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世界的に有名な経営者Wikipedia集



サー・ジェームズ・ダイソン



サー・ジェームズ・ダイソン: Sir James Dyson OM CBE RDI FRS FREng FCSD FIET、1947年5月2日、ノーフォーク、クローマー - )は、イギリスイングランドプロダクトデザイナーダイソン社の創業者として、また紙パック不要のデュアルサイクロン掃除機の発明者としてとりわけ著名である。車輪のかわりにボールを用いた猫車(手押し車)の発明者でもある。(以下、「ダイソン」と略記する場合は、ジェームズ・ダイソンのことを指す。メーカーについては、「ダイソン社」というように峻別する。)

1965年から1966年まで、セントラル・セント・マーチンズでファイン・アートを学び、1968年から1970年まで、英国王立美術大学(ロイヤル・カレッジ・オブ・アート)で家具インテリアデザインを学び、その後は工学に転向。ダイソンの純益は、優に1億ポンドを越すと言われている[2]

母校である英国王立美術大学の学長を務めている。また多摩美術大学・美術学部生産デザイン学科のプロダクトデザイン専攻客員教授も務めている。

ジェームズ・ダイソン - Wikipedia

ダイソン

ダイソン: Dyson Limited)は、シンガポールに本拠を構える電気機器メーカーサイクロン掃除機を初めて開発・製造した会社として知られる[2]

創業者のジェームズ・ダイソンは、従来型の紙パック式掃除機が、紙パックが満杯になっていなくても吸引力が落ちてきて交換しなければならないことに気が付き、「フィルターを定期的に交換するか、あるいは、水洗浄することにより、紙パックが不要になる方式」として、デュアルサイクロン方式を発想・開発した。

ダイソン (企業) - Wikipedia


1983年、ジェームズ・ダイソンは大鋸屑の集塵機をヒントに[3]、サイクロン掃除機の試作品「G・フォース」を完成させた[4]。それが米誌「Product Design」に掲載されたことがきっかけで[5]、1985年に日本の商社エイペックスにより製品化されることが決まった[6]。ジェームズ・ダイソンは、この契約で先払い78,000ドルと10%のロイヤリティーを得ることとなり[4]、じっさいに「G・フォース[7]」はシルバー精工の製造で1989年に発売された[8]

ダイソンのライセンスに基づいて英国内においてサイクロン式掃除機を製造販売するメーカーがなかったために、独自に製造販売を始めた(英国のフーヴァー社英語版)は、サイクロン式の掃除機を市場に出さないためだけにライセンスを取得しようとしたということを後に認めている[要出典])。

その後ジェームズ・ダイソンは、日本からのライセンス料を用いて、ダイソン社を起業。1993年6月に、ウィルトシャーに研究所と工場を開設し、新型掃除機DC01を開発。

長年ウィルトシャーで生産してきたが、2002年にコスト削減のため、かつて洗濯機生産も行っていたマレーシアの工場に生産を移転した。ウィルトシャー随一の大手製造業であるダイソンの工場閉鎖は議論を呼んだが[9]、ダイソン側はウィルトシャーの本社・研究所の強化のため必要なことでありイギリスで雇用する人数は工場移転前よりかえって増えたと反論している。なお基幹部品のひとつであるデジタルモーターは全数シンガポールにて生産されており、同国に新技術センターも設置する計画である[10]

2017年には、電気自動車の開発を通じて自動車業界へ進出することを発表した。企業買収を通じて技術的な足掛かりを作り、シンガポールに工場を建設して2020年までの稼働させることを見込んでいたが、企業買収の目算は外れたほか採算が見込まれないとして、2019年10月13日までに自動車業界の進出を断念して撤退する方針が発表された[11]

社内にはデザイナーがおらず、デザインエンジニアが担っている。エンジニアの従業員数は2000人に上る。

ダイソン (企業) - Wikipedia

安藤 百福

安藤 百福(あんどう ももふく、1910年明治43年)3月5日 - 2007年平成19年)1月5日)は、日本実業家日清食品)創業者。インスタントラーメンチキンラーメン」、カップ麺カップヌードル」の開発者として知られる。

日本統治時代の台湾出身で、出生名は呉 百福(ご ひゃくふく、ゴー・ペクホク)。台湾本島人のため、戦後は中華民国籍になり、1966年昭和41年)に日本国籍を再取得(帰化)した。

1948年(昭和23年)に(株)中交総社(後の日清食品)を設立し[2]、日清食品の代表取締役社長、代表取締役会長、創業者会長を歴任。(日本即席食品工業協会会長、(安藤スポーツ・食文化振興財団理事長、(財)漢方医薬研究振興財団会長、世界ラーメン協会会長、(財)いけだ市民文化振興財団会長などを務めた。池田市名誉市民位階勲等正四位勲二等

安藤百福 - Wikipedia


日清食品

日清食品株式会社(にっしんしょくひん、: NISSIN FOOD PRODUCTS CO., LTD.)は、東京都新宿区大阪府大阪市淀川区に本社を置くインスタントラーメンを中心とした食品加工会社。日清食品ホールディングス持株会社)の子会社である。

日清食品 - Wikipedia

企業沿革については少し長文になってしまいました。

1948年昭和23年)9月4日 - 大阪府泉大津市に「株式会社中交総社」設立。
1949年(昭和24年)9月 - 「サンシー殖産株式会社」に商号変更し、本社を大阪市北区に移転。
1958年(昭和33年)
8月25日 - インスタントラーメン「チキンラーメン」発売
12月1日 - (初代)「日清食品株式会社」に商号変更。本社を大阪市東区(現・中央区)に移転。
1959年(昭和34年)12月 - 高槻工場(大阪府高槻市、現在は閉鎖、跡地は住宅地)稼働開始。初代ロゴマーク制定(略称「NSS」を2本の下線と円で囲ったもの)。同時に本社を移転。
1962年(昭和37年)11月 - 一社提供によるテレビ番組「地上最大のクイズ」(フジテレビ系)放送開始( - 1965年5月)
1963年(昭和38年)
7月2日 - 袋入り焼そば日清焼そば」発売
10月 - 東京大阪証券取引所第2部に上場
1964年(昭和39年) - チキンラーメンの類似品が出回る事件が発生。また、品質劣化した類似品での食中毒も発生、この頃よりチキンラーメンの製造年月日記入に踏み切る。
1965年(昭和40年)
7月27日 - 一社提供によるテレビ番組「ちびっこのどじまん」(フジテレビ系)放送開始( - 1969年9月29日)
10月 - 横浜工場(神奈川県横浜市、現在は閉鎖)の稼働開始。
1968年(昭和43年)2月12日 - 袋入りラーメン「出前一丁」を発売。
1969年(昭和44年)7月3日 - 一社提供によるテレビ番組「ヤングおー!おー!」(毎日放送系)放送開始( - 1982年(昭和57年)9月19日
1970年(昭和45年)10月 - 一社提供によるテレビ番組「日清世界クイズ」(日本テレビ系)放送( - 1971年3月)
1971年(昭和46年)
9月1日 - 2代目ロゴマーク制定(赤と青の円に「N」を基調としたロゴ)。
9月18日 - 「カップヌードル」を発売。
10月 - 関東工場(茨城県北相馬郡藤代町〈現・取手市〉)の稼働開始。
1972年(昭和47年)8月 - 東京・大阪・名古屋各証券取引所第1部に指定替え。
1973年(昭和48年)
6月4日 - 本社を大阪市北区に移転。
9月28日 - 滋賀工場の稼動開始。
1975年(昭和50年)
10月7日 - 下関工場の稼動開始。
10月22日 - カップライスを発売。
1976年(昭和51年)
5月21日 - 焼きそば「U.F.O.」を発売。
8月9日 - うどん・そば「どん兵衛」を発売。
1977年(昭和52年)4月 - 本社を現在地の大阪市淀川区に移転。
1978年(昭和53年)10月 - 本社協力工場として「札幌日清株式会社(現・札幌日清食品株式会社)」を開設。
1981年(昭和56年) - 創業者・安藤百福が会長に就任。また後任の社長には長男・宏寿が就任。
1983年(昭和58年)
7月29日 - チキンラーメン発売25周年記念として3代目ロゴマークを制定(赤い半円に「nISSIn」と入れたもの。同年8月25日使用開始)。このロゴマークは「リップマーク」と呼ばれ、人の食べているや、食器をイメージしたことに加え、地球の半分に見立て、「『食』が生命・地球を支える」を表現したものでもある[注 1]
8月25日 - 安藤百福が私財を投じて「日清スポーツ振興財団」(通称安藤財団)を設立。宏寿社長が創業者との経営方針の違いから退任。会長兼社長の体制を採る。
日清食品と安藤百福の私財を投じて協同で「安藤スポーツ・食文化振興財団」(通称・安藤百福財団、安藤財団)を設立。
1985年(昭和60年)6月 - 次男・宏基が代表取締役社長に就任(現・日清食品ホールディングス代表取締役社長)。
1988年(昭和63年)3月 - 東京支社を「東京本社」に改称。東京本社ビル完成。地下1・2階に直営ライブハウス「日清パワーステーション」オープン。
1989年(昭和64年) - 香港永南食品(Winner Food Products)の買収。
1990年平成2年)
7月 - 乳酸飲料会社のヨーク本社(現・日清ヨーク)に資本参加。
ブランドマネージャー制を導入。
1991年(平成3年)
2月 - コーンフレークのシスコーンで知られる菓子会社のシスコ(現・日清シスコ)に資本参加。
2月19日 - 中堅医家向医薬品メーカーのメクトと、その販社である日本メクトを買収。
1992年(平成4年)9月 - 生タイプラーメン「ラ王」発売
1993年(平成5年)
6月 - カップヌードルのTVCM「hungry?」シリーズがカンヌ国際広告映画祭でグランプリを受賞。
8月 - カップうどん「ごんぶと」発売
1995年(平成7年)2月1日 - 陸上競技部創設。
カップスパゲティ「Spa王」発売。
11月 - カップヌードルの国内販売累計100億食を達成。
1996年(平成8年)10月 - 静岡工場の稼動開始。
1997年(平成9年)
6月 - 安藤宏基社長、カンヌ国際広告映画祭でアドバタイザー・オブ・ザ・イヤー受賞。
11月 - 「サイリウムシリーズ」が厚生省から特定保健用食品の認可を取得。
1998年(平成10年)
4月21日 - 日清食品公式サイトを公開。
6月30日 - 日清パワーステーション閉館。最終公演は「THE MUSIC NEVER STOPPED NISSIN POWER STATION LAST DAYS」(6月282930日)。
10月 - メクトを解散。
1999年(平成11年)11月 - 大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」(現・安藤百福発明記念館 大阪池田)開館。
2000年(平成12年)
4月 - インターネットショッピングサイト「日清e-めんShop」開設
9月 - 本社直轄4工場(関東・静岡・滋賀・下関)がISO14001認証を取得。
2001年(平成13年)3月 - 「2002 FIFAワールドカップ」オフィシャルサプライヤーとして参画する。
2002年(平成14年)10月 - 「日清具多」発売。
2003年(平成15年)
4月 ロゴマークのアルファベット綴りが「nISSIn」(小文字形体)から「NISSIN」(大文字形体)に小変更。
8月 - カップヌードルの全世界販売累計200億食を達成。
2004年(平成16年)3月 - チキンラーメン発売45周年目にして590万ケース(1ケース30食入)の年間売上記録を更新。
2005年(平成17年)7月 - 世界初の宇宙食ラーメンSPACE RAM」がスペースシャトルディスカバリー」に搭載され宇宙へ飛び立つ。
2006年(平成18年)11月 - 明星食品と合弁会社を設立、事実上の経営統合。12月15日、友好的TOB成功で日清食品の明星食品株式の所有割合が86.32%(議決権割合は90.43%)になり、明星が子会社へ。12月21日将来的には株式交換により完全子会社化することを決定。
2007年(平成19年)
1月5日 - 安藤百福創業者会長が逝去、享年96。
3月 - 株式交換により明星食品を完全子会社化。「カップヌードルリフィル」発売。
6月26日 - 2代社長・安藤宏寿が逝去、享年76。
2008年(平成20年)
2月6日 - 前年11月22日に合意していた日本たばこ産業(JT)からの加ト吉株式49%譲受と、冷凍食品事業の加ト吉への統合を撤回すると発表[注 2]
3月 - 本社機能を東京に集約、同時に登記上の本店については、今後検討する(今後も入社式や株主総会等、重要行事は「発祥の地」大阪で行う)と発表。
4月 - カップヌードルの容器を発泡スチロールから「ECOカップ」(紙製)に変更。しかしその後、におい移り問題が明らかになったことで、材質・構造を変更の上、改良型に置き換えられる。
7月 - 本社機能を東京本社に移転。ただし、近畿圏営業統括部門等、一部機能が大阪に残る。
8月25日 - チキンラーメン発売50周年。


2代目[編集]2008年(平成20年)
10月1日 - 持株会社体制へ移行し、商号を「日清食品ホールディングス株式会社」(本社・東京、登記上本店・大阪)に変更、即席麺事業を(2代目)「日清食品株式会社」、チルド食品事業を「日清食品チルド株式会社」、冷凍食品事業を「日清食品冷凍株式会社」、業務サポート部門を「日清食品ビジネスサポート株式会社」にそれぞれ新設・承継。これにより、前述の本社機能集約とあわせ、経営中枢機能が創業地の大阪から東京へ移行した。
2010年(平成22年)
3月1日 - 創業者・安藤百福の生誕100周年を記念して、チキンラーメン、カップヌードルの記念パッケージの特別価格限定発売(1千万食を発売当時の価格で)、および、カップ麺「百福長寿麺」を特別限定発売。
3月〜5月 - 東京都江東区豊洲アーバンドック ららぽーと豊洲と大阪府池田市のインスタントラーメン発明記念館(現・安藤百福発明記念館 大阪池田)にて記念イベントを開催。
8月2日 - 旧「ラ王」生産終了。4日前の7月30日に「追式典」実施。
8月16日 - 「カップヌードルごはん」近畿地方限定発売。
9月6日 - 新「ラ王」発売[2]
10月18日 - 「どん兵衛」リニューアル発売[3]
2011年(平成23年)
3月11日 - 東北地方太平洋沖地震東日本大震災)が発生。関東工場及び茨城営業所の設備の一部に被害[4]
4月26日6月30日 - カップヌードル発売40周年を記念して「歴代カップヌードル復活総選挙」を実施。
9月17日 - 横浜市みなとみらい地区に「安藤百福発明記念館」(カップヌードルミュージアム)開館。デザインプロデュースは佐藤可士和が手掛ける。また同ミュージアム開館及びカップヌードル発売開始40周年を記念し、5大全国紙の夕刊広告欄を全て買い取って特集。
12月17日 - 漫才コンテスト「日清食品 THE MANZAI 2011」(吉本興業主催、フジテレビ系)に冠協賛(2014年まで)。以後毎年12月開催。
2012年(平成24年)8月27日 - 「ラ王」に袋めんタイプ(ノンフライ麺)が追加。関東甲信越・静岡地区にて先行発売。
2012年(平成24年)10月19日 - 香港福字麵の買収。
2013年(平成25年)11月 - この月出荷からのチキンラーメン、出前一丁、日清焼そばなどの袋麺の包装がアルミ蒸着フィルムに切り替わる。
2014年(平成26年)4月7日 - 電子レンジ商品「カレーメシ」発売(2016年8月より、湯かけ調理商品にリニューアルされた)。
2016年(平成28年)10月 - レオナルド・ディカプリオ主演のドキュメンタリー映画「地球が壊れる前に」にて、森林伐採によってCO2を調整する木々を焼き払い、生態系を壊す環境負荷の高い(悪名高い)企業の代表として紹介された。
2017年(平成29年)
9月15日 - 大阪府池田市の「インスタントラーメン発明記念館」の名称を「安藤百福発明記念館 大阪池田」(カップヌードルミュージアム 大阪池田)に改称。同時に横浜市の「安藤百福発明記念館」(カップヌードルミュージアム)の名称も「安藤百福発明記念館 横浜」(カップヌードルミュージアム 横浜)としている[5]
10月23日 - 麺を啜る音のカムフラージュ機能を持つフォーク「音彦」の予約受付を開始(同年12月15日までに申し込みが5000件に達した場合のみ販売)。「PRODUCT X (ペケ)」第一弾と位置付けている[6]
2018年(平成30年)
8月25日 - チキンラーメン発売60周年。
10月1日 - 創業者・安藤百福と妻・仁子をモデルとした主人公・立花萬平と妻・福子の半生を描くNHK連続テレビ小説まんぷく』が放送開始。日清食品がモデルの「まんぷく食品」が製造する「まんぷくラーメン」と「まんぷくヌードル」が登場した。
2026年令和8年) - 茨城県の圏央道インターパークつくばみらい内に国内最大規模の工場が稼働[7](予定)。

日清食品 - Wikipedia

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