秋吉理香子『殺める女神の島』第1章丸ごと試し読み【6/6】
『殺める女神の島』試し読み【6/6】
姫羅とエレナは気持ちよさそうにたゆたっている。
「ずるーい、わたしが言い出したのに」
まりあもやっと裸になって水に入ると、面白がってユアンと舞香も続いた。ビーチチェアの上には、色とりどりのドレスが、美女の抜け殻のように置かれている。
月明かりの下で泳ぐ彼女たちは楽しそうだ。酔いも手伝ってわたしも裸になり、プールに浸かる。南の島の夜の熱気が、濡れた肌にまとわりつく。心地よかった。
「京子もおいでよー。明日から審査だし、今夜だけだよ、こんな自由なことができるの」
「そうだよ。最高に気持ちがいいよ」まりあとユアンが手招きする。
「しゃあないなあ。わたしも覚悟決めるわ。京女の意地ってもんがある」
京子が帯をほどき始めると、水に浸かった六人がヒューヒューとはやしたてた。着物と襦袢を手際よく畳んでチェアの上に置くと、京子は行儀よく階段を使って水に入った。
「そういえば確かに洋画では裸で泳ぐシーンが出てくるよね。『ジョーズ』とか『13日の金曜日』とか」
まりあが言うと、「やめてよー」「怖い映画ばっかりじゃない」とあちこちからブーイングが起きた。
わたしたちは少女のようにはしゃいで、歓声をあげながら泳ぎ、追いかけっこをし、水をかけ合った。星空を背景に一糸まとわぬ姿でたわむれる女たちは、この世のものとは思えないほど美しく、幻想的だった。
意外に水遊びを楽しんでいるのはエレナだった。みんなと一緒に泳いだり潜ったりと忙しい。クールビューティーな医師だと思っていたが、そんなノリのよい一面もあるのだ。
「あー、超楽しい!」
泳いでいた姫羅がプールサイドに腰掛け、長い髪をてっぺんで結い直している。なまめかしく豊かなバストがむき出しになり、女同士でも目のやり場に困る。だけど下品な感じはせず、ただただ生命の躍動感にあふれていた。
「羨ましいな。わたし、バストがないから」
「何言ってんの、シリコンに決まってんじゃんよ」
「そうなの? 未成年でも手術できるんだ」
「親の同意があればね。自然に見えるっしょ? でも内緒だからね。応募条件では整形や豊胸、NGになってたでしょ」
「じゃあわたしに言っちゃダメじゃない」
「だって美咲さんはチクったりしないもん」
「どうしてそう思うの」
「美咲さんは盛らないから」
「え?」
「美咲さんって正直でしょ。さっき本の話をした時、もう書店に置いてないって言ってたじゃん。普通なら今でも売れてるとか、どこでも入手できるとか、水面下でドラマ化が進んでるとか、適当に盛りまくるよ。だってネットもできないんだからどうせ島にいる間はわかんないし、こういう場では、ブラフしてなんぼだもん。でも美咲さんて、自分を大きく見せようとしないんだよね」
「そんなこと……だって盛りようがないし」
「あはは、やっぱオーディションにはいないタイプだ。あたし、そういう嗅覚鋭いんだ。一応芸能界の端っこで何百人もの女の子を見てきたんだから」
「買いかぶりすぎよ。わたしだって、一応ライバルだよ」
「だけど汚い手は使わないでしょ」
「当たり前じゃない。他の人も、そこまではしないでしょ」
「そんなことないよ。本番直前にヒールを折られたり、衣装を隠されたりしたこともある。ボディピアスしてることを密告されて不合格になった子もいるよ」
「ミスコンでボディピアスがダメなのはなんとなくわかるけど、オーディションでもダメなの?」
「ティーンじゃなくて一般向けでも、ダメなコンテストは多いね。タトゥーもさ。グラビア撮影の時、かなり寄るから、隠したって見えちゃうことあるし。そもそもメイクさんに余計な手間をかけさせることにもなるから敬遠される。ああ、もしかしたら水着審査は、そういうチェックを兼ねてるのかもしれないね。豊胸も、見る人が見たらバレちゃうのかなあ」
「でも今まではバレなかったんでしょ? とりあえず安心して。わたしは誰にも密告なんてしないから。ていうか、ここにいる他の子たちもしないと思う。みんないい人だもん」
「それはわかんないよ。さっき言ったいやがらせをしてきた人たちも、表向きは親切に見えるんだから。ほんっと女は見かけによらないんだって。あたし、基本的には誰も信用するつもりないから」
一番若くて、一番無邪気そうだったのに。姫羅の真剣な顔にどきりとする。ギャルという仮面に隠された、修羅場を潜り抜けてきた女の顔だった。
「でも美咲さんは別。それに小説書く人って、ちゃんと自分の世界を持ってそうじゃん。そりゃミューズになれば本も売れるんだろうけど、なれないならなれないで、それもネタとして書けるじゃん? だから美咲さんのことは信頼してる。だけど他の人たちは正直わかんないよ」
目的を見透かされているようでヒヤッとした。が、姫羅はそんなわたしに気づかず、大きく息を吐いて星空を仰いだ。
「いいよなあ、美咲さんは、才能があってさ。他の人もそうだよね。ちゃんとそれぞれできることがある。だけどあたし、何もないから」
「何言ってるのよ。姫羅ちゃん、きれいじゃない、とっても」
「うん、きれいだよね。わかってる。でもさ、なんかそれだけじゃダメっていう風潮があるじゃん。なんでだよって悔しくなる。
あたしさ、本当に体しか資本がないんだよね。これで勝負するしかないの。ルッキズムを批判する人たちってさ、手に職のある人や地に足のついた仕事をしてる人がほとんど。そういう人たちが自分の分野で勝負するみたいに、あたしだって堂々とルックスで勝負させてほしいよ」
悔し気な姫羅の目尻には、うっすら涙がにじんでいる。
「なにがいけないの。別にいいじゃんね。でないと不公平だよ。バスケとか水泳とか、あと料理でも音楽でも、練習して努力して競争するわけじゃん。あたしたちだって体鍛えたり、ウォーキングとかヘアメイクの練習とかしたりして、ものすごい努力してるんだよ。頭の良さを誇っていいんだったら、外見の良さだって誇らせてよ。あたしの特技、取り上げないでほしいよ」
姫羅の頰を、涙が伝った。若くて、自信家だと思っていた。無敵だと。本当は、こんなに繊細だったのか。
「姫羅ちゃん……」
「ごめん、忘れて。恥ずいね」
姫羅は照れくさそうに涙をぬぐった。
「こんなにきれいな星空だからかな、センチメンタルになっちゃった。どうしても優勝したいって焦っちゃってさ。変なこと言ったね。ごめん」
「ううん。全然そんなことないよ」
「もうちょっと泳いでくる」
姫羅は月光の粒が浮かぶ水の中を、きれいなフォームで泳いでいった。挫折を味わいながらも、ひたむきに努力してきた姫羅。いいネタになりそうという考えが頭をよぎってしまったことにちょっぴり罪悪感を覚える。
「美咲、大丈夫だった? 絡まれてたんじゃない?」
ユアンが近づいてきた。「姫羅って泣き上戸なのかな──って、そんな言葉、今は使わないか」
「絡まれてなんかないわよ。外見を磨いて自己表現することは姫羅にとって生きがいで、命を懸けてるんだなって教えてもらっただけ。わたしなんて応募してから慌てて筋トレ始めたし、姫羅みたいに普段から努力してる人に勝てるわけないなって、自信喪失しちゃいそう」
「あら、美咲はお人好しなのねえ。さっきは鼻息荒かったのに。参加するからには優勝にロックオンしておかないと」
「だけど……」
「そうやってライバルから戦意をそぐのも、姫羅のテクニックかもしれないわよ」
「そうかなあ。そう言うユアンはどうなの?」
「もちろん優勝を狙うつもりではあるけど……実は今、もっと大きな目標ができたのよね」
「優勝より大きな目標なんてある?」
「あるわ──結婚よ」
「結婚? どうして急に。誰と?」
「ミスター・クリスとよ」
「え?」
わたしは驚いてユアンを見る。
「だってお相手として申し分ないじゃない。成功者で、大金持ちで名声があって」
「成功者で大金持ちで名声なら、ユアンもじゃないの。相手に求める必要なんてないでしょう」
「ばかねえ、だからこそよ」
ユアンが苦笑する。
「わたしくらい成功してしまうと、相手がいなくなるの。そんじょそこらの男とは釣り合わなくなってしまう。一流では足りないのよ──超一流じゃないと、誰も納得してくれないの」
そうだったのか。社会的にも経済的にも大成功して自立している女性であるからこそ、さらなる大物と一緒にならなければならないのだ。彼女の隣にいても、かすまない男でなければ。そして一年限定のミューズになるより結婚を狙おうというユアンの切り替えの速さ、大胆さには脱帽してしまう。
成功者であるユアンでさえ闘志を燃やしている。さっきまでは、優勝できなくても本を出すことさえできれば成功すると思っていた。けれどもわたし以外の候補者たちは、みんな美しく大胆で強かなのだ。ミューズになればさらにパワーアップし、優勝できなかったわたしが本を書いたとしても注目なんてされないかもしれない。この七人の中でルックスもキャリアもそこそこなわたしこそ、一番優勝を狙わなくてはならないのではないか。優勝しなければわたしの人生なんて劇的に変わらない。
わたしにはあとがない。若くもない。新しい派遣先も決まっておらず、遅くにわたしを産んだ母はすでに定年退職しているので頼れない。だけど優勝すれば賞金も王冠も手に入る。島の豪邸で女王のように暮らし、プライベートジェットで世界を回りたい。何より話題になれば過去の著作も売れて、このコンテストをベースにした本も話題になって、新作も書かせてもらえる。ドラマ化、映画化、外国語への翻訳──夢は膨らむ。
ファイナリストは全員手ごわいが、キャンプ中にポイントを稼ぐことができればわたしにだって優勝できるチャンスはあるはずだ。
──わたしの人生、一発逆転、起死回生するには優勝するしかない。
闘志をあらたに燃やしながら、わたしは夜のプールを泳いだ。
波の音で目が覚める。
あまりに夜風が気持ち良くて、窓を開け放していた。わたしは伸びをしながらバルコニーに出て、サファイヤブルーの海を眺める。
環境が変わったからか、女性たちに刺激を受けたからか、昨夜は少しだけだが、久しぶりに新しい小説の草案を練ることができた。ストーリーはまだ固まっていないが、個性的な彼女たちをモデルに、トロピカルアイランドで思いがけない事件が起きたら面白そうだ。シリアスでダークな路線も、コミカルな路線も、はたまたアドベンチャー路線もありだろう。それに殺人事件だって。ああでもない、こうでもないとノートに思いつくまま書いているうちに真夜中過ぎになっていた。
だけど気持ちが充実していたからだろうか、目覚ましは六時にかけておいたのに、その前に自然に目が覚めてしまった。シャワーを浴び、髪を乾かし、きれいにアップスタイルでまとめる。それからTシャツにジーンズというカジュアルな服を選び、メイクもナチュラルなものにした。ミスター・クリスには着飾ったわたしだけでなく、自然体のわたしもアピールしたい。そしてきっと他の女たちも、昨日の正装とは違った面を見せるために、さりげなく見せかけつつ隙のないファッションとメイクで美しさをアピールするに違いない。
ドアを開けて廊下に出ると、舞香もちょうど廊下に出てきた。麻のシンプルなサンドレス。なるほど、サンドレスという手もあったな、と思いながら「おはよう」と声をかける。
「よく眠れた?」
階段を下りながら舞香が聞く。
「まあまあ、かな。ちょっと緊張しちゃって。舞香は?」
「けっこう眠れた。だってベッドが最高だったんだもの」
「確かに!」
その時、悲鳴が耳をつんざいた。ハッと顔を見合わせる。その声に驚いたのか、他の部屋のドアがあいて、姫羅が顔を出した。
「なにかあったの?」
「わからない」
三人で慌てて階段を駆け下りる。その間も悲鳴は断続的に聞こえている。たどると、バンケットルームに行き着いた。足を踏み入れたわたしたちは、フロアに倒れている人物を見て息をのむ。
血を流して倒れているのは、ミスター・クリスだった。
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救命艇は慎重にボートとの距離を縮めていった。
ぎりぎりまで寄せると小さな救命ボートをおろし、二名の救助隊員が乗りこむ。雨に打たれ、荒波をオールで漕ぎながら、もっと天候が悪ければ救助は叶わなかった、と二人は思う。
双眼鏡で確認した通り、甲板には人がつっぷしていた。救命ボートを横付けし、隊員の一名が隣のボートに飛び移る。仰向けにして気道を確保し、髪を搔き分けて顔を出す。青白いというよりは白に近く、唇は冷たかった。が、かすかに息はある。
「生存確認! 女性一名、生存確認しました!」
トランシーバーに向かって声を張り上げたあと、隊員が女性の頰を強めにはたく。
「しっかりしてください! 聞こえますか?」
全身が冷たい。服装はといえば薄手のジャンパーにスラックスという軽装だ。おまけに湿気を含んでいて、冷え切っている。彼女が腕の中でわずかに動いた。
「わかりますか? 救助に来ました。もう大丈夫です」
女性が目を開け、何かを言った。
「え?」
耳を近づける。が、嗄れた息が漏れるだけで、声にならない。
「先に移動します。しっかりつかまっててください」
隊員は女性に救命ベストを装着すると、持ち上げて、救命艇に慎重に移ろうとした。
「……ます」
強風の中だったが、今度は彼女の声がかすかに聞こえた。
「……もう一人、キャビンの中に、います」
(気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください)
『殺める女神の島』試し読み記事まとめ
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