毒育ちとダイエット
(画像はいらすとや様より、一部筆者加工)
注意事項
・当記事は容姿や体型に関する内容を取り扱っています。特定の容姿や体型の方、個人に対する批判や誹謗中傷を目的とはしていません。
・疾患などのやむを得ない原因による体型の変化は除きます。疾患が原因による体型変化を批判したり誹謗中傷したりする意図ももちろんありません。
・当記事によるいかなる責任は一切負いかねます。あらかじめご了承ください。
華奢な体型に憧れていた青春時代
私は万年ダイエッターだった。長らく平均体重を10~15kgほど上回り、お世辞でもスタイルが良いとは言い難い体型だったからだ。「女優さんのように華奢でこそ可愛い」や「モデルのごとく細くなければ女ではない」という風潮がどことなく強かった青春時代、痩せている同級生と並んで写真撮る度に何となく惨めな気持ちになったものだ。その写真を見た毒祖母に「アンタは他の子と比べてデブだ」と散々罵られたことを、今でも鮮明に思い出せる。そんな私も内心でこそ華奢で可愛い女の子を目指していた。「今日から絶対に痩せるから!」と豪語してランニングと食事制限に臨むも、三日後には挫折していた。
その当時の私は毒親/毒家族の概念など露ほどにも認知していなかったが、母と毒祖母の険悪な関係だけはすでに察知していた。それに加えて学業のプレッシャーや優等生を強いられる圧が知らず知らずのうちにストレスになっていたのかもしれない。さらに追い打ちをかけるように、毒祖母は私たちに媚びを売るために毎日のように菓子や果物、ケーキを買っては与えて続けた。(今考えれば、それでよく「アンタは他のこと比べてデブだ」などと言えたものだなと)
私の家族もまったく同じ言葉を言っていたが、これ以上の悪魔の囁きがあるだろうか。
それよりも私が恐ろしいと思うのは、毒祖母はもとより我が家の大人は誰一人として運動習慣を持たなかったこと、ひいては子供であった私に運動習慣を身につけさせなかったことだ。 文化部に所属していた私には「運動習慣=運動部やスポーツクラブに入ってる人のもの」というイメージしかなく、自分には必要ないと思い込んでいた。何よりも運動自体が嫌いであったし、運動している自分を見られることはもっと嫌だった。だから体育の授業がある日は、正直憂鬱で仕方がなかった。
しかし運動部だろうと文化部だろうといかなる状況でも運動習慣は必要であること、そして身の丈に合った運動はとても楽しいことを私は大人になってから知った。学生時代から取り組めば良かったと思うのが本音で、それに早く気がつかなかった自分が情けなくて仕方がない。そしてなぜ私の家族はそれを教えてくれなかったのか、という怒りがまったくないとも言い切れない。
良い太り方
昔の私も含めて未成年(特に中高生)の肥満の原因は、ほぼ保護者にあると私は考えている。 未成年の食生活や生活習慣は、保護者が管理・監督すべきだからだ。私の毒祖母のように無責任な甘やかしを施す一方で運動習慣を身につけさせなければ、子供が肥満児になるのは当たり前だ。
しかし食べることを心の底から楽しみ、ストレスや罪悪感をほとんど感じずに体重が増える人も存在するだろう。それを良い太り方と便宜上表現してみる。
ところで私は、テレビ番組『世界仰天ニュース』のダイエット特集『仰天チェンジ』が大好きである。この特集で取り上げられた人の多くはまさに良い太り方をしていたし、軒並みパーソナリティや愛着スタイルが比較的安定している所謂陽キャばかりであった。家族関係や対人関係についても良好さが伺え、何より太っているときもそれなりに幸せそうに見えたからだ。なぜだか家族が揚げ物しか作れなかったり、不思議なことに甘やかす祖父母が存在したり、たまたま食べることが大好きな一家に生まれてしまったりしただけなのだ。次第に恋心を抱く、その体型を理由にフられる、肥満が原因でトラブルが起きるなどして彼らに「ダイエットの神」が舞い降りるのがお決まりだが、それで見事ダイエットに成功するからすごい。さらにそれを維持できるのだから「陽キャってやっぱすげぇわ」と思うばかりだ。
悪い太り方
その反対である悪い太り方とは、ストレスや依存からの過食によるものであると私は考える。無論個人差はあれど、ストレス耐性の弱さ、家庭環境や職場、学校における強いストレスが、食に対する依存という名の過食を引き起こす。特に毒親や毒家族の居る家庭では強いストレスを感じやすいゆえに、毒育ち/毒持ちは比較的太りやすい状況にあると推察できる。あるいは拒食(症)になってしまうケースもあるだろうが、太るにしても痩せ過ぎるにしてもその根本的な原因は同義なのではないだろうか。
また、健全な自己愛や自己肯定感を持たない毒育ちは、身なりに対して疎かになりやすいことも指摘できる。過食あるいは拒食、極端な運動嫌いもセルフネグレクトの一つだと考えるとすべての辻褄が合う。さらに毒育ちは他者評価に依存しやすい一面を持つことから、自分自身の体型と他人の目を過度に気にしやすい。するとそのストレスも相まって余計に食欲が増加してしまうという悪循環に陥ることも考えられる。
これらを鑑みると、毒育ち/毒持ちとは過食あるいは拒食に走りやすく、心身ともに健康的な体型を維持しづらいと言える。一度減量に成功してもリバウンドしてしまったり、そのような体重増減を頻繁に繰り返してしまうのだ。先の良い太り方と併せて考えると、体型や健康維持についても健全な自己愛の有無や幼少期の家庭環境が深く関係しているのではないだろうか。
どんな体型でも前向きに
今でこそ「ボディポジティブ」という言葉も生まれている。プラスサイズのファッション誌やその冊子を彩るモデルが誕生したり、パリコレモデルに対して過度なダイエットの禁止が言い渡されたりと、時代は個性の尊重や健康美へとシフトしつつある。「華奢でこそ可愛い」や「細くなければ女ではない」という誰が作ったか分からない“呪縛”から解放され、自分の容姿や体型を容認しながら自分らしく生きればいいのではないのか。
結局のところ健康状態や仕事、生活に支障さえ出なければ、この世に着られる服さえ存在すれば、別に太っててもいいんじゃないかと私は考えている。(ただし太れば太るほど「着られる服」と「着たい服」と「似合う服」がそれぞれ乖離する可能性は出てくるが)
それでも容姿や体型に対する偏見が存在することは現実であり、その偏見が根絶することもないと私は思う。しかしそもそも他人が容姿や体型についてとやかく指摘する資格はまったくないし、仮に言われたとしても過度に気にする必要もないだろう。何度も繰り返しになって恐縮だが、心身共に健康(超重要)で仕事や生活にも支障がない、何よりも本人が自分の体型に納得さえしてれば、どんな体型でも構わないからだ。「何?アンタに何か迷惑かけてる??」くらいに開き直ればよいのではとすら感じる。
もっとも自分の体型を受け入れたり、認めたりするのにも健全な自己愛と自己肯定感が必要であることは言うまでもないが、毒育ちにとっては若干難しい心持ちなのかもしれない。かくいう私も最近になってようやく「自分はどんなに努力しても華奢にはなれない」という“諦め”がついた。理想とはほど遠い体型であるが、その名の通り“痩せ”我慢をするよりも食べたいものを食べた方がいいと思うようになった。今の体型を維持するくらいの運動をして、最悪“みっともなくない”格好さえ心がければいいかなと。
個人的には、少し前から主流のノームコアと今流行しているビッグシルエットは永遠に廃れないでほしいと心の底から願っている。なぜならば、多少太ったとしても割と気軽に着られるからだ。逆にデブには厳しいスキニーパンツやタイトなシルエットは一生流行ってくれるな、というワガママはいつまで通るだろうか。まあトレンドだろうが何だろうが、どんな体型だろうが、自分が着たい服を着ればいい話なんだが。
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