【対談】有栖川有栖×一穂ミチ 鉄道と怪談、日常と非日常のあわい【お化け友の会通信 from 怪と幽】
世に「鉄オタ」なる言葉があるが、鉄道好きはどこにでも潜んでいる。もちろん小説界にも。
すでに何度も鉄道愛あふれる著作を発表してきた有栖川有栖と、ひそかに鉄道を愛好してきた一穂ミチ。
二人は12月に発売された『怪と幽』最新号の特集「幽玄鉄道」に登場。
このたび同号の発売記念として、鉄旅の楽しさを語りあっていただいた。
さらに話は鉄旅ならではの抒情性から怪談との親和性にまで及び……。
※「ダ・ヴィンチ」2025年2月号の「お化け友の会通信 from 怪と幽」より転載
構成・文:門賀美央子
写真(有栖川さん):福島正大
鉄道は知らない世界に運んでくれるよう(有栖川)
有栖川:私は昔から鉄道好きを公言しているのですが、一穂さんも結構お好きだそうですね。
一穂:ものすごいマニアというわけではありません。でも、たまに遠出をしたらその土地のローカル線に乗ったり、わざわざ大回りルートを選んだりして、私なりに鉄道旅を楽しんでいます。
有栖川:飛行機や船と違い、鉄道に一度も乗ったことがないって人はそういないと思うんです。ものすごく日常的な存在で、誰でも何がしかの思い出がある。けれども、知らない世界に運んでくれるような期待感もありますよね。
一穂:日常と非日常のはざまにあるもののような感じは、確かにあります。
有栖川:観光列車や特急列車なんかは非日常性の代表ですね。一方、ローカル線の各駅停車なんかは完全に日常側でしょう。私は、そういう路線を地元の人の中に埋没しながら、独りひっそりと“よそ者感”を味わうのが好きなんです。
一穂:その感じ、とてもよくわかります。旅先で“土地の日常”を感じるとかえって旅情が増しますよね。逆に、自分がいつも使っている駅で観光客らしき人が写真を撮っていたりするのを見かけると、なんだか微笑ましい気持ちになりますし。
有栖川:一穂さんはどういうきっかけで鉄道好きになったのですか?
一穂:運転免許証を持っていないとか、飛行機が大の苦手というような理由で、選択肢が鉄道しかないというところはあるのですが(笑)。子供の頃はしょっちゅう乗り物酔いをしていたので、そもそも遠出すること自体が好きではなかったのが、大人になるにつれだんだんマシになっていって、それに従い鉄道旅行が楽しくなってきました。
不自由と自由を同時に楽しめるのがいい(一穂)
有栖川:大人にとって、列車の中で過ごす時間って実はとても貴重ではと思います。日常生活の中だと何かをじっくり考えたくても、10分も経てば他の用事をしなければならなかったりする。でも、鉄道だと、乗っている時間は好きに思いを巡らせることができます。それこそ大阪-東京間の新幹線に乗っていたら、同じことを2時間ぐらい堂々巡りしながら考えていたっていい。どうせ今は外には出られないんだし、座っているしかないんだから、って。
一穂:そうですね。とりとめのない時間が今はすごく大事なのかなって思います。乗り物に乗っている間って、要するに強制的に閉じ込められているわけです。それを何もできない状態と捉えたらなんだかつまらないですけど、頭の中で好きなことしていい時間と思うと、すごく特別です。閉鎖された空間という意味では不自由ですけれども、ぼーっとしていても、寝ていても、本を読んでいても許される。何といいますか、不自由と自由を同時に楽しめるのがいいところなのかなと思います。飛行機と違って鉄道は降りようと思えば降りられますし。
有栖川:それは確かに。これは閉所恐怖症に近いものなのかもしれないのですが、私、自動車のように立てない空間に長い時間入れられるのはちょっと苦手なんです。
一穂:わかります。私も飛行機なんかで「降りられない」ってなると、気持ちがなんだかワーッてなります。そういう二人がそろって電車好きっていうのはなかなか面白いですね。
有栖川:鉄道の場合、車窓を風景が流れていくのを眺めていると、ものすごく気持ちいいでしょう? 次は何が見えてくるかなと期待しながら窓外を見ているのは、物語を追っている時の気分に等しいんです。それは本を読むよりもっと受動的で、朗読を聞いている時の感じの方が近いかもしれない。
一穂:一幅の絵巻をずっと眺めているような気になります。目に飛び込んできた景色から、いろいろと思いを巡らせてみたり。私は、どこかの駅を通り過ぎるたびに「私もここに住めるかな」とか考えてしまうんです。駅前にコンビニがあるから車のない私でも住めそうだとか、ずーっと商店のひとつも見当たらないけどこの辺りの人たちってどこまで買い物に行くんだろうなとか、そういう何でもないことを考えるのは好きで。
有栖川:それは私も終始考えます(笑)。子供の頃はもっと激しくて、ここに生まれていたならあそこに見えている学校に通っていたのかな、とか、あの公園で遊んでいたのかなとか、そういう想像すると止まりませんでした。
一穂:ちょっと並行世界の自分を想像するような。
有栖川:そうです、そうです。そんなのは家にいても想像できるけど、目の前に現実の風景を見ながらだと、さらに膨らんだり広がったりします。
一穂:あと、時々奇妙なものが一瞬見えたりすると、それがものすごく気になったりしませんか?
有栖川:ありますね。
一穂:そういう時って、後で見たものの正体を調べたりしますか?
有栖川:けっこうします。今はね、スマホですぐ調べられてしまう。あれは我ながらだめだなとも思います。もちろん、地図を見ながら、今はここを通っているのかって確認しているとそれはそれで楽しいけれども、反面、昔の不思議なものが次々現れては消えていく感覚を味わえなくなった。昔は謎のまま残ったじゃないですか。どれだけ気になっても、調べようがないし、大人に聞いてもだいたいは「知らない」で終わりでした。そういう小さな謎をそのまま残せないのは、ちょっと残念な気もします。
一穂:そうなんですよ。だから私はあえて調べないで放置することもあります。車窓からちょっと小さい観覧車なんか見えるとときめくじゃないですか。
有栖川:わかります。
一穂:きっとスマホの地図を見れば遊園地の名前なんかがすぐに出てくるのでしょうか。あえて調べずに「ここを通ったら観覧車が見えた」という記憶だけにとどめておこうかなって。
有栖川:それこそが鉄道のロマンですよ。
一穂:そういうところに物語が生まれるのかも。
有栖川:車両に乗るだけというある意味最高に受動的な状態でも“物語”を感じられるのが鉄道の醍醐味です。
一穂:はい。今回『怪と幽』に鉄道をモチーフにした実話っぽい怪談を寄稿したのですが……。
有栖川:そうらしいですね。読むのはこれからなのですが、書いてみてどうでしたか?
一穂:やっぱり難しかったです。有栖川先生は鉄道怪談をいくつかお書きになっていますよね。たとえば『赤い月、廃駅の上に』は怖いだけでなく、幻想的な味わいもあって、私はとても好きです。
有栖川:連作短編としては、怖さより奇妙さ、不思議さを余韻にできたらいいなと思いながら書いていました。先ほど両義性という話をしましたが、日常と非日常のあわいにあるから鉄道と怪談は相性がいいのだと思います。
一穂:そうですね。「心霊探偵」シリーズもそうですけど、有栖川先生の怪談にはいつも豊かな抒情性を感じます。
有栖川:一穂さんが今回どんな鉄道怪談を書かれたのか、読むのがとても楽しみです。一穂さんはとにかく小説がめちゃくちゃうまいですからね。これまでもミステリー的な作品をはじめ、多彩な面を発揮されていましたが、今回は怪談ということでまた新しい世界を見せてくれるのでしょう。一読者として、楽しみが広がりました。
一穂:ありがとうございます。有栖川さんも『怪と幽』に鉄道紀行を寄せられたそうですね。
有栖川:ええ、新潟のえちごトキめき鉄道に乗って、地下の“モグラ駅”として有名な筒石駅と、親不知駅に行ってきました。筒石駅は以前一度行ったことがありましたが、心に残って再訪を望んでいた駅です。よい機会になりました。また、前回は行けなかった駅の近くにある古い集落を訪れることもできましたし。旅情が満たされてよかったです。
一穂:今回はその折の印象記を書かれているとか。とても楽しみです。