【書評】あり得ない、ではなくあり得る、から始まる――小林早代子『たぶん私たち一生最強』レビュ―【評者:吉田大助】
※本記事は「小説 野性時代 第249号 2024年9月号」掲載の書評連載「物語は。」第128回(評者:吉田大助)を転載したものです。
フィクションが果たす役割のひとつは、大胆で極端な可能性を提示することにある。それまで考えもしなかった可能性に触れること自体に楽しさが宿るのと同時に、それは現実ではあり得ないだろうと感じたのはなぜなのかと心を動かすことで、自分の中にある無自覚な偏見や価値観、思考の枠組みを探り当てることにも繫がる。等身大のリアルを繊細に描くタイプのものも素晴らしいが、フィクションの醍醐味はやはり、大胆さの中にある。
「くたばれ地下アイドル」で第一四回女による女のためのR -18文学賞読者賞を受賞し、同作を表題とする短編集で二〇一八年に単行本デビューした小林早代子の六年ぶりとなる新刊『たぶん私たち一生最強』は、家族という誰もが知るありふれた関係性に、大胆なアイデアをちりばめた一作だ。
とある土曜日の夜、飲み屋でハイボール(濃いめ)を痛飲する女四人の会話から、第一編「あわよくば一生最強」は幕を開ける。東京で一人暮らし中、二六歳独身の四人は高校時代からの友達だ。恋人との十年にわたる関係に終止符を打ったばかりの花乃子が、酒の勢いを借りて放った一言が「どうせどの男ともいずれはセックスなんかしなくなって友達みたいになるんだよ。だったら長年培った友情のもと女の子と家族になった方が良くない?」。家飲みにチェンジした後の、さらなる一言が決定的だ。「私たち、家族になることにしようか。一生一緒に暮らそうか」。その提案についてそれぞれが真剣に考える日々の描写の中に、四人の計画を知り止めようと駆けつけた花乃子の元恋人・雄太の常識人発言が交じり合って、可能か不可能かの天秤が揺れていく。
第二編「イケてる私たち」で描かれるのは、四人がルームシェアを始めて三ヶ月ほど経った風景だ。以降は一年後、二~三年後、やがて……と、話が先へと進むたびに四人の歴史が延長されていく。そして、短編ごとに視点人物が変わることで、第一編では「私たち」という人称が選ばれひとかたまりで登場していた四人の顔が、くっきりと個別の像をなしていく。男とのセックスに誰より積極的であるものの「イケない」という問題を抱えた百合子、子宮の手術を受けたことで自身の生殖能力について向き合うこととなった澪、四人が本当の家族となるための究極の一手を繰り出した亜希。性にまつわる悩みをテーマにした、オムニバスという側面もある。
四人の同居生活は自由で朗らかだ。共同生活をするうえでのルールの類いはほとんど登場しない。唯一の例外は、「この家は性交禁止」。もしも恋人同士や夫婦が新しく家族を作ろうとしたならば、生活の中で愛とセックスとを共存させなければいけない。愛を支えるものであり愛を薄めるものでもあるセックスを外部に出すことで、この家には愛だけが残る。彼女たちが試行錯誤を繰り返しているのは、家族という概念が担わされている要素をバラバラにし、一つ一つを吟味して、自分(たち)にとって要るものと要らないものとを選ぶことなのだ。家族の形は、こんなふうに自由にカスタマイズしたっていい。しかも、その形はいつだって何度だって修正できる。そのこともまた、物語の中に記されている。
こんな関係は現実ではあり得ないだろうという当初の感触がいつの間にか、「なぜ友達同士で家族になってはいけないのか?」と変化していることに驚き、喜ぶ。優れたフィクションは、自分に向ける視線だけでなく、他人に向ける視線をも変える。この四人のような存在は、身の回りにはいないだけで、この世界のどこかにいるかもしれない。あり得る、から他者の理解は始まる。フィクションが果たすべき大きな役割のひとつは、あり得る、の想像力を焚きつけることにあるのだ。
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高校二年生の由紀夫には、父親が四人いる。
母親が妊娠した時に四股していたため、誰が父親なのか分からなかったのだ。なんとも不思議な同居生活のさなか、街をザワつかせる事件に次々と遭遇する。誰の血を引いたせいなのか、トラブルにみずから首を突っ込み解決のために奔走することになり……。四人の父たちの繫がりが主人公を救う、長編ミステリー。
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