「いつか」は来ない
「いいですか、かどわきさん。
そのいつかは、来ませんよ。」
その言葉を受け取った瞬間、頭の奥がジーンとなる感覚になった。
今、わたしは知り合いの、こんまり流片づけコンサルタントの方に、片づけレッスンを受けている。
なぜ、そのレッスンを受けることになったのかと言う経緯は割愛するとして、結論から書いてしまうと、やってみて本当に良かった。
心からそう思う。
片づけと言うだけあって、自分の部屋が、どんどん、どんどん…整っていく。
さらに、こんまり流片づけ風に言うと、”ときめく空間” に仕上がっていく。
でも、本質は、きっとそこじゃない。
空間を整えていくプロセスを通して、自分の五感が、グングンと研ぎ澄まされる感覚になる。
そうすると、心の声が、よりクリアーに自分に伝わるようになり、
これまで無意識的に持ち合わせていた価値観にも気づけたり、
何より、自分を愛おしい!なんて、思えるほどなのだ。
片づけを通して、こんな感覚になったこと、生まれてから今日までなかった。
そして、冒頭の言葉。
「いつかは、来ない。」
この言葉は、書籍の片づけをするステップの時に、コンサルタントさんから、いただいた言葉だ。
「いつか読む!」と思って購入したまま、ずっと本棚の隅に鎮座したままの本…
専門的な学びを、もっと深めたくて。
世の中の流れを知っておきたくて。
今よりも、少し背伸びして、難解なものに手を出して。
パラパラとめくったきり、そのままになっていて。
でも、処分するには忍びなくて。
「いつか、読む。必ず読むから。でも、今はちょっと…」
…そんな本が、数冊ある。
こんまり流片づけでは、手にして、その感覚を味わった時に、もしときめかない、と感じたものは、感謝して手放すことをお勧めされている。
なので、そのときめく感覚が持てず、今日まで登場する機会がなかったそれら書籍も、手放しましょう…
きっと、この先、もし本当に必要だと感じる時がきたら、その時また購入すればいいんですよ。
と、おっしゃっていた。
仮に、もしそれでも、「読みたい!」と思えるのであれば、いつまでに読む、など期限を決めましょう、と。
そうやって、数冊は感謝してサヨナラをし、
数冊は、期限つきタグをつけて、手元に残した。
そして感じたのは。
これって、書籍に限ったことではないなぁ、ということ。
わたしの中に、他にも様々な「いつか」が存在している(た)ように思う。
いつか、に踏み出せない条件や御託を並べて言い訳をしていたり、
気づかないフリをしたり。
そうやって、いつかを、いつかのままにして手放せずに、握りしめていた自分がいる。
いつか、をいつか、のままにしないためには…
今日から、何ができるか。
そのために、今、どんなことから考えようか。
小さくてもいいから、30cmでもいいから。
踏み出せるとしたら、どんなことからやれそうか。
そうやって、いつかを手繰り寄せないといけないんだろうな。
他にも、今回のこんまり流片づけを通して得られた色々な気づきや、心に刺さる言葉との出会いを、また綴ってみたいと思います。
今回の片づけ祭の感想文を掲載いただきました▼
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