【試し読み】ネット小説界の異端児・八潮久道のデビュー作『生命活動として極めて正常』冒頭特別公開!
誰も考えなかった「if」の世界を描いた八潮久道のデビュー短編集『生命活動として極めて正常』。抱腹絶倒の後、強烈なオチが待ち構える珠玉の短編の中から、「バズーカ・セルミラ・ジャクショ」の冒頭を大ボリュームでお届けします!
あらすじ
『生命活動として極めて正常』試し読み
バズーカ・セルミラ・ジャクショ
想像できるか? 客が店から評価されないのが当たり前だった時代を。
ネットオークションでは出品者が落札者を評価する仕組みがあった。ライドシェアリングサービスでは運転手が利用者を評価する仕組みがあった。誰もがそれは、赤の他人の素人同士の取引にとって必要なだけだと思い込んでいた。おかしな客、招かれざる客というものはいつだって一定数存在している。個人ではそのリスクに耐えられない。それは客の側も同じだ。だからお互いに評価し合って、その評価を集約する仕組みが生まれた。実際長らくずっとそうだったのだ。だからそれは当たり前だと思われていた。ところがそんな牧歌的な光景が一変した。バズーカ(Bazooka)が登場したからだ。
バズーカは手始めに、様々なネットサービスに遍在していた個人の評価情報をまとめ上げてみせた。ライドシェアでのドライバーとしての彼、民泊サービスでの宿泊者としての彼、あるいはネットオークションの落札者としての彼の素行が、ひとまとめに評価されるということだ。それからバズーカは一般の店舗にも売り出し始めた。まずは高級飲食店だった。評価の低い客を排除し店の品位を保つこと、そして悪い客を排除する姿勢そのものが売り文句として機能するのが高級飲食店だったからだ。評価の悪い客は予約ができない。その後、庶民的な飲食店や量販店へとバズーカは手を広げていった。さらにクレジットカード等金融の信用情報もまとめ上げていった。当初はバズーカがそこまで普及するとは思われていなかった。しかしそれを後押しした背景が二つあった。貨幣形態とテロだ。
貨幣は、羊や米から貴金属へ、そして紙幣へ、さらに電子決済へと、その形態を抽象化し純粋な数字へと姿を変えていった。そして電子決済は個人の名前と貨幣を紐づけることを可能にした。その普及を後押ししたのがテロやマスマーダーだった。かつて「ホームグロウンテロ」という言葉が存在した。政治・宗教・社会・環境などの主義や主張に感化された自国民が自国内でテロ行為に及ぶことをわざわざ「ホームグロウン」と冠して呼んでいた。奇妙に思うだろうか? 「車」と言って馬車や人力車ではなく自動車を指すのが当然となったように、「メール」と言って紙の手紙ではなく電子メールを指すのが当然となったように、単に「テロ」と言えばホームグロウンテロを指すのがもはや当然になった。あるいはマスマーダー、大量殺人でも、動機が主義・主張に基づかないだけで自国民が自国内で行動を起こす点では同様だ。国民の行動をより詳細に追う動機が生じた。現金での購買はトレーサビリティの点で難があるから、個人の名と紐づいた電子決済の導入が急速に進められた。今では現金決済を許す店はテロに荷担しているとさえ非難される始末だ。今や私たちは何をいつどこで買ったのか完全にトレースされている。そして「行為を可能にする組み合わせ」の物品購入が成立した時点で拘束を受ける。他人に買わせて後から受け取るなど回避する試みも当初は見られ、対策と回避のいたちごっこの時代もあったが、徐々に金の流れと物の流れを完璧にトレースしていくようにシステムが洗練されていった。
日本の場合はテロに加えてポイントも大きかった。日本は諸外国と比べてもポイントが大好きな国だった。政府までポイントで国民の行動を方向づけようとした。財布に何種類もポイントカードを入れていた、そんな時代もあった。その後、物理カードはスマートフォンのアプリに移行して財布は多少薄くはなったが、さらに生体認証へと移行していった。生体認証でポイントも決済も全て一元化され、利便性の高さから普及していった。例えばアメリカほどクレジットカードでの決済が浸透せずしぶとく現金決済が残り続け、ホームグロウンテロの脅威も比較的薄かった日本でも、こうしてバズーカが馴染む素地が作られていったわけだ。
わずか十年だ。冗談のようなスピードでバズーカに世界市民が取り込まれた。そんなふざけた世界にようこそ、心の底から歓迎するよ。
父さんは僕が十五歳になった日にそう語った。昔は良かった、そう言っているように聞こえて父さんが急に老人になったように思えた。十五歳、各種サービスが一気に利用可能となる年齢で、同時にバズーカによるレーティングが全面的に始まる年齢だった。ギミギミシェイク十五年、前の元号は僕の年齢と同じだったから覚えている。父さんの話は無数にある教養や知識の一つとして頭の奥にしまい込んでいた。バズーカ自体意識することなんて一度もなかった。普通に買い物をして、普通に飯を食って、普通に生活していれば意識する必要がなかった。
正確にそれから十年後のイージードゥダンス二年、僕が二十五歳になった日に父さんの話を思い出したのは、僕のレートが突如無に帰したからだ。その日の朝、いつものスタバでいつものホットコーヒーを頼んだが自動認証が通らず支払えないと端末が拒否した。三度試しても駄目だった。店員は「あらやだ。調子が悪いのかしらね」なんて言って隣の端末に僕を案内したが、そこでも駄目だった。そんな事態を経験したことがないからうろたえてしまった。後ろに並んでいた人たちもいぶかしげに僕を見ていた。急に恥ずかしくなった。
「ごめんなさい。ちょっと確認してみます」
慌てて店を出てはみたが、一体何を確認するのか自分でも全く分からなかった。とにかく出社しようと駅に向かったが改札を抜けられなかった。駅の「改札」なんて過去に意識したことがなかった。ただ通過するだけの存在でしかなかったのに、つつしみもなく大仰に真っ赤に光って僕を通さないと怒っていた。この時になってようやく、自分が支払えない体になっているらしいという可能性に思い至って恐怖がこみ上げてきた。
「んっふふ。『支払えない体』とかそうゆうの。なんかやーらしい」
パパピッピはそう言ってくすくす笑った。四年前、父さんは突如パパピッピになった。そう呼ぶよう僕に強制し、虹色のセーラー服とスーツを取り混ぜたような奇抜なファッションに身を包み、妙な口調を使い始めた。就職して家を離れてからパパピッピとは距離を置いていたが、相談できる相手が他にいなかった。パパピッピは年々若々しくなっているようだ。以前は緩んで衰えていた身体が筋肉で盛り上がっていた。電話をしたら「すぐいくぽよ~」と言ったわずか十二分後に、僕のいる地点に猛烈な速度で走って現れた。息切れもまるでなかった。無許可でパパピッピに端末を向けて映像を撮る連中が群がったが「ぱぱぴっぴ!」「ぱぱぴっぴ!」という決め台詞と共にすすんでポーズを取っていた。パパピッピは一種のアイドルのようなものとしてネットの中では名が知られて一部の世間には許容されていた。
「ばややでゅーかの、おれーちんは、もう見たぽよ~??」
何度か聞き返してバズーカのレーティングのことを言っているのだと理解できた。金は不足していないのに支払えない、と僕が訴えた直後にパパピッピはそう指摘したのだった。僕は一瞬、呆然としてしまった。支払いができない理由が、レートの不足だなんて一切想像していなかった。その瞬間に、ぴったり十年前の今日、まだパパピッピじゃなかった父さんの語った昔話の記憶が、いきなり目の前に物のようにくっきり現れた。僕が端末をまごまご扱っていたらパパピッピはそれを軽やかに奪い取ってしばらく操作してから突き返してきた。「Total Rate」という題目があり、その数値は「0.000」だった。その下に明細が載っているようだったが全項目で数値は「0.000」になっていた。驚駭してスクリーンから目を上げるとパパピッピは無言で肩をすくめてみせた。何か急にとても懐かしいような感覚があった。すっかり忘れていた、父親に縋るという子供の頃の感覚にいきなり襲われた。見知らぬ土地で突然迷子になってしまったような、一体自分はどうなってしまうんだろうという不安の中で、でも父親が守ってくれるような安心感が懐かしかった。しかし目の前の人物は全く父親の顔をしていなかった。庇護者としての顔ではなく、ただパパピッピというキャラクターでしかなかった。口をすぼめて突き出して、かわいい顔をアッピールしていた。赤の他人のようだった。
「お誕生日プレゼントだぽよ~~☆」
パパピッピは、握ったこぶしを僕の方に突き出した。くしゃくしゃの紙が十枚ほど握られていた。それは紙幣で、生まれて初めて本物を見た。日本にはまだ紙幣と硬貨が存在すると知識としては知っていた。既に紙幣の発行を停止し電子通貨へ完全に移行した国々も存在し、金兌換の停止に次ぐ通貨革命とも呼ばれたが、日本は様子見のまま紙幣を細々と発行し続けていた。テロやマネーロンダリング等の温床と国際社会の一部から批判も浴びながら、災害時・非常時の決済手段だと必要性を日本政府は強弁していた。
僕は手元の紙幣にまじまじと見入った。
「これって……えっ。使えるの?」
「んもう。バ・カ」
パパピッピは唇をすぼませて、チュッとした。
バズーカお客様相談窓口に電話をしてたっぷり三十二分間きれいな音楽を聴いて十分に僕の心が澄み渡ったところでオペレーターにつながり、「大変申し訳ございませんが個別のお客様のレーティングに関するご質問には一切お答えできかねます。」と繰り返されるばかりで、わざわざAI案内じゃなく人間のオペレーターにつないだのに何なんだ。こんなに意味もなく時間を浪費する経験を久しぶりに思い出していた。今でも人間のオペレーターを用意しているのは日本法人だけだと聞いたことがある。心がないと言って怒る老人がいるから仕方なくわずかな数の人間のオペレーターを残しているという。
パパピッピに教わった住所はどう見ても普通のアパートの一室だった。入る勇気がなくて、入らない言い訳のためにバズーカお客様相談窓口に電話したのにこの始末だったから、諦めてアパートに戻ったものの逡巡していたら、
「入らないならどいてくれる?」
と真っ白のワンピースを着た女が僕を押し退けてさっさと入っていったから慌てて後をついていった。長い髪をまとめ上げてうなじが涼やかだった。中は三室分をぶち抜いて広かった。棚にはまばらに食料品や雑貨が並んでいた。他の客が僕をじろじろ見るせいで居心地が悪かった。とりあえず菓子パンを手に取ったが現金決済なんてしたことがないから、誰かがレジで支払ってるのをこっそり見て真似しようと店内をうろついていたら棚の陰から人が急に出てきて、さっきのワンピースの女だった。
「やだ白のワンピかわぽよー」
えっ。女が一瞬振り返って僕を睨んだ。自分でもどうしてそんなことを口走ったのか分からない。パパピッピの影響か。さっさと会計する女を僕は後ろから観察した。女はコインを出したが僕は紙幣しか持っていなかったから不安になった。女が会計を済ませたあと、僕も平静を装って商品と紙幣を置いた。店主のおっさんが紙幣を受け取ってほっとした。僕が商品を手に取っていかにも慣れている様子を装って店を出ようとしたらおっさんが、
「ツリィッ!?」
と怒鳴った。声に反応して振り返ったものの意味が分からなくて僕は突っ立っていた。フィッシングとか樹木とか言葉の解釈が色々と頭のなかで点滅した。おっさんは、
「ツリー、いらないのぉ?」
と握った手を突き出していて受け取ったらコインだった。ようやく、ああ、差額が小額の貨幣として返却される制度だと理解した。ツリーが結局なんなのかは分からなかった。「ヘイ」とか「ちょっと」みたいな、呼び掛けの一種なんだろう。社会階層が違うと言葉も違うのだ。
「もともとグリーンだったんだけど。洗ってたら白になったんだよね」
女は僕を待っていたみたいな位置で店の外に立っていて、いきなりそう言った。
「あっ、そう、なんですね……」
何を言われたのか分からず適当に返した。女が黙ったままで不安が募る。ようやくワンピースのことを言ってるらしいと気付いた。さっき出会い頭に僕が白のワンピースのことを言ったからだ。
「えっでも、ワンピース、白、似合ってると、思いますけどね……」
「ンオオォォオッ!!」
女が急に牛みたいな声で低く吠えて、どういう感情なのかよく分からなかった。怖かったが、この人にこの世界の仕組みを聞くより仕方がない。バズーカのレートがゼロになった以上もうここで生きていくしかない。見た目も多少まともっぽいし、年齢も近そう。別世界に来れば導き手が現れるのはセオリーだし、この人を逃したらダメだと思った。
「あっ、お名前、あっ僕、三浦っていいます」
「私は、別にちゃんとした名前もないし、好きに呼んでもらっていいけど」
困る。決定権をこっちに渡さないでほしい。なに食べたい? なんでもいい。そういうやり取りが嫌いだ。せめて最初から選択肢を出してくれよと頭の半分で怒りながら、頭の半分では大忙しで失礼じゃなくて相応しいネーミングが何なのか必死で考えてた。
「えっと、あの、ワンピ女……あのー……ワンピ女って呼びますね……」
「別にいいけど、私毎日ワンピース着てるわけじゃないし」
「そんなこと言われても知らないです……」
実際その翌日、ワンピ女はワンピースを着ていなかった。僕は軽く手を上げちょっと勇気を出して、
「ツリー!」
と言った。ワンピ女は軽くうなずいた。挨拶が通じた。ちょっとだけ、自分がこのコミュニティに馴染めた気がした。ワンピ女はジーンズを穿いて、上は世紀末覇者って感じのプロテクターを着用していた。ゆっくり話ができるカフェに行きたいと言ったら、昨日と同じ店でワンピ女は僕に缶コーヒーを二つとイージードゥダンス紅白まんじゅうを買わせて、公園に行った。
「現金遣えるカフェなんてあるわけないじゃん」
紅白まんじゅうは賞味期限があやしい気もしたがワンピ女は気にせず食べていた。「イージードゥダンス」と元号の焼印が入っていた。昨年代替わりにより改元された。明治、大正、昭和、平成、ラブマシーン、ギミギミシェイク、イージードゥダンス。ラブマシーンとギミギミシェイクには、それぞれ「愛機」、「請振」という漢字表記もあったが、今回からはそれもなくなったから、まんじゅうの焼印も細かい文字が詰め込まれている。
漢字表記廃止には強硬な反対派もいたが首相が押し切った。首相は僕が中学一年からずっと同じ人だ。元俳優で国際政治学者出身、女性初・最年少で内閣総理大臣になった。長くやり過ぎているとも批判されるが人気がある。ずっと同じ人だとそれ以外の人のイメージが僕には湧かない。
先の帝はまだ五十三歳と若かったけれど、「自身も三十歳で皇位を継承した。皇太子が三十歳となる年に譲りたい」と譲位した。ラブマシーンの帝が九十歳を超えて存命で上皇が二人になった。昔の例にならってラブマシーンの上皇は本院、ギミギミシェイクの上皇は新院と呼ばれている。新院は二百六十年ぶりの女性天皇として僕がまだ赤ちゃんだった頃に即位した。その前まで男女で分けていたのも今の感覚だと変な感じがする。
ワンピ女にはとにかく色々聞きたいことがあった。まずは現金だ。みんなどこで手に入れているのか知らないとまずい。
「セルミラって知ってる?」
知ってる。世界最大の臓器売買マーケット、セルミラ(cermira)だ。しかし今はもう存在しない。僕が物心もつかない頃に各種人権団体、国連、国際社会から強い圧力を受けて国に潰されたと聞く。個人に根差したネットフリーマーケットサービスとしてスタートしたセルミラだったが、どういうわけか臓器売買の温床になって潰された。ワンピ女はまんじゅうとコーヒーを交互に口に運び、その度に上半身のプロテクターががちゃがちゃ鳴ってうるさいし動きづらそうだった。
「セルミラはね、今もあるよ。電子的なネットワークであることをやめただけ」
各地にいる「セルミラおじさん」が仲介してくれるという。臓器を売ればそこそこまとまった現金が手に入るらしい。でもセルミラおじさんはどうやって臓器を現金に換えてるんだろう。セルミラおじさんは何でも現金に換えてくれるというから当面は自宅にある品物を売っていけばなんとかなるみたいだ。それでも、本当にお金がほしければ臓器が一番いいという。
「だって私も腎臓いっこないよ?」
「えっ……でも……でも、iPS細胞由来の拒否反応のない臓器を、作れると思いますけど、どうして……」
「めちゃくちゃお金も時間もかかるでしょ。お金持ちがバックアップで作ってるだけじゃん。セルミラで買った方が安いんだよ」
腕まるごと切っちゃう子とかも結構いるんだってワンピ女は言った。保存処理して腕をコレクションするお金持ちがいるらしい。セルミラで買った腕の中にロボットを仕込んで動くオブジェにしたりもするって。でも腕を失くしたら生活に困るじゃないかって言ったらバカなんだよって。そのお金を元手に成り上がって、後で本物と変わらない義手を買えばいいってセルミラおじさんに唆されて腕を売っちゃうんだけど、みんなダラダラお金を遣っちゃって一生そのまま片腕で暮らすんだよ。義手もない子は社会でまともに扱ってもらえないから。
僕らの目の前を猫が歩いていった。ワンピ女はゴオオーッとジェットエンジンみたいな音を出して、急に指を口に突っ込んだと思ったら、ネバネバした白い塊を口の奥から取り出して猫につけた。マーキングの一種か? 猫は「にゃごーっ」と言ってそのままの速度で歩み去った。
「政府もセルミラ使ってるらしいよ。精子や卵子を買って工場で子供作ってるって」
ワンピ女が急に陰謀論めいたことを言い始めるからドン引きした。スラムにいると正しい情報が入ってこないからすぐそういうストーリーに入り込んじゃうんだろうか。
「日本の割り当て数が全然達成できないから、子供を工場で作ってるんだって」
人口増の各国ノルマの話は聞いたことがある。「工場」も、妊娠による女性の身体への負担を減らすために、完全人工子宮で受精から出産まで体外で進める方法が普及している国も既にあるし、不可能ではないのだろう。
僕はもうバズーカのレーティングがゼロだから、来月の家賃の支払いができなくてもうすぐアパートを追い出される。住処を探さないといけない。
「うちに来れば?」
とワンピ女が言ってくれた。
「あのう僕、ド汚いところは、ちょっと……」
「ド汚くねえし」
それでも現金を減らさなくて済むのはやっぱり助かる。背に腹は替えられないから、ド汚いワンピ女の家に移り住んだ。
一緒に住むのに名前も歳も知らないのは変かと思ったが、ワンピ女は、ホントの名前なんてないし、ホントの年齢なんて分からないと言った。赤ちゃんの時にセルミラで売られ、生理がきた時に金持ちから捨てられた、記憶は消されたから正確には知らない。たぶん今は十七歳くらいだと思うと言った。どう見ても二十代半ばだった。
スラムの闇医者にうつ病の診断書を書いてもらって、仕事は長期休暇にした。
さしあたり家にあった物をセルミラで色々売って現金を作ることにした。ワンピ女がセルミラおじさんを紹介してくれた。
「はあ? あたし臓器は売らないわよ。当たり前じゃない」
そのセルミラおじさんは、おじさんというか七十歳くらいのおじいさんで、めちゃくちゃ体がでかい。ゆったりしたドレスに上品な化粧に大ぶりの黒真珠のネックレスを着けていた。スラムの人たちからは「ソーリ」と呼ばれていた。「スラムを束ねてるからとか?」とワンピ女に聞いたら「昔、総理大臣だったんだって」と言う。なんだそりゃ。ソーリは普段は海の近くで暮らしていて、時々スラムにやってくるそうだ。
「ポイントとか大嫌い。レーティングもくそくらえよ」
ソーリはバズーカが大嫌いで、バズーカの外側で暮らす人達の現金を作るためにセルミラおじさんをやっているらしい。変な人だけど、実際現金があるのは助かる。
「そうね、各国に出生率の義務が割り当てられていて、日本が大きく下回ってるのは確かだわ」
スラムでの生活以外にもソーリは色々詳しかった。人為的な出生抑制を一切行わない場合、平均出生児数は女性一人あたり十人前後で、実際に日本では一九三〇年の年齢別出生率がそれに近かった。人口転換論では「開発は最良の避妊薬」とされ、医療技術や衛生意識の向上、生活環境の改善、飢饉への対策などで死亡率が低下すると、人生を計画的に営む機運が生まれ出産がコントロールされる。産業革命により子供への教育・トレーニングの必要性が増加し子育てコストが急増したことも子供を減らす要因となった。二〇〇〇年代の時点で既に先進国だけでなく発展途上国も含めた世界人口の四割を占める国々で出生率が人口置き換え水準以下にまで低下し、その後は世界全体で低下していった。世界人口の減少自体は必ずしも否定的な事象でなくても、急減は社会の維持をやはり困難にした。そのため各国に一定の出生率の義務が割り当てられることになったという。
人口変動の三要素に出生・死亡・移動(転入と転出)がある。死亡率は十分に低下した。移動による平準化が目指されたことも過去にはあったが、異なる文化的バックグラウンドを持つ集団が社会内に包摂できない規模で存在することで、価値観の衝突によって社会の維持が極めて困難となったため各国は移動に慎重になった。出生数割り当ての国家間の融通は認められていない。
子供を工場で作る動機はあるってことか。だけどこっそりやる必要はなんだ。僕はさらにウェブでたくさん調べた。日本では忌避感が強いのかボランティア精神が低いのか精子バンクも卵子バンクも登録数が少ないらしい。昔は薬の治験や献血、臓器提供など、自分の体やその一部を提供する医療行為もあったが、再生医療の進展でそうした機会が減ったのも、忌避感を高めて普及を阻んでいる要因かもしれない。国として国民に強制はできない、しかし子供は作りたい、だから陰で生産する。
こども家庭庁成育局の外郭団体に、独立行政法人日本こども健康支援機構(Japan Children Support Health Organization:JaCSHOジャクショ)という組織があり、精子・卵子バンクや関係する政策の実動部隊になっているらしい。ここが怪しいな。だいぶ分かってきた。
「働け────────!!!」
ワンピ女がブチ切れていた。セルミラで色々売って作った現金も減ってきて不安だ。でも働くのは難しい。医者や理容師や料理人は技術がないからできない。商店は元手がないからできない。自治体が雇用のために、自動化可能な仕事をあえて人間に発注しているものもあるが、現金払いではないから受けられない。金属や紙や廃品を回収してセルミラや商店に売るにも一日中歩き回ってしんどいし、どこに行けば・誰にアクセスすれば資材を入手できるのかといったノウハウやコミュニケーションも結構必要になる。時間効率のいい「稼げる」仕事はすぐに反社組織が間に入ってきてしまうから、ひたすら非効率な仕事しか残されない。
ワンピ女は働け働けと言う。難しいんだからしょうがない。僕は電気設計者で、経験は浅いが手に職はある。でも変に働いて記録に残って復職時にバレたら困るじゃん。
「えっ。あっちの社会に戻る気でいるの?」
(気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください)