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【音楽聞いて散歩しながら考えたことシリーズ】奇しい邂逅とmouse on the keys(11月5日)

在宅勤務の日、私はたまに気分転換に散歩をする。昼にさっと作り置きのご飯を食べてから玄関のドアを開けて、いつもの公園に向かうことがある。今日も例に漏れず、りんごのヨーグルトと炊き込みご飯を食べてイヤホンを耳に入れこんだ。何の曲にしようかとSpotifyを眺めながら道を進む。曇りなのでちょっと寒い。普段他の人がどうやって曲を決めているのかわからないが、私の場合「なんとなく」はほぼない。「今日は絶対にこの曲が聴きたいな」と最初から決まっていることが多い。あまり冒険をしないタイプの人間なので聴いたことのないアーティストや曲にはなかなか手が出せないのだが、そのぶん自分の感情と曲が密接にセットになって結びついていたりもする。もうそれがルーティーンで、お決まりの型であるかのように。だから、すぐに自分の感情から曲を呼び出すことができる。例えば、キュートでポップで女性に優しい曲を聴きたいときは"CHAI"、かわいい声と独特の世界観に飛び込みたいときは"相対性理論"、ダークさと仄暗い色気に浸りたいときは"ぬゆり"、といったように。

それが今日は"mouse on the keys"だった。"mouse on the keys"を選ぶときは、大体創作意欲が高かったり、かたい文体の小説を読んだりしたいときである。クールで隙のないピアノとドラムの音が、深い思考と内省の世界に連れていってくれる。どこか幾何学的で抽象的で現代アートのようなサウンドは少し複雑で難しそうにも感じられるけど、水に黒インクが広がっていくようなじわじわとした感覚にずっと魅了されている。

"mouse on the keys"というと、私には思い出深い出来事がある。
元々私は"mouse on the keys"を大学時代のバンドサークルの友人経由で知った。「東京事変が好き、特にジャズっぽい曲やジャズじゃなくてもピアノとドラムだけで構成されているような曲が好き」と言ったら"mouse on the keys"の「最後の晩餐」を教えてくれた。はじめて聴いたときあまりにドンピシャすぎて、彼女のレコメンド能力の高さと"mouse on the keys"のあまりのかっこよさに驚いた。かっこいいとだけ言うとなんだか陳腐だけれど、そうとしか言いようがない。そこではじめて「ポストロック」というジャンルを知って、"toe"や"fox capture plan"を聴いた時期もあった。どの曲も本当に素晴らしかった。あの友人のおかげで私の聴く音楽の幅は広がり、豊かになったと思う。感謝してもしきれない。

さて、そんな"mouse on the keys"、当のご本人たちとの忘れもしない出会いが2015年の北米ツアーである。私は当時カナダの某所に交換留学をして、語学や文学の勉強をしていた。少ないなりに現地の友達ができたり、大学主催のイベントに参加したりして留学生活を謳歌していたと思う。ときには自分が外国人であるがゆえの洗礼を受けたり、言語の壁にぶちあたったりもしたけれど、基本的には穏やかな日々だった。

そんなとき、突然大学の構内に"mouse on the keys"のチラシが現われた。当時"mouse on the keys"は北米ツアーをやっていたのだが、奇しくもそのツアーライブの会場に私の留学先の大学のホールが選ばれていたらしい。まさか、その名前とビジュアルをカナダで見る日が来ようとは。もちろんチケットを購入し、興味があるという友人ふたりを連れて当日に臨んだ。決して大きいとは言えない観客と演奏者の距離が近い会場で、両者はひとつになるようにして幾何学的な音楽空間を創りあげていた。確か最初の曲が「spectres de mouse」で、最後の曲は「toccatina」だったと思う。「ダンスナンバーだから、よかったら踊ってください」とラストにアナウンスがかかったことをぼんやりと覚えている。そんなライブは全ての時間を通しとても素晴らしいもので、友人のうちのひとりはあっという間に彼らのファンになり、なんと彼女がその後曲を布教したことで彼女の父親も彼らのファンとなった。

そして、なにより私は学校の構内――確か階段だったと思う――で彼らとすれ違い、ひとことだけ言葉を交わした。「ファンです」「日本の方ですか?」「そうです、留学してるんです」みたいな短い会話だったが、憧れのアーティストを会話するというなんとも心弾む時間だった。あんな偶然は、後にも先にもない。

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