住野よる『告白撃』刊行記念特別試し読み
2015年の『君の膵臓をたべたい』以来多彩な青春小説を生み出し続け、今なお若い読者の熱い支持を得ている住野よるさん。
2024年5月22日に発売日を迎えた最新作『告白撃』は、今やすっかり大人になった読者にも、常識を持ちつつ時にかなぐり捨てる登場人物たちが刺さる青春“再始動”小説です!
本記事では、『告白撃』の冒頭を特別公開!
「告白され」て、「失恋させ」るとはどういうことなのか? 前代未聞の〈告白大作戦〉をまずは試し読みでお楽しみください!
あらすじ
試し読み
あいつの頭を撃ち抜かなきゃいけない。
その一言で、どうでもよかったはずの一夜が俺の記憶から引っ張り出されてきた。
よく同じ場所、似たような面子で開催されていたため、正確な日付は定かじゃない。いつだとしても、テーブルの上にはスナック菓子や空き缶、一切れだけ残ったピザが散らばっていたはずだ。テーブル以外にも、響貴の家のベッドやソファは度々酔った仲間達に蹂躙されていた。嫌がってはなかったみたいだけど、本当のところちょっとはめんどくさかっただろうな。
あの夜、俺は当時やっていた居酒屋のバイトを終え、日付を越えてから響貴の家に訪れた。あの頃の俺達はバイト後だとか、飲み会の二軒目扱いでよくあいつの家へ遊びにいった。
鍵なんてかかっていない扉を自分の手で開けたら、いつもの匂いがする。響貴んちのっていうよりはなんだろうな、あの寝息と柔軟剤と食べ物の混じった複雑な匂い。社会人になってからとんと嗅いでない。ひょっとして、あれが千鶴の言う夢の匂いか。
九畳ほどの部屋では、響貴がパソコンで何かバンドのライブ映像を控えめな音量で見ていて、ベッドでは千鶴がいつもの革ジャンを着たまま無防備に寝ていた。響貴と千鶴の間には男女の遠慮があんまりなかった。二人の仲を俺達は信頼してた。
「果凛お疲れ、飲み物なんでも勝手に取って」
「ありがとさん」
キッチンの冷蔵庫を開けてビールを手に取り、床に座って乾杯する。俺が何か言う前に、響貴は残っていたピザをレンジで温め直してくれた。ついでにもぞもぞしていた千鶴の足に毛布をかけてもやる。
「さっきまで舞さんと大賀さんいたけど明日一限あって帰った。千鶴は昨日課題で二時間しか寝てないらしくて力尽きた」
温かいピザを食べながら今日の飲み会の経過を聞いた。俺もバイトであったささやかな面白話を披露すると、毎日のように会っている男二人で語り合うこともなくなる。
俺達には共通の趣味があった。俺がジャンクな晩飯を終えたら、音に気をつけてテレビをつけゲームのハードを起動した。ソフトは響貴がセールで買ってみたというゾンビ系のシューティングゲームを選んだ。バイオじゃなかったと思う名前は忘れた。
しばらく二人で敵を撃ち殺しながら探索を続けるうち、もちろんあるに決まってる脅かしのシーンで、俺は制作者の思惑通りまんまと驚いた。多分その声で起きたんだな。
「お、仲良くゲームデートしてる」
背後から聞こえた寝ぼけ声に振り返る。さっきまでベッドに倒れていた千鶴が起き上がってダークブラウンの髪を手櫛で撫でていた。俺はすぐ画面に目を戻した。
「起きて一発目に何言ってんだ」
「あの彼女が恋敵になったら手ごわそうだなあ」
響貴の軽口を聞いている間にも、俺は目の前のゾンビを撃ち殺していく。
「私がゾンビになったら二人ともこんな簡単には進めないだろうね、強くて」
後ろからの声に、倒れていくゾンビ共と仲間になった千鶴を想像して笑った。
「そん時はちゃんとエイムして千鶴の頭すぐぶっとばしてやる」
「おい。まず果凛の頭かじるぞ」
「俺の方は真面目に目を見て責任感じながら殺すようにする」
「よし次に響貴の目をえぐる。まず治す方法考えろ。自分がゾンビになった時に後悔するよ」
千鶴のファンタジーな脅しに響貴は笑うことなく「実際」と、授業で議論を始める時のような口調を作った。
「俺がそうなったら、周りの人間にばれないよう行動して一人ずつ殺していくと思うんだよね。千鶴はゾンビだぞーって皆の前に飛び出して撃たれるだろうけど」
ふざけた内容がフラットな口調にあっていなくておかしかった。
「なんで私には理性がなくて響貴だけあるんだよっ」
「理性っていうか、元の性格だな」
「よし響貴の様子が変わったら果凛と協力して一撃で頭撃ち抜いてやろう」
「二人なのに一撃? 果凛に任せないで千鶴も戦って」
「……うっせえ!」
千鶴の子どもみたいな応戦に笑った直後、床に置いていた俺のスマホが震えた。みんなそれぞれと仲の良いハナオから、『まだやってる?』という連絡があった。どうやら部活での飲み会解散後、暇になったらしい。
ハナオが合流してまた乾杯をした。あの頃の俺達にはそういう体力と、明日を犠牲にする勇気があった。そして俺だけじゃなくきっと皆が、今だけだという儚い感覚を共有していた。
「社会人になったらこんな間違った時間まで遊んでられなくなるな」
カーテンの隙間から差し込む朝日に目を細めながら、確実にいつか来るのに想像できない未来のことを勝手に憂えていた。きっと何もかもが変わってしまうんだろうな、なんて。
だから約十年後、まさかまだ同じような話をしているとは思いもしなかったし、これから間違える生き物になっていくだなんて考えもしなかった。
『学生時代を思い出すと、なんか夢の匂いを感じるんだよね』
「そんなロマンチックな匂いの商品あるのかよ」
『ないよ。鼻でじゃなくて脳で直接感じるようなさ。ナイスぅ』
敵を全て倒し戦闘は終了した。俺は通信先の千鶴に「トイレ休憩」と告げ、コントローラーを置きヘッドフォンを外す。
小さいながら設備を整えたゲーミングルームを出て、そういえばネクタイも外してなかったことに気がついた。帰宅が約束の時間ギリギリだったからだ。素早く部屋着に着替え改めてトイレに向かう。用を足してからキッチンに立ち寄り、缶ビールを持って戦場に舞い戻った。
ヘッドフォンをつけて呼びかけると、すぐに反応があった。コントローラーを操作し対戦相手とのマッチングを待つ。敵味方揃ったら、もはや現実よりもずいぶん美しいフィールドで撃ち合いの始まりだ。
右が左が、建物の陰がどうだ、持ってる武器がどうだ、ヘッドフォンとマイクで連絡を取り合い、戦闘をより優位に進めるため両手を動かす。操作ミスに文句を言うし、強く言われたら若干イラっとする。相手だってそうだろうからおあいこだ。安心して遊べる。
こうやって趣味のゲームを思い切り満喫できるところに、そろって出張が多い夫婦唯一の利点があると、今も接待中だろう奥さんのいない家で思ったりする。
『果凛、酒飲んでんのか』
空からパラシュートでの降下中に、喉の音で気づかれた。
「仕事終わってリラックスタイムだからな」
『戦闘中にリラックスなんて迂闊な話だ』
フィールドに着地する。すぐさま索敵と武器やアイテムの回収を迅速に行う。
二ゲームプレイした後、今度は千鶴からちょっとタイムのアナウンスが入った。俺はヘッドフォンをつけたままビールを飲み、スマホの画面で有料登録している新聞社のサイトを開く。
千鶴は戦闘への復帰を、缶のプルトップを開ける音と喉の音で知らせた。訊いてもないのに『レモンサワー』と装備品の説明付きで。
そして再びコントローラーを持ち、まさに戦いが始まろうかというその瞬間に、もう一つの知らせをもらった。
『私、婚約してさ』
「報告のタイミング今!? それはおめでとう」
驚いた。でも、反射的に祝福の言葉を届けられた。
『ありがとう』
「そうか結婚か」
千鶴が結婚するのか。
事実を嚙み締め、報告が急でよかったかもしれないと思った。考えこめば浮かんでしまうある懸念を、まずは混ぜることなく友人を祝えた。どうしても、今は通信上にいない別の友人の顔が浮かぶ。
大きな感情の起伏は死を招くらしい。映画やなんかでよく聞く。俺は画面を注視しつつ努めて平静を装い会話を試みた。
「一回目だっけ?」
『一回目だよ! それくらい覚えといて』
「冗談だよ。相手は?」
『職場の一個下』
「俺が知らないってことはだいぶスピード婚?」
『いや、彼氏できたくらいで報告されてもきりないだろうから話さなかっただけで、一年くらい付き合ってた』
「俺も訊かなかったしな」
友達としての会話とは別に、互いの戦況もしっかり報告していく。
「結婚式やるの?」
『やる予定。ただまだ婚約って形だから、入籍も結婚式も含め、一年後くらいかな』
「ふーん、とにかくおめでとう。相手の事情もあるだろうから、結婚式は呼べそうなら呼んでくれ」
何げなく聞こえるよう、言葉を調節することに意識の大部分を割いてしまい、集中力を保てなかった。そんな状態で生き残れるわけもなく、些細な操作ミスを重ねさらっと殺される。
『もちろん呼ぶよ』
次こそはゲームに集中するはずだった。なのに。
『でも、それについてちょっと相談したいことがあるんだ』
千鶴から嫌な予感しかしない語り出しがあった。絶対に、予算の組み方などの情報を得たいわけではないと分かってる。友達始めて長いからな。
現実でも銃口を向けられたような、ありえないイメージがわいた。
『響貴のこと』
二つの世界で命を狙われて生き残れるほど人間離れしていない。俺はゲーム内でまたさっさと殺されてしまい、コントローラーを置いた。落ち着くために一口ビールを挟み、逡巡しているのではなく口がふさがっているのだと喉の音を大き目に鳴らす。
「え、響貴のこと?」
希望を込めてすっとぼけた。戦う兵士というより、赤外線センサーを避けて身をくねらせるスパイの方が近い。
『うん、あのさ、響貴って、これ頭おかしいと思われるかもしれないと分かってて、話進まないから言うよ? あいつ』
声色だけでも見え見えのためらいが、一瞬の間を生む。
『私のことが好きなんだ』
「本人に訊いたわけ?」
『いいや。でも察するよそれくらい、長いもん』
俺も一緒に共有している約十一年のことか、それとも想いに気がついてからのことか。
『間違ってる?』
あっちもコントローラーはとっくに置いたらしい。冗談やからかいならともかく、友達の真剣さに噓はつきたくない。俺は観念した。
「……本人からはっきり聞いたわけじゃない。でも、そうだと思う」
『だよね』
息を吐く大きな音が聞こえる。溜息じゃない。そんな失礼なやつじゃない。
「それで相談って?」
『響貴に花嫁姿を見せたくないんだ』
千鶴の答えを聞いてすぐ、二つの気持ちが湧いた。
お互い子どもじゃないんだからって気持ちと、俺もその光景を見たくないって気持ちだ。正直に言えば、どちらかというと後者の方が強かった。もう三十の大人なんだから、なんて自分に言い聞かせるだけの言葉で、自覚など本当はどこにもない。折り合いつけたり見て見ぬ振りしたり、常日頃から好きでやってるわけじゃない。
「単純に呼ばなきゃいい、ってわけにもいかないか」
『無理でしょ。響貴を呼ばなかったら友達誰も呼べないよ。だけど、新郎側の考えと私の立場もあって、二人っきりとか、家族だけでの式は出来ない』
「あいつが断るかもしれないけどな」
『じゃあ私のことを好きだと分かってる友達に、よかったら他の人と幸せになる姿を見に来ませんかって?』
「そんな」
言いかけて、黙ってしまう。少しの沈黙の後、あちらから先に『ごめん』と短く真面目な謝罪がくる。お互い少しずつなら大人になったのかもしれない。
「どうするんだよ」
すぐに思いつくのは、響貴の仕事が忙しい時期を狙い日帰りでは来られないような遠方での式にするとか。いや響貴は大切な友達の為ならと、いつだってどこだって来るだろうな。自分の気持ちなんて隠しきって。それに日付や場所の調整だけで済むなら、千鶴も俺に相談する必要がない。
言葉よりも意思の伝わる深呼吸音の後に、千鶴は答えた。
『響貴から告白されようと思ってる』
受動態の文章では聞いたことがない宣言だ。意味と目的はなんとなく分かったのに、「どういうことだそれ」とつい訊いてしまった。身についた癖みたいなもんだった。
『あいつだけを呼ばない、あいつが来なくてもいい、明確な理由を作る。気持ちを互いの間でオープンに出来てれば、結婚式に呼ばない理由になる。だから告白されて、断りたい。もちろんあいつがここまで長く黙ってたのを簡単に言う気はしないから、もしよかったら、果凛に協力してほしい』
「なんだその最悪な作戦、もっと丸く収まる方法あるだろ」
『最悪じゃなきゃ駄目だ』
簡単に覚悟とか決心とか迫真とか、そんなかっこつけた言葉を友達との間であまり使いたくない。でも声が、そんな風だった。
『もし万が一、この作戦が他の誰かに知られた時に、響貴が式に来ない理由を知られた時に、全員が私を責めるような、百パーセントこっちが悪い作戦じゃなきゃ駄目だ。だって友達が表に出さない感情を無理やり引き出して砕こうとしてる私が、全部悪いんだから』
見えないところで散々に悩み抜いたんだろう。震える声から伝わってくる。
「響貴に訊いてしまうってパターンは?」
『そんなことしても、あいつが認めるわけないよ』
「だろうな」
冗談っぽくシニカルに処理する響貴が目に浮かぶ。そんで千鶴は子どもみたいに、いーって悔しがる。
「真っ向から向き合うなら、あいつに言わせるしかないと思ってる」
結婚式に呼ばない方法なんて、他にいくらでもありそうなものだ。それでも千鶴の考えた方法に強く反対できなかったのは、二人の間にある感情のすれ違いを放置してきた俺に、自分が悪いと宣言する千鶴を否定する権利なんてないと思えたからだ。
何より俺もまた二人の決着を望んでいた。
この年まで続いた片想いは、相手の結婚を機に自然と消えるものじゃないだろう。これからもひた隠しにし続ける友達を見るのは、はっきり苦しい。願わくはきちんと落としどころを見つけ、どんな形であれ響貴には前に踏み出してもらいたい。全員で目をつぶり心を隠しながら付き合い続ける未来なんて、欲しくなかった。
それでも協力をしていいものか悩む俺に、次の言葉がとどめになる。
『決めたんだ』
「何を」
『私があいつの頭を撃ち抜かなきゃいけない』
似たような夜ならいくらでもあったはずだ。それにもかかわらず何故かすぐ脳内から特定の映像や音が引き出されてきた。
「あの時の話か」
『何が?』
「違うのかよ! いい、俺だって偶然思い出しただけ」
きっと皆がそれぞれに持っている記憶の欠片を集めて、ようやくあの日々になるのだろう。千鶴の発言が偶然でもいい。未来で千鶴や響貴と気兼ねなくあの頃の欠片を集められる仲でありたい俺は、決めた。
「分かった。まず近々話し合いしよう」
『ありがとう本当に』
「ただどうしていいか分かんねえから啖呵切りながら泣くな」
途端に通信を切られた。
かけ直しても反応はなく、後からスマホの方に『作戦会議の日程の確認よろしくお願いします』とラインメッセージが来ていた。子どもかよ。弱い涙腺をいじられたくないと知ってていじる俺もまた。
大学の授業である作家の名言を教わった。
人は人に影響を与えることもできず、また、人から影響を受けることもできない、らしい。三十という年になってふと思い出し、噓だと思う。
出会ってから俺達は、互いに影響を与え合った。軽いところでゲームという趣味は親や兄弟からの影響じゃなく、響貴から誘われて始めた。そういう意味の名言ではないと作家の研究者に言われたところで、知ったことか。
今日の待ち合わせ場所も指定したのは千鶴だったけど、他の喫茶チェーンより比較的空いてるからと、就活時代に通いだし仲間内で流行らせたのは俺だ。
千鶴の協力要請から一週間後の土曜日、俺は普段あまり利用しない駅のホームに降り立ち指定された店舗へと赴いた。
いつからか煙草臭くなくなった入り口で店員を捕まえ、名前を伝える。大学生のバイトだろう背の低い女の子は、奥に位置する貸し会議室へ丁寧に案内してくれた。
軽くノックして、返事は待たず扉を開ける。まず千鶴の頭頂部が目に入った。手前の席に座り、なにやら一人でクリーム色の壁に喋りかけている。振り向いた彼女と手の動きのみの挨拶を済ませ、俺は奥の空いた席に座り鞄を隣に置いた。それからテーブル上で開かれたメニューを黙読する。
「そうだね、知らないのが当たり前だって心構えでいると楽だよ。倉屋のアップデート得意なところは信じてるから。ミスもあるけど」
電話先の相手をからかうように千鶴は笑う。誰かを励ましているとは分かった。
千鶴の前には既に飲み物が置かれていた。俺は静かに立ち上がり部屋を出る。ちょうど前を通った若い男性店員にコーヒーフロートを頼んだ。
戻ると千鶴は、耳につけていたワイヤレスイヤホンを専用のケースにしまうところだった。そこで初めて、彼女のスーツ姿を見たのが二十代前半以来だと気がつく。
「千鶴が革ジャン着てない!」
半分いじり、半分本当の驚きで指摘したら、千鶴はこっちに向かって歯を見せた。
「得意先との定例会終わってから来るって言ったじゃん」
「生涯革ジャン主義って言ってたのに、イメージ崩れるぞ」
「魂に着ておる」
「前に会った時は普通に着てただろ。二重だったのかあれ」
「そっちだって半年ぶりに見たら、髭やっぱり違和感あるよ」
一年くらい前から貯え始めたチャームポイントを、俺は自分で触る。
「おかげで最近、髭の営業って覚えられやすくなった」
「なんか偉そうで嫌」
「ただの悪口はやめろ」
半年会っていなくても、大学時代からノリは変わらない。それほど気の置けない仲なのは本当だとして、単に月一以上オンラインでのゲーム会をやっているのも理由の一つだ。響貴が参加していることもあれば、俺がいないこともあるし、男同士って組み合わせもある。
「え、髭そんなに変?」
「気にしてる! 別に変じゃないけど、見た目ごついから、髭も合わさると威圧感を受ける人もいるかもね。ただキャラクターでいじられてるならいいんじゃない。モテなくてもいいでしょ奥さんいるんだし」
友達からのきっぱりした意見をもらっていたらドアがノックされ、コーヒーフロートが運ばれてきた。男性店員がテーブルの上にスプーンとストロー、紙ナプキンも置いてくれる。そこにすぐ「私の前で可愛さアピールされても」と不本意な意見が交ざる。事実無根であることを店員にも直接伝えたかったが、おっさんに絡まれたと思われてはたまらないので退室を待った。
「知ってるだろ甘党なんだよ。千鶴はほんとガラナばっかりだな」
「だってこことシュラスコの店くらいだよ、これに出会うの」
「響貴としょっちゅう言い合いしてたの思い出した」
「そう、あいつ、甘い飲み薬だって言うんだ」
千鶴は眉尻を下げてガラナをストローでちゅうっと吸う。感情の変化が分かりやすい顔をしてる。俺もアイスクリームを一口食べた。
「千鶴は最近響貴と会ったのか? 俺は二ヶ月くらい前に軽く飲み行ったけど」
「二週間前に響貴の家泊まった」
あんまりな答えに、驚く気も起きなかった。
「お前なあ」
「いや、言いたいことは分かる」
あの悩んでいる声は一体なんだったのか。心配した俺は今日なんの話をしに来てるのか。流石にタイミングってあるだろ。そういう意味を全部込めた顔をしてやったら、彼女は激しく首を横に振った。
「分かるんだけど、一回言い訳させて。あと先に言っとくけどなんもないから」
「当たり前だろ、婚約報告からの浮気報告なんかされてたまるか。何だ一緒にオールナイトイベントでも行ってたのかよ」
二人は大学時代にバンドを組んでもいた。その頃からよく一緒に行ったライブの話を聞いている。俺は楽器を弾かないし曲を気に入ってもライブハウスに通うほどじゃなかった。二人とフェスに行く経験くらいなら何度か。
「いや、あの、あいつんちの近くで同僚と飲んで、べろっべろで終電逃して、つい連絡したら泊まっていいって言うから。家、広いし」
「お前マジ、お前さ」
連絡する千鶴も受け入れる響貴も容易に想像は出来るだけに。
「その口で何が、あいつ私のこと好きだけどどうすればいいかな、なんだよ」
俺からすれば当然の指摘に、千鶴の顔はすぐ真っ赤になった。それから小学生みたいに手元のストロー袋を伸びたまま投げつけ、空気抵抗を受けた袋はテーブルの上に情けなく着地する。ただここがちょっとだけ大人になったところなんだろう、すぐ「すんません」と謝ってきた。
「でもでもさ」
「一回多い」
「お母さんじゃないんだから」
「好きでいてくれる男の家に酔って押し掛けた話を母親にするなよ」
「うるせえ! いやその時になんか言われたらさ、全て解決だったのにさ、響貴のやつ、ちゃんと水と使い捨ての歯ブラシ用意してリビングのソファで寝かせてくれやがって」
「それも当たり前だろ、相手が泥酔してるタイミングで大事な話するような奴なら、俺から縁切ってる」
「あと朝ごはんもあった」
「とりあえず作戦に必要ならすぐ泊まりにはいけるってことだな」
意味ない気もするけど、スマホをポケットから取りだしメモアプリに記しておく。二台あるうちもちろんプライベート用の方に。万が一会社で今回の動きがばれたりしたら正気を疑われる。
親友から親友へ失恋前提の告白をさせようとしてるって、大人のやることじゃない。
「そういえば俺もあれから考えてみて、一つ根本的な疑問があるんだけど」
「あに?」
ストローをくわえたタイミングであっても、千鶴はちゃんと相槌をうった。
「告白って、大人がするもん?」
そしてガラナを飲んでる途中で目をむく。
「え!? じゃあどうやって付き合うの!?」
教育番組に出てくるわざとらしいキャラクターみたいだ。
「知っての通り、こっちはもう奥さんと十年以上の付き合いだから実体験では分からないけどさ、大人になって周りから告白って単語聞いた覚えない気がする」
「うそ! みんなどうしてんの!?」
千鶴には悪い意味だけじゃなく、俺よりいっそう子どもっぽいところがある。感情が高ぶってすぐ泣くとか、言い合いの途中で語彙力を放棄するとか。俺はもう、告白なんていう若い子達の恋愛にくっつきそうな名詞を言うのにすら、若干照れてしまう。
「ちなみに千鶴は、その婚約相手とどうしたわけ?」
「え、相手からちゃんと好きだって告白されて付き合って、この前ちょっといいレストランで食事してる時に指輪と一緒にプロポーズされて、だよ」
「うわ、めちゃくちゃ千鶴っぽいわー」
「馬鹿にした感じで言うな!」
「お前への多大な理解がある」
ふざけた言い方をしつつ、本心からの拍手をまだ見ぬ千鶴の婚約者に贈った。パートナーが持つ恋愛観への解像度を高める努力は大切だ。
「千鶴のとこはともかく、普通は、いや普通って言葉はあんまり使いたくないんだけど」
「多様性への配慮があってよい」
「そんな偉いもんじゃないけど。まあ、多数決したらさ、多分ある程度の関係になってから付き合おうってなるくらいで、特に何もないのに好きだっていう告白をわざわざしてる奴は、少ないんじゃないかな」
「響貴とはある程度の関係だと思うけどなあ」
「そうじゃなくて、こう」
どう説明したものか自分の両手を何げなく組んで考えていたら、勝手に何かを勘違いした千鶴が「するか!」と怒声をあげた。対話や食事といったコミュニケーションの話をしようとしてたんだけど、まあいずれはそうなるわけだからいい。
「いきなりそこまでじゃなくても、お互いはっきりは言わずに、恋愛を意識して二人で会うのが自然になっていくみたいな感じが多い気する」
「なんで奥さんとずっと一緒なのにそんなの知ってるんだよ」
「相手が確定してる奴には惚気やすいんだよみんな」
千鶴はぽんっとわざとらしく手を打つ。大学時代恋人が出来る度に、新しい彼のどこが好きなのか俺に報告してた千鶴は心当たりがあるんだろう。
「みんな告白しないのか。予想外の事実だ」
「千鶴はどうやって思いついたわけ? その告白、大作戦」
からかうつもりで言ってて自分で笑ってしまった。
「こっちは真剣なんだよ?」
「分かるけど。嫌な言い方すればさ、千鶴は、響貴の気持ちに勘づきながら泳がせてたわけだろ? それを何で急に」
「それは、なるようになると思ってて、私が悪い」
言ってから千鶴は俺が反応する前に「悪者だ」と付け加えた。
「思いついたのは、もちろん婚約がきっかけだけど、色んな要素があるよ」
千鶴のジャケットの袖についたボタンが、テーブルとぶつかって軽い音をたてる。
「一つじゃない。響貴に恋人がもう数年いないっぽいってのもあるし、あとは例えば、そうだな、
私とあいつが大学でバンドやってた時の話になっていい? 卒業ライブ。確か果凛も来てくれてたと思うから、覚えてるかもしれない」
実はその時くっつきかけたというような話でもあるのかと思い、黙って話を聞いていたら、千鶴はまるで関係のなさそうな質問を飛ばしてきた。
「Honey Moon Song って曲、分かる?」
(気になる続きは、ぜひ本書でお楽しみください)
書誌情報
★『告白撃』について、さらに詳しく知りたい方はこちらもチェック!