毒育ちが語る『ポイズンドーター・ホーリーマザー』
今回は『ポイズンドーター・ホーリーマザー』(湊かなえ著:光文社)より『優しい人』、『ポイズンドーター』、『ホーリーマザー』を中心にあれこれ解釈していきます。
※ネタバレ全開および読了前提なので未読の方はご了承下さい※
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優しい人──"優しい"は免罪符ではない
テーブルの脇に置きっぱなしの、野菜用のトレイに載せていた包丁を手に取ると、汚いものを振り払うかのように、力いっぱいに振り回した。(『優しい人』より引用)
意思薄弱ゆえに何もしないことを、優しさとすり替える男児の親と教師。
他の子供の世話をさせることで、悦に浸る女児の親と教師。
大人らは示し合わせたように、その男児と女児を「この子は優しいのよ」と褒めちぎる。
一体何処が、優しいのでしょうか。
責任を取りたくないがために、自分の意思に基づいた行動一つとれない甲斐性なしの何処が?
人に嫌われたくないから気色の悪い笑みを常に張り付けているだけの男の何処が優しいのでしょうか。
ママに甘やかされたせいでプライドと図体ばかりが大きくなって心はお子様のまま。だから他人の気持ちを理解できず、独りよがりな言動を繰り返す。悲しいことにある程度の年齢を重ねてしまったら、作中の友彦のように治る見込みはありません。幸直、修造はそうなっていないことを願うしかありませんが、私は彼らもまた友彦と同じような道を歩んでいると思います。
一体何が、優しいのでしょうか。
私も作中の明日実と同じように特別教室と普通教室の狭間、いわゆる「グレーゾーン」に立つ同級生の世話をしていたことがありました。鼻をほじったり涎で汚れたりした手に触れるのは、幼心ながらに不快感でいっぱいでした。時には粗相した衣類や下着の片付けも手伝わされました。しかし当時の私は、担任の先生や周囲の人から感謝されて嬉しそうな母の顔を知っていました。私さえ我慢していい子を装えば、母が喜ぶことを理解していました。
「私はきっとこういう子をお世話する立ち位置にいるんだ」
一度そう思うと、好き嫌いのアンテナと健全な自己肯定心は壊れて、代わりに"慈悲深くあれ"という枷が残りました。その枷こそが親や教師を喜ばせる優しさの素になるのですが、一体何を以てして優しいと言えるのかと彼らに問い詰めてみたいものです。枷に縛られた私はまったく興味のない異性にのみ言い寄られて、本当に好きな人とは結ばれない己の運命を呪ったこともありました。
幸いなことに明日実は淳哉という恋人に恵まれましたが、職場の同僚である友彦に脅迫された果てに殺害を決行してしまいました。
もしかすると、明日香は知っていたのかもしれませんね。
プライドと図体だけが大きくなった男の醜い自尊心は死ぬまで消えないことを。
重ね重ね言いますが、小学生なんて自分自身のことで精一杯です。
子供にボランティアや慰問を無理強いして、さぞご立派な教育を施していると思い込む親。
子供に他の子供の世話をさせることで、空っぽで何もできない自分の埋め合わせをする親。
子供が世話をされることで、上っ面だけの相互自助精神に酔いしれる親。
「みんなで助け合い」を大義名分にしながら、必ず特定の生徒に汚い仕事させる教師。
その全員が口を揃えてこう言います、「貴方は優しい」と。
その猫なで声と偽りの笑み、その裏に隠された悍ましいほどのグロテスクなエゴの塊が心底気持ち悪いこと。子供に「大人の役割」を押し付けて悦に浸る大人が、私はこの世で一番嫌いだから。
大人になれば汚れた拭くという心得や相互自助の精神を以てして、あるいは職務として義務的に様々なことに対処できます。しかし小学生からすれば汚いものには触りたくないですし、自己保身の気持ちが先行するのは当たり前です。どんなに早くても中学生以上でなければ、そのような処理をさせるべきでないと私は思います。それ以下の現場においては、まず教師が協力し合って対処した上偶然近くに居合わせた生徒らに許容範囲内で手伝わせるべきでしょう。
本当の優しさと言うのは心身ともに強い人間のみに宿るもので、残念ながらすべての人間に備わってる訳ではありません。むしろ本当に強い人間は優しさの安売りをせず、本当に困っている人を見かけた時だけ咄嗟に手を差し伸ばすものです。
証言5 優しい人
世の中は、全体の一パーセントにも満たない優しい人の我慢と犠牲の上において、かろうじて成り立っているのだと思います。そして、これだけは断言できます。
あなたは優しい人じゃない──。でも、それは決して悪いことじゃない。(『優しい人」より引用)
自分の選択に基づいて何も成し遂げられないことも、親のエゴでいい子を演じていることも、"優しい"という言葉で濁さないでほしい。
その言葉の裏で、密かに苦しんでいる子供がいることから目を背けないでほしい。
なぜならば、"優しい"を免罪符にして現実から目を逸らし続けてはいけないからです。
ポイズンドーター、ホーリーマザー──戦わないことには終わらない
「民宿で、極論に値する人以外は声を上げちゃいけないのか、って弓香言ったよね。わたしはいけないと思う。毒親に支配されている人を、海で溺れている人にたとえて考えてみてよ。マリアはかなり沖で激しい波に飲み込まれて、息も絶え絶えに苦しんでいる。弓香は、浅瀬でばしゃばしゃもがいているだけ。本当に溺れていると思い込んでいるんだろうけど、ほんの少し冷静になれば、足が届くことが解るのに、気付こうともしない。先に助けなきゃいけないのはどっち? なのに、浅瀬の弓香が助けて助けてって大騒ぎしていると、本当に大変な人が溺れていることに気付いてもらえない。それどころか、せっかく海に目を向けて、助けに来てくれる人がいたとしても、浅瀬の弓香が大騒ぎしていたら、くだらないことで大騒ぎしてるだけじゃん、って愛想をつかして帰ってしまうかもしれない。その向こうで本当に溺れている人がいることに気付かないまま。迷惑なんだよ」(『ホーリーマザー』より引用)
理穂は、非常に強い語調で弓香を非難しました。弓香のせいで弓香の母は自殺せざるを得なかった、と言わんばかりに。弓香は同じく毒親に育てられた理穂はきっと理解してくれると踏んでいましたが、理穂の態度は彼女の予想を大きく裏切りました。
理穂は父親を悪役にしたことと結婚を機に直接《対決》したことで、母親を赦すことができました。私自身もすべてを毒祖母のせいにすることで母を受け容れたのと同じように。
一方で幼い頃に父を亡くして母一人娘一人だった弓香には、理穂や私のように母以外の誰かに責任転嫁するのは不可能でした。理穂のように母親と対決することなく彼女は母親の元を物理的に離れてしまい、その後も対決の機会も訪れませんでした。
先の台詞で理穂は弓香は苦しんでいるフリをしているだけと糾弾しましたが、本当に指摘したかったことを以下のように推測しました。
①著名人であることを利用して毒親告発をしたこと
②毒親との一対一の対決を避け続けていること
①についてですが、現在は表向き「匿名」で利用できるツールで溢れているのにもかかわらず、弓香はなぜ実名で自身の母親が毒親と発表したのでしょうか。
その答えは、母親への細やかな復讐を目論んだからです。
女優としてある程度の地位と名誉を得ながら、弓香は将来を見据えることができませんでした。クイズ番組に出演するなど努力はすれど、仕事もプライベートも今一つ満たされない感覚が付きまとう。そこに理穂からのメールを受け取ると、田舎町で結婚して子育てに励んでいる同級生らを想起せざるを得ない。
すべては母のせい。思春期にすべての言動を抑制しようとした母。異性と出掛けただけで平手打ちを飛ばした母。キスシーン一つで騒ぎ立てる母。そう、すべてはあの人のせい。そんな黒い炎が燻っている折に、とある番組出演の打診が入りました。
②については、弓香には理穂のように母親と面と向かって対決する勇気も機会もありませんでした。冒頭の長電話をうまくいなせないこと、仕事への干渉もきっぱりと遮断できていないことから母親への強い畏怖の念が伺えます。弓香自身は自らの選択で女優になり、自分一人で生活を営んでいると考えているでしょうが、彼女が下したすべての選択には母親が潜んでいます。学生時代は仕方ないにしても大人になっても自分がどうしたいのか明瞭でなく、弓香自身の意思や決意がまったく見えませんでした。そんな弓香は母親と対決するほどの決意を持つことなく、いつの間にか離別したことから対決する機会さえ失ってしまったのです。
「私の母は、毒親です」
出演した番組で弓香は母親を指差してそう公言してしまった。さらに理穂の許可も得ずに彼女の母親についても毒親呼ばわりしてしまった。全身の勇気を振り絞って対決に臨んだ理穂からすれば、弓香の行動は"ルール違反"そのものです。母親との戦いの果てに自分自身はもちろん、母の痛みや辛さを知った理穂は、テレビの中の弓香や出版された本を見かける度に強い怒りが込み上げてきたことでしょう。
親と真正面から向き合うこともせず、下らない復讐心のために母親を売った。有名なアンタが顔も名前も晒したら、お母さんがどういう扱い受けるか想像できなかったの?
だから死んだんだよ。アンタのせいでアンタのお母さんは死を選んだんだ。
母親が死んだ今、アンタは一生毒の海から出られない。戦わなかった者はみんなそう。戦わないことには終わらないのだから──。
亡くなった父親や母親のルーツを知る術もなく、母親と膝を突き合わせて話すこともできず、弓香は毒の海を漂流し続けていました。理穂に言わせれば冷静になれば足が付くほどの深さの場所なのですが、弓香にとっては底無しの海に思えてどうしようもなかったのでしょう。
ついに母親への復讐を遂げてようやく陸に上がれると思ったら、母親の亡骸が重石のごとく足元に巻き付いて離れません。
「娘が……、志乃があんたのような、毒娘にならないように育てる」(『ホーリーマザー』より引用)
毒の海を漂流していると思い込み己の不遇や不甲斐なさを毒親に責任転嫁する娘たち、すなわち毒娘(ポイズンドーター)──理穂は今の弓香をそう表現しましたが、それは私の心にも深く突き刺さりました。
私も弓香と同じように浅瀬でもがいているだけかもしれません。正直言えば、上手くいかないことをすべて毒のせいにしているところが多分にあるからです。 毒親育ちでなかったら今よりも良い生活をしていたかもしれない、毒祖母がいなければ今頃パートナーと上手くいっていたはずだ、と自分自身の能力や努力不足を棚に上げてそのような恨み節を抱いているのは事実です。
一方でこうも考えます。 現実が充実していたあの時に、あのまま家を出てパートナーと同棲して今頃結婚でもしていたら──胸の奥に燻っていた"爆弾"がいつか誰かの手によって暴発して、その破片が相手や相手の家族、未来の子供と自分自身を傷つけていたに違いない。空想の惨状を思い描いては嘆くなんて杞憂だと笑われそうですが、自分が毒の海に居ることさえ気が付かないでいたらと思うと背筋が震えるのです。
毒の海という存在を知った以上はそこから脱却できるよう努めるべきです。弓香のように毒の海で漂うこと自体に酔いながら自分を維持してはならないと思うのです。
ただ毒の海から逃れる過程やタイミングには個人差があるはずです。私は、理穂の正論通りに深い沖で苦しんでいる人が優先されて浅瀬の人は自分で這い上がるべきだとは思いません。マリアの親については毒親の域を超えた虐待親に分類されると思うからです。アメリカでは虐待行為をする親もtoxic parentsとして毒親に含みますが、日本においては虐待問題として別に考えるケースが多いからです。 私もその考えを採用しているので、理穂の言う"本当の毒親"の定義は腑に落ちませんでした。
毒親をはじめとした家族問題は、あくまで当人が問題意識を持って解決する努力をし、己の基準を以てして解決か否かが決まる性質を持っています。客観的指摘や第三者からの意見は、時として当人を毒の海に沈める可能性がありますし、「あの人よりマシという粗探し」や「私のほうが不幸だ自慢」に陥りやすいです。理穂はマリアと弓香の状況を比較しましたが、残念ならそれは不毛な行為に過ぎず、各々が自分の力で毒の海から脱却する他ないのです。
何より毒親の海から脱却できた理穂さえも今度は毒義母の海に足を踏み入れてしまいましたが、これも毒親育ちに架せられた宿命なのでしょうか。
──母親のことを面倒だなと思っていても、姑よりはマシ。嘘だと思うなら、弓香も結婚してみればいい。同居なんてしたら、遅くとも一週間以内には、お母さんはとてもいい人だったんだなって思うようになるはずだから。たくさんの人がそうやって、娘を卒業して、母親になるんだよ。(中略)
バカじゃないの。
母とか、娘とか──。
(『ホーリーマザー』より引用)
【追記】親と《対決》した理穂は確かに立派で、その結果として結婚、出産による幸せを掴みました。しかし今度は「実母と似た精神を宿したような」毒義母に頭を悩ませることになります。理穂は実母と《対決》したことで「自分自身が変われた」と思い込んだのでしょうが、その実理穂は毒に犯されたままでした。それを回復する間もなく結婚してしまったゆえに、再び毒の標的になってしまった……と私は考えています。勇気ある対決は確かに重要ですが、もっとも大切なのはその後に「自分自身をよく見つめて解毒すること」です。それから逃げ続けて、私の親は義親や姑よりはマシだった、あの人の親よりまだ良いなんて思っている間は本当の意味の幸福は訪れないかと。
私自身が毒の海から離れるのには、まだまだ時間が掛かりそうです。一日でも早くこの呪詛が別の何かに昇華できますよう、暫しポイズンドーターだと開き直って自分自身と向き合おうと思います。
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今回も拙文をご覧いただき、ありがとうございました。
次回のテーマは、Twitterで言及した「毒の原動力」を予定しています。
引き続きお付き合いいただけると幸いです。
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