「7日間ブックカバーチャレンジ」第3日目…『世界史の哲學』
facebookからの轉載。令和2年5月14日(木)の記事。
京都學派第3彈。西田哲學の後継者、高山岩男の代表作。昭和17(1942)年刊(2001年に復刊あり)。
戰時下といふ緊迫した狀況において、日本哲學が見せた極點の一つ。「嘗て、日本に哲學があつた」と不甲斐ない現狀への寂寥の念と共に、偉大な過去の業績に陶醉させてくれる作品。
哲學によつて、果敢にも世界觀の鬪爭(アングロサクソン的世界觀對日本的世界觀)を謳ひ、日本主體による世界史の轉換を基礎付けたもの。
戰後、哲學は學問自體として衰退した。が、それ以上に衰退したのは、知識人の氣概と世界觀の大きさなのではないか。世界を廣く渡り步いた人間よりも、日本を一步も出ずとも眞に世界を志向した戰前の知識人の方が、世界をより廣く、より深く知つてゐたのではないか。グローバリズムによつて、却つて世界の捉へ方が淺くなつたのではないか。こんなことを考へさせてくれる作品。
私的な餘談。私は院生時代、この書を片手に、世界をもつと知りたいと旅に出た。空路を使はず、陸路と海路のみでシベリアに向かつた。日本→韓國→滿洲→蒙古→華北と2ヶ月かけて囘つた(結局、ロシア入國は拒絕された)。
ソウルに着いてから、江華島事件で有名な江華島に行つた。ソウルからバスで1時間半ぐらゐだつたと思う。島からは、望遠鏡で北朝鮮を覗くことができた。その後、バスでソウルに戾つてきた。その戾りのバス內で熟睡してしまひ、この『世界史の哲學』を置き忘れて降りてしまつた。絕望的になつた。修論作成の際の、重要文獻の一つだつたからだ(相當數の書き込みもしてゐた)。
翌日、觀光案內所經由で、バス會社に聯絡してもらつた。なんと、見つかつた(目立つ帆布の表紙をつけてゐたのが良かつた)。しかし、本はなぜか江華島に屆いてゐた。私の本を載せたまま氣づかず、バスは島に戾つてしまつたのだ。急いで島に向かつた。そして、幸ひにも本は戾つてきた。そんな理由で、2日間續けて江華島へ旅することになつたといふだけの話。その後、3日聯續車中泊をする等、極寒の時期に少々過酷な旅を續けたが、決してこの本は手放すことなく、無事に一諸に歸國できた。そして、修論でもこの本を大いに用ゐることができた。
バトンは、神道學仲間の大杉君へ。宜しくお願ひします。