【タイ移住日記】もうゴリラになるのを強要せずに、チンパンジーのまま放置しておいてくれないか、でも人間になりたい。
ゴリラになるべきだ、というような社会の中で生きてきた。つまり、なんでもできるスーパーマン。効率的に物事を進め、健康的でパワフルでいること。でもゴリラになった瞬間、壊れた。
チェンマイに移住してからは、チンパンジー通り越して、人間らしく生きられる方法を見つけた。
よくわからないタイトルをつけてしまったが、私がどのように自分の時間を取り戻そうともがいたか(今もその途中)のお話です。
チンパンジーの時代
中学2年生ぐらいになると、高校受験だ!というムードが漂い始め、少しでもいい学校に行けるようにと周りの大人に褒められ貶され、勉強を頑張るように仕向けられる、という環境にいた人もいるだろう。
Z世代ギリギリの私は、「人生ハードモード」というような言葉を高校生になると聞くようになった。中学まで勉強が得意だったので、第一希望の高校に入れたが、入学してから半年ぐらい経つと、次は大学のことを意識させられる。東大京大やその他の旧帝大合格者が普通にいる環境だったので、「ネクスト東大生」を期待されて、質実剛健という校訓のもと、文武両道をがそのモデルケースとされた。一応、私はそれに従った。その時はまだ素直なチンパンジーだった。
チンパンジーからゴリラへの過程
チンパンジーで在ることができた期間は大学の2年生ぐらいまでだったか。でも、大学受験前の時期は一瞬ゴリラとなって、その後大学生2年生まではチンパンジー、その後はずっとゴリラだった。
私の場合、親が少しならお金を出してやるよ、という神のようなありがたい両親がいたので、大学2回生に「大学生は海外に行くでしょ!」という単純な理由を胸に秘め、語学を学ぶという名目で2ヶ月の海外留学へ。真冬のオーストラリア。
大学3年生になると、周りはみんなインターンに行き始める。ワンデーインターンだったり、無償で企業のインターンをしたり。金のある家の奴は就活で有利になるとされる、一年間の留学に行く。長期留学経験者は別のルートがあるらしいと囁かれていた。(実際にあった)
私の場合は、「あんたもう留学行ったやろ!」と言う親の顔が想像できたし、実家から遠く離れた大学に行かせてもらって家賃も学費も負担してもらったので、一年留学は選択肢になかった。
そして、留学に行けない人たちはとりあえず、インターンをしようかという流れだった。周りに流され、業界研究という楽しくない作業を大学のレポートよりも時間をかけてやって、聞いたことのある企業にとりあえず申し込みをした。
私はお金稼ぎそのものは興味なかったので、政府系団体やNPOなどに主に申し込みをした。その中で大学経由の長期インターンを勝ち取り、夏休みを潰して泊まり込みでインターンに参加した。そこでは各国の外交官たちと連夜ワイワイとした記憶しか残っていない。今も忙しい業務の傍日本にいるメンバーが飯に行ってくれるのでありがたい。
でも客観的に見るとこのインターンでの行いが、いろんな企業の面接で活きたのは確かであった。周りに流されるがままにインターンをした私は着実にゴリラになっていった。
ゴリラの時代
大学4年生で私はゴリラとなった。就活の鬼となり、20社は受けただろうか。周りではこの何倍も受けている人がいた。
これまでの教育の中で、自分を見つめるなんてことをやらされたこともないのに、いきなり「自己分析」という怪しいことをやらされる。「ガクチカ」なる学生時代に力を入れたことを今さら問われる。周りに流されることしか頭に思い浮かばない。
そしてそんなこんなで周りの奴ら同様、大手の名前を冠したところに入った。私の学部ではほとんど大手企業に就職していた。
企業に入ると、ホワイト企業と言われながらも、帰ったら21時。都心まで通勤して残業2時間する人生はゴリラ以外の何者でもなかった。こんなことを普通にやってのけている人生の先輩方はゴリラを超えてキングコングの群れとしか見えなかった。職務内容はカスタマーサポートという高尚な名前を掲げたクレーム対応。それがきつかった私は、「自分はできるんだぞアピール」をして、マーケティングという人と関わらないところに逃げ込んだ。それでなんとか日々のストレスを軽減できたものの、体はゴリラであることを求められるのは変わりなかった。ゴリゴリ働く立派な社会人の一員としての体力は業務が変わっても求められていた。
こうして、一億総ゴリラ社会のメンバー入りを果たせた。
ゴリラから人間になる過程
私はゴリラとして働いたが、常に首、肩、腰を痛めていたので、毎週水曜日はノー残業デーにして整骨院に通っていた。保険適用されない治療だったので毎週5000円が飛んでいった。そりゃ金ないわ。
そんな日々がすでに嫌だったので、妻が海外で働くことになったというのを理由に仕事を辞めた。一回何者でもない人間としての暮らしをしてみたい、と思い、タイ語のクラスに通うだけの日々が到来した。
人間になろうと、もがく日々
自分のペースで進めることができ、ある程度強制力があるライターの生活を始めた。大学院もあり忙しいのでなかなか書けない時期もあるが、何とかこれで糧を得て生きている。ゴリラからの脱却は「時間に縛られない生活を作る」ことで成し得た。
しかしタイに来てからもチンパンジーのように素直に生きていると、いつの間にかゴリラになっていたということもあったので、今は人間でいられるように意識的にゆったりと生活するようにしている。
でも意識してゆっくりするのは意外と難しく、常に「何かやらないと」というゴリラ思考が押し寄せてくるので、やりたくなくてもゲームをするというのを日課にしている。その結果、ポケポケを課金しなくてもめちゃめちゃ勝てるようになった。