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夏のクーニャン③

八月下旬、立川市では諏訪神社の例大祭がある。
祖父母の家には親族が集い、祖父は料理人として腕を振るった。
お正月も良いけれど、私は夏祭りの方が好き。
朝からお囃子が鳴り響き、駅も商店街も祭り一色、高揚感に包まれる。
パレードが始まると窓から身を乗り出して、神輿や山車に手を振った。
こうして書いているだけでもワクワクが溢れ出す。

夕方は従兄姉達と神社へ。
小さな祭りの割には出店が充実しており、見世物小屋、お化け屋敷、回転木馬なんてのもあった。
末孫の私は、可愛がって貰ったと同時にいじられキャラ。
いつも従兄に泣かされてグズグズしながら帰路についた。
玄関のオシロイバナは満開、足元からは虫の音が、祖母と一緒に優しく出迎えてくれた。
フィナーレは昭和記念公園(旧立川基地)の盛大な花火、みんなで歓声を上げた。
世界は自分中心に回っており、無邪気で幸せな時代だったなと思う。


あれは中学2年の夏だったか。
料理を出し終えた祖父が目の前に座り、一息ついた後、私に向かってこう言った。

「クーニャン!」

「えっ?」

「あなた、クーニャンねぇ。」

「???」

「ほら、そこに書いてある。」

指差す方を見ると、自分のカーディガンのタグが目についた。

【 姑  娘 】

原宿の竹下通りで、小遣いを貯めて買った物だった。

「これのこと?」

「そうだよ。クーニャンって書いてあるでしょ?」

「これ、クーニャンって読むの? 
 ずっとコムスメだと思っていた。(笑)」

「なんだ、ナオコは知らないで着ていたのか!!
 中国語で、可愛いお嬢さんと言う意味だよ。」

続けて祖父は、コップを差し出して中国語を喋った。

「冷たいお水をどうぞ、可愛いお嬢さん!」

「へぇ~!
 おじいちゃんは中国語が喋れるんだね。」

「そりゃ何年か、住んでいたからね。」

私は恐る恐る聞いてみた。

「…満州の生活って、やっぱり大変だったの?」

祖父は目を見開いて、息を整えてから言った。

「…まぁな、勿論良いことばかりじゃなかったよ、戦争中だったからな。
 でも、おじいちゃん達は中国の人達に良くして貰ったんだ。
 だからこうして、今は可愛い孫達と一緒に居られる。幸せもんだ。」

祖父の話しは続いた。

「ナオコ、商いで一番大切なものは何だ?」

「???」

「商いで一番大切なのは、人だ。金じゃない。
 人は人を大切にしないと、いかん。
 商いだけじゃない、何においてもだ。
 忘れたら、いかんよ。」

そう言って、優しく笑ってくれた。


数年後、多摩都市モノレールの開発で祖父母の土地は買収され、跡地は駐車場となる。
二人は伯母の家で余生を過ごし、大往生だった。


祖父の葬儀の話しを少し。
荼毘直前、「それでは最後のお別れをお願いします。」と係員に言われ、顔を見ると…
一筋の涙が、ツーーーっと真っ直ぐに、美しく流れた。
まるで生きている時の様な、暖かみのある頬を伝うのが見えた。

「あっ!おじいちゃんが、泣いている!」「うわー!」「あれ、本物の涙なの?」
「まさか、生きているんじゃない?」「あなた、変なこと言うのやめてよ!」
子、孫、玄孫まで、小窓を覗き込んで大騒ぎ。(笑)
「ま~ぁ、最後まで芸達者ねぇ~。」と伯母の余裕たっぷりの一言で収束し、祖父は旅立ったのだ。

後から聞いた話しでは、こういう現象はよくあるそうで、祖父の感謝の気持ちの現れだと私は思っている。

後書きに続く。。

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