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そうか、ハン・ガンさんかぁ、とディスプレイを眺めながら、ぼくは20年前の村上春樹さんのことを思っていた。

今年も「ノーベル文学賞」の発表があった。
“今年も”って、「ノーベル賞」は毎年あるでしょうが、とおっしゃるだろうが、それぞれの部門に、365日周期(選考に何年もかかっていることは承知)で該当の賞が現れるってところが、偏屈で不良な俳諧老人にはちと気に食わない。
予定調和というか、「賞」ありきの選考のにおいがするからかなぁ...

『少年が来る』を“戒めの書”としているぼくとしては、ハン・ガンさんの受賞はよき知らせで、これを機会にこの本が読まれていけば、これ幸い、カズオ・イシグロ氏の受賞と並べてぼくの「文学の祝祭」箱にしまっておく。

ハン・ガンさんの吉報を知った時刻、ぼくは、柴田元幸さんの『ナイン・インタビューズ 柴田元幸と9人の作家たち』を読み返していた。

『ナイン・インタビューズ』には、柴田元幸さんが翻訳した7人のアメリカ人作家、ひとりの日本生まれイギリス人作家、翻訳していない日本人・村上春樹の9人が登場する。

古くからの友人を訪ねて廻るような、どこかヒッチハイクでもしているような柴田さんのインタビューの旅は、2000年8月26日(土)、ブルックリンのポール・オースターの家からスタートする。

といっても、オースターではなく、彼の妻、シリ・ハストヴェット(夫婦そろって作家だったとは!)へのインタビューから始まって、9人の作家へと続く。

なぜ、妻のシリからなのかというと、彼女の夫は執筆中は、何人のインタビューもうけないかららしい。
インタビューは、後日電話でってことに。

次に訪ねたのが、コミック作家アート・スピーゲル。あの「MAUS」の作者。「ニューヨーカー」のアートディレクターでもあった。(ニューヨーク)

T・Rピアソン(ヴァージニアにて) 

スチュアート・ダイベック(たぶん、シカゴ)

リチャード・パワーズ(アーバナ/シカゴの南らしい)

ベッカ・ブラウン (……?)

以上の6人へのインタビューは、2000年8月26日から9月3日の間に行われた。超強行軍!

カズオ・イシグロは、2001年の来日中に。2002年、ポール・オースターに電話で。

2003年、最後が村上春樹だが、場所は書いてない。たぶん国内。

このうち著作を読んだことがあるのは5人。リチャード・パワーズの『舞踏会へ向かう三人の農夫』は読んだ、という記憶しかない。浅学!

創作のディテール、日々の暮らしぶりなど、なんというか、「あなたになら話してもいいか」的な“平らかなこころ”で言葉が交わされていくのは、書き手にとって、翻訳者は「身内」、「こっち側の人」なわけで、彼らは、はなからハードルを低くして待っている。
しかも、ハードルを越えるなり潜るなりしてやってくるのが、あの柴田元幸さん。初対面の作家も含め、作家が“聴いてほしい!”勘所がちゃんと押さえらえていて、とても読み応えがある。

20年前の村上春樹さんのことを思っていた、とはこのインタビューのこと。

村上春樹さんの長編はもちろん、中・短編、ノンフィクション、絵本もかなり好きでいる。だけど、“熱狂”ではなく、毎年の「ノーベル文学賞」発表なんかには、ほとんど興味がない。というよりも、そもそも「賞」と名の付くものにはそっぽを向いているのだが。
ただ、村上さんが二度受賞できなかった際の「芥川賞」には興味がある。

市川真人著『芥川賞はなぜ村上春樹に与えらなかったか~擬態するニッポンの小説』には、当時、社会現象的に注目され、実数もたたき出しているのに、文壇・選者がなぜに「賞」を出し渋ったのか、まあ、よく調べてある労作、でも“苦節〇年”的読み物ではなくおもしろく読めますのでご興味がおありなら、是非。
本書のすべてを鵜呑みには出来ないが、ぼくが前々から思っていたことで氏と意見が一致したのが「解らない」。

「「解らない」小説には賞のあげようがない」というごく単純な話。
批評家の故・加藤展洋さん『村上春樹の世界』『羊をめぐる冒険』への発刊当時の評価に対して、

― ぼくの眼に奇異に映るのは、これまでのところ「既成文壇内部」の誰一人として、この小説を真正面から“否定していない”ということなのである。

「解らない」から「否定」も「肯定」もできない。

では、村上春樹さんは「ナイン・インタビューズ」にどのように答えているだろうか?

― 結局、僕が小説を書きはじめた当時、既成の日本の小説システムに対する不信感というか絶望感みたいなものが、そもそもあるわけですよね。
そんなものを書いても誰も読まないだろうし、僕もそんなもの全然書きたくないと。だから、もうとにかくそこにあるものを全部分解して、洗い直して、組み立てなおして、別の座標を持ってきて、小説を作っていくしかないという決意があった。

この一文が、そのころの小説家・村上春樹をすべて語っていると思う。

伝統というものは、常に、自らに革新を促し、変化のうえに築き上げられるものだが、停滞と怠慢に曇った感性は、彼の「文学の革新」に反応できなかったのではないか。

二度の「芥川賞」落選。デビューしたばかりの村上春樹さんの心中はどんな風だったのかぁ...

超極私的想像ですが、若き村上さんは悟ったのではないか。

― もうそれまでの現実否定で小説を書いても、それは人を動かさないよ(加藤典洋)

もう、「文学賞」なんて放っといてもいいじゃないですか。

それより問題は、いつごろ、次の小説が読めるかってことです。


2016年「ノーベル文学賞」受賞者

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