学校で軍人を称える違和感、平和と愛国心のこと。
アメリカで驚いたことは、多々あれど、学校(しかも公立)という場で「私たちが平和に暮らせているのは米軍のおかげである」というメッセージを発したり、それに関する行事や関連した授業があるというのは驚きでした。しかし、驚いているのは日本人の私だけという構図。なぜー。
復員軍人のための日やJROTCの授業については以下のリンクからどうぞ。
上記に加えて、米軍関連でもう一つ驚いた学校行事があります。
それはサイニングセレモニー(Signing Ceremoney)と呼ばれていたものです。その年に卒業する生徒で、進学する大学やコミュニティカレッジが決まっているものが大学の書類にサインをする式典で、勤務校では、大学名とそこに進学する生徒の名前が呼ばれて、呼名された生徒が体育館に大歓声の中を入場して来るという華やかなものでした。
「京都大学!山田太郎!田中花子!」みたいな感じで大声で呼ばれ、生徒が笑顔で手を降りながら入場する。みたいなイメージです。(日本で、これを全校生の前でやったら、だいぶザワつきそう。)そして例に漏れずこの全校集会も自由参加。全員がいるわけではありません。来たくないこは生徒は来ません。
ま、それはいいとして、驚いたのが、その場で軍へ入隊する生徒も同様に呼ばれること。そしてその時の拍手の大きさと言ったら他の比ではありません。こういうのは学校によるのかもしれませんが、驚きました。
驚いたのは以下の2点。
①まず私の中で入隊するのは進学か就職かと聞かれたら就職のカテゴリー。高卒で自衛隊へ進学する生徒は日本では就職枠。なのに就職組全員を祝わずに、入隊する生徒のみをたたえている。他の就職組は祝わないんだなーと。よく聞けば、誰がどこに就職したかなど日本に比べると全く把握していない様子・・・。なんじゃそら。
②そしてその拍手とテンションの大きさ。この生徒たちはこれからもしかしたら最前線に出て行くことになるかもしれないのに、どうしてみんなこんなにエキサイトしているのだろう。なんか怖いんですけど・・・。
入隊することが美化されてる感を半端なく感じた瞬間、違和感しかありませんでした。アメリカ人の先生にそのことを伝えてみると「そうするしかないやろ」みたいなことを言ってました。・・・え?そんな感じなの?
そう言えば、日本の教育制度についてアメリカ人の先生向けにプレゼンをした時に言われたことがありました。教育基本法に書かれてある教育の目的を紹介した時に言われたのです。
「日本の教育目的には平和という言葉が入っているのがいいね」
教育基本法
教育の目的
教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
言われて初めて意識しましたが、確かに「平和」と入っています。
和を尊ぶ日本、さすが!と思っていたら「それは日本が戦争に負けたからだ」という厳しいご指摘も。悲しい事実ですが、確かに敗戦国だからこそ平和を希求する力が強くなり、それが教育目的として役割を果たすようになった経緯があります。
だとすれば、アメリカアズナンバーワンの座を思いの儘にしているアメリカの公教育において私が違和感を感じる場面が多かったのもうなづける気がしました。
でも、きっとアメリカ人にとったらこのような一連の感覚や行事は日本でよくいう軍国主義とはちょっと違っていて、もっと愛国心を表したり育てるためだと思われてそうです。
でも、愛国心って軍隊を称えることでもないと思うのですが。
む、難しい。