1977年6月16日 - カリフォルニア州 Redwood Shores に Software Development Laboratories (SDL) として創業[10]。創業者はラリー・エリソン、en:Bob Miner、en:Ed Oates。
1979年
6月 - Relational Software Inc. (RSI) に改称し、メンローパークに移転。最初のデータベース製品である Oracle 2 がライト・パターソン空軍基地に購入され、PDP-11上で動作した。最初の製品をバージョン1ではなくバージョン2としたのは、顧客が最初のリリースの購入をためらう可能性があると考えたためである。
10月 - RSIはVAX版 Oracle(VAX上でPDP-11エミュレータモードで動作)を活発に販促。
1981年
?月 - Umang Gupta が同社に入社し、同社初のビジネスプランを書き、副社長兼ゼネラルマネージャを務めた。
2月 - Oracle Database 向けツールとして、Oracle*Forms の前身である Interactive Application Facility (IAF) などを開発。
1983年3月 - 移植性を高めるため Oracle をC言語で書き換え、Oracle バージョン3 をリリース。社名を主力製品名に合わせ Oracle とする。なお Oracle という名称は、創業者らがアンペックスで働いていたときに関わったCIAのプロジェクト名から来ている。
1984年
4月 - セコイア・キャピタルから追加資金を得る。
10月 - Oracle バージョン4 リリース。読み込み整合性 (read consistency) を導入。
11月 - Oracle Database をPC上に移植。メモリ容量512KBのPC(MS-DOS 4.1.4)で動作した。なお、MS-DOS バージョン5 用の Oracle は1986年にリリースされた。Mike Roberts が考案した技法を使い、286マシンのプロテクトモードで動作。
1985年4月 - Oracle バージョン5 をリリース。データベース管理システムとしていち早くクライアントサーバモデルを採用。
1986年
?月 - 分散クエリ機能をサポートした Oracle バージョン5.1 をリリース。クラスタリングについての研究を開始。
3月12日 - 株式上場を果たす。売上高は5500万USD。
1987年8月 - アプリケーション部門を創設。データベースと密に連携する企業向けソフトウェアを開発。
1988年 - Oracle バージョン6 をリリース。低レベルロック機構とホットバックアップ機能をサポート。PL/SQLという手続き型言語の処理系を組み込んだが、プログラム格納方法やデータベースからの手続き起動方法を用意しておらず、本格的に使えるようになったのはバージョン7からである。この段階では、SQL*Plusなどの環境(あるいはホストプログラムにSQL文を埋め込むなど)からサーバにPL/SQLのブロックを送って、即座に実行することが可能だった。オラクルは各種クライアントツール(SQL*Formsなど)にもPL/SQLエンジンを搭載させた。
1989年 - 本社を Redwood Shores に移転。売上高は5億8400万ドルに達した。
1990年 - 第3四半期、オラクルは初の赤字を計上し、数百人の従業員を解雇した。エリソンはCFOとして Jeffrey O. Henley、COOとして Raymond Lane を雇い入れた。
1992年6月 - 性能を強化した Oracle 7 をリリース。他にも、管理ユーティリティ、アプリケーション開発ツール、セキュリティ機能、PL/SQLによるストアドプロシージャおよびデータベーストリガ機能、宣言的参照整合性などを導入。
1993年 - Oracle Forms、Reports、Graphics、Book をまとめた "Cooperative Development Environment" (CDE) をリリース。
1994年 - DECから DEC Rdb(後の Oracle Rdb)を購入。Oracle Rdb はDECの製品だったOpenVMS上で動作する。
1995年
6月21日 - 並列クエリ機能を備えた新たなデータウェアハウスファシリティを発表。
11月 - パリのIDC会議で、エリソンがネットワークコンピュータの構想を発表。
1996年 - ウェブブラウザのOracle PowerBrowserをリリース。
1997年
4月 - ビジネスインテリジェンス (BI) 用アドホック・クエリツールである Discoverer をリリース。
6月 - SQLオブジェクト技術、インターネット技術、テラバイト級データサポートなどを導入した Oracle 8 をリリース。
9月 - Javaプラットフォームへのコミットメントを発表。Java統合開発環境(後の Oracle JDeveloper)をリリース。
1998年
1月 - Oracle Applications 10.7 Network Computing Architecture (NCA) をリリース。全てのビジネスソフトウェアをウェブ上で動作させ、標準のウェブブラウザで使えるようにした。
5月 - Oracle Applications 11 をリリース。
4月 - Java仮想マシンを Oracle Database に組み込むことを発表。
9月 - Oracle 8i リリース。
10月 - Linux向けの Oracle 8 と Oracle Application Server 4.0 をリリース。
1999年5月 - JDeveloper 2.0 をリリースし、データベースを使ったアプリケーション構築のための開発ツール/ライブラリ Business Components for Java (BC4J) を導入。
2000年
?月 - 子会社 OracleMobile を創設。Oracle 9i リリース。
5月 - Internet File System (iFS) を発表。後に Oracle Content Management SDK として商品化[11]。
6月 - ポータルサイト構築機能をサポートした Oracle9i Application Server をリリース。
2001年 - エリソンは社内で自社製ビジネスアプリケーションを使い、10億ドルを節約したと発表した。
2004年
?月 - Oracle 10g リリース。
12月13日 - ピープルソフトを1株26.50ドルで買収する契約を結んだことを発表(総額103億ドル)。
2005年
1月14日 - オラクルは、ピープルソフトの買収で増大したグループ全体の従業員数を約5000人削減し、5万人にすることを発表。ピープルソフトの開発・サポート要員の90%をそのまま保持する計画である。
3月 - 中近東での活動を拡大するため、ヨルダンのアンマンに支社を創設。
9月12日 - 顧客関係管理 (CRM) やビジネスインテリジェンスソフトウェアで知られる Siebel Systems を58億ドルで買収することを発表。
2006年10月25日 - Unbreakable Linux を発表。
2007年
?月 - Oracle 11g リリース。
3月1日 - オラクルは、業務管理ソフトウェア大手のHyperion Solutionを33億ドルで買収することに合意したと発表。
3月22日 - オラクルは SAP AG を違法行為と不正競争で訴えた[12]。
10月12日 - オラクルはBEAシステムズを1株あたり17ドルで買収する提案を行ったが、BEA経営陣は同社の価値を軽く見ているとして、これを拒否した。
10月16日 - アプリケーション開発担当の上級副社長 John Wookey が突然オラクルを辞め、今後のアプリケーションのリリース計画に懸念が生じた[13]。
2008年
1月16日 - BEAシステムズを1株19.375ドル(総額72億ドル)で買収することを発表[14]。
9月24日 - オラクルはHPとデータウェアハウス用サーバおよびストレージを共同開発し、HP Oracle Database Machine として発売することを発表[15]。
2009年4月20日 - サン・マイクロシステムズを74億ドル(1株あたり9.50ドル)で買収する意図があることを発表[16][17]。
2010年1月27日 - サン・マイクロシステムズを買収したことを発表[18]。
2022年2月9日-レッドブルレーシングとタイトルスポンサーとして契約したことを発表