて育てたいか、という議論が必要なのは間違いありません。
まとめ
「国際理解教育」とは何であるか、どのような教育を言うのか統一された定義はありません。(いろんな人がいろんなことを言っています。)
現場感としては「国際理解教育」について何をしていますか?と聞かれても一瞬「うっ」と言いよどんでしまう感覚ですが、それはそれで当然。
そういう環境に私たち(教師)は身を置いています。
そしてとても大切なことは、教師自身がそれを問題だと受け止めることです。
今必要なのは、一人一人の教員が(英語科や社会科だけでなく!全教員が)自分自身の「国際理解教育」とは何だと思うか、そして国際理解教育活動を通じてどのような能力を伸ばしたいと思っているかを明確にすることでしょう。
そのビジョンは職員室の隣の席に座っている先生と同じものでなくても全然OK!!!!。
自分自身の「国際理解教育」とは何か、どのような課題を解決したいか、それによってどのような生徒を育てたいか、一緒に考えて議論していきませんか。