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【音楽聞いて散歩しながら考えたことシリーズ】労働者の反骨精神とCreepy Nuts(11月6日)

今日はなんだか微妙な天気だった。晴れているんだか晴れていないんだがよくわからない、まあこの季節っぽいといえばこの季節っぽい天気。空は青くなったり灰色になったり、雨が降り出しそうに見えたりそうかと思えば太陽が出てきたり。カラッともジメッともしていない、なんとも微妙な一日だった。そのせいか、ものすごく仕事のやる気が出なかった。出勤ボタンを押してすぐに今日やるべきタスクを整理し、優先順位をつけて取り組んでみるも全くはかどらない。なぜかダラダラしてしまう。そんなこんなで、なんとか今日終わらせるべきタスクは終わらせたものの、それ以外のタスクは明日の自分に投げることになってしまった。明日が怖い。

そんな状態だったからか、退勤してからすぐに散歩に行く気にもならず、家事も先延ばしにして一時間ほどたってからようやく夕食を作り始めた。長谷川あかりさんの肉じゃがと豆腐と塩昆布の春巻き。長谷川さんのレシピは工数がかからないことで有名なので、やる気のない人間もパパッと作れて助かる。その二品とご飯とお味噌汁を食卓に並べて、さっそく一口食べるとシンプルな食材と調味料からは想像できない味が口に広がった。おいしい。けど、おいしさを感じる器官さえもなんだかぼんやりしている気がする。疲れているのかな、と一瞬考えるも月曜日まで三連休で、しかも連休はほぼ家にこもって過ごしていた(美容室に行く以外)のだから、ある程度はチャージできているはず。

ということは、あれだ。今はきっと「疲れているからご自愛しましょう」の時期ではなく、「面倒くさがらないでタスクを細分化してできるところから実行しましょう」とか「『怖い』と思う前にまず実行してしまいましょう」の時期なのではないか。休めば休むほどそれが逆に癖になって、現状から抜け出しにくくなってしまう時期なのではないか。そういうとき、私は"Creepy Nuts"を聴くことにしている。"Creepy Nuts"を聴くことで、自分に発破をかけているのである。

"Creepy Nuts"との出会いは、社会人三年目頃だった。某声優ラッププロジェクトがきっかけである。女尊男卑という世界で繰り広げられる男性同士のラップバトルを描いたその作品に触れ、私ははじめて"Creepy Nuts"を知った。彼らがこのラッププロジェクトに楽曲提供をしていたからだ。また、時を同じくして友人からフリースタイルダンジョンを勧められ、MCバトルというものを知り、そしてR指定が三代目のラスボスを担当しているということを知った。私はそのときラップのことを何も知らなかったが、MCバトルが言葉の限りを尽くして行われる総合格闘技のようなものすごいバトルで、R指定はその道の天才みたいな人だと思った。フリースタイルダンジョンの他にもYoutubeにある色んなベストパンチライン集を見て思ったけれど、なぜあのスピードで意味を持った返しができて、しかも韻を踏めるのかよくわからない。頭の構造が一般人とは全く違う気がする。とにかくすごいと思った。

そんなこんなで某ラッププロジェクトとフリースタイルダンジョンに最初にハマってしまったせいか、"Creepy Nuts"の楽曲に触れるタイミングは少し遅かった気がする。R指定を知ってから半年くらい経ってからだろうか、それからようやくSpotifyで「クリープショー」というアルバムと「よふかしのうた」というシングルを聴いた。その中でも「スポットライト」と「板の上の魔物」という曲が刺さって、ずっと聴いていたような記憶がある。どちらもMCバトル直前もしくはライブ直前といったスポットライトを浴びる瞬間に向かう緊張や恐怖、そして反骨精神を描いた曲だ。これがまた、当時いち労働者である自分にクリティカルヒットしていた。なぜって、私は決してバトルMCでもラッパーでもないけれど、その歌詞には自分にも確実に通ずるものがあり、ひどく共感してしまったからだ。

例えば、

「check…
まずは今日の空気
まずは今日の客
まずは今日の現場
ここの温度感
ノリは良いのか?いや、ノリ悪りぃのか?
ダレて来ちゃいねぇよな?
…って誰と話してんのかw」

という歌詞に、私は顧客のオフィスに向かってこれから対面で重要な打ち合わせをしようとしている自分や社内の重役を前にプレゼンする自分を重ねてしまう。あの緊張、渇いた空気、飲み込まれてしまいそうな感覚、震えそうな手足……。あの"Creepy Nuts"に自分を重ねるだなんておかしいかもしれないが、その圧倒的な描写力に、つい自分の似たような場面を想起させられてしまう。だけどそういった場面を思い出したりそういった場面に出くわすたびに、私は

「陰に隠れりゃ 怖くないが
誰かを盾にすりゃ ケガしないが
俺は俺のまま尽くす最善
たとえ底辺だとしても最前線
それぞれの立場、それぞれの持ち場
修羅場土壇場ど真ん中
当てろ照明
見てくれ聞いてくれ
逃げも隠れもせずに立ってるぜ」

という歌詞を思い出して自分を奮い立たせたりもする。怖くて、緊張して、自分に負けてしまいそうなとき、"Creepy Nuts"を聴くと私は自分の中にある反骨精神を思い出すことができる。今まで失敗を笑われたこと、バカにされたこと、いじられたこと、それがみじめだったこと。そんな人たちを見返したいという気持ちが自分にもあるということを思い出すことが出来る。そうして私は「今に見てろよ」と思って前に進めたりする。もちろん人を見返すこと自体が人生の目的になってはいけないが、そうやって何かに反抗する精神を持ってはじめて、一歩踏み出せたりもする。"Creepy Nuts"には良い意味での反骨精神があり、ほどよく人に発破をかけてくれる。だからつい、やる気が出ないときや一歩踏み出すのに勇気がいるとき、私は"Creepy Nuts"を聴いてしまう。

追記:余談だが私は創作をしていて、web上に投稿もしている。そんなときも、"Creepy Nuts"の言葉に助けられている。「助演男優賞」の「誰も待ってないかもしれないけどおまたせ」。この心意気でいつも投稿ボタンを押している。

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