【音楽聞いて散歩しながら考えたことシリーズ】追体験の安全装置とshowmore(11月4日)
今日も昨日に引き続き晴れだった。雲ひとつないくらいの快晴。外に出て歩くとちょっと汗ばむし、近所の公園にはレジャーシートを引いたりテントを立てたりしている人がぽつぽつと見られる。十一月といえど晴れると結構温かいし、ちょっとしたピクニック日和になってしまう。ピクニックができるほどの絶好の天気、それすなわち散歩にも向いている天気。というわけで、今日も散歩をしてきた。公園をぐるぐると歩いて、ベビーカーを押す人や犬の散歩をする人を何人も見かけて、そうして家に帰ってくる。お決まりのルーティーンだ。
そんな今日の散歩のお供は"showmore"。都会的でジャズっぽくて垢抜けていて、でもどこか切なくて淋しい印象の、私の大好きなアーティストである。都会的でジャズっぽくて垢ぬけていると書いた通り、"showmore"はどちらかというと昼より夜のイメージがあって、普段は夕方や夜に散歩するときに聴くことが多い。だけど今日はあえて昼間に聴いた。いくら晴れているとはいえ、今の季節は冬がかなり近い秋。夏の晴れた昼間のようなからっとした爽やかさはない。同じ晴れでも、よりセンチメンタルというか、哀愁のようなものを感じる。だからこそ、"showmore"を聴いた。
恐らく、"showmore"というと「circus」を思い浮かべる人が多いのではないかと思う。印象的なキーボードとガヤガヤとした喧騒が混じった入りはとてもおしゃれで特徴的で、一度聞いたら忘れられないフレーズだ。そこからはじまる「不器用な僕らは不確かさを持ち合わせながら」という歌唱も素晴らしく、どこまでも切なくて張り裂けそうで危い声にどんどん引き込まれてしまう。ボーカルの声も演奏も歌詞も、危うさやもどかしさのある恋愛模様を完璧に描き出していて、喧騒にあふれている都会にいるがゆえの淋しさ、悲しさみたいなものを強く感じる。そうしてなんだか聴いている自分まで、まるで都会的な暮らしをしながら淋しさも併せ持つ、酸いも甘いも嚙み分けた大人であるかのような錯覚をしてしまう。(実際は田舎出身のごくふつうの30代女性でしかないのだけれど。)そんなわけで私も「circus」の大ファンであり、"showmore"で一番好きな曲というとやはり「circus」だなあと思う。
あまりに好きなので、「circus」をテーマに一本小説を書きたいと何度か思ったことがある。これは私の勝手な解釈であり、恐らく曲を作った井上さん・根津さんの意図するところとは全く違うものになってしまうのだけれど(ごめんなさい)、はじめて「circus」を聴いたときから私はずっとこの曲のことを、「何か一個でも選択肢を誤ってしまったらバウムクーヘンエンドになってしまう物語」みたいだと思っていた。バウムクーヘンエンドとは、「ずっと仲良しでいかにも結ばれそうな二人のうちの片方が、全く違う相手と結ばれる」エンドのことなのだけれど、「circus」にはそういった「親密な関係に含まれる危なっかしさ」「お互いを想っているけどあえて明言していない関係のもどかしさ」みたいなものがある気がする。
「不器用な僕らは不確かさを持ち合わせながらどこまで続くか分からない綱渡りをしてる
戯けたピエロみたいに軽々進めたらいいけどどこまで落ちてしまうか怖くて仕方ないのさ」
個人の意見と印象の話になってしまい本当に申し訳ないが、この歌詞がもう「両片思いだけどあえて明言していない二人」っぽい。なんとなくお互いがお互いに好意的なことをわかっているのに、臆病で不器用だからお互いの気持ちを伝えられなくて、軽々と進んでいけなくて綱渡りのような関係を続けている、みたいな。
続くサビの、
「一晩中音を止めないで
一晩中僕と手を繋いで
一晩中音を止めないで
一晩中君を信じさせて」
というフレーズも、ずっとこの曖昧で心地良いままのこの関係でいたがっているように聞こえたり、
「SOSに気付いて
YESと言えずに繰り返して
SOSに気付いて
YESと言えずに繰り返して...
SOSに気付いて
YESと言えずに繰り返して
SOSに気付いて
YESと言えずに」
というフレーズも、自分の気持ちを伝えたいけど伝えられない矛盾や苦しさみたいに聞こえたり、
あ、でも「YESと言えずに」ってことは、相手から気持ちを伝えられたけど断ってしまったのかな、とか、
それで最終的に相手は違う人を愛するルートに行くのかな、とか。
なんとなくヘテロの恋愛じゃなくて、男性同士もしくは女性同士の恋愛の話だったりするのかな、とか。色々と想像を掻き立てられる不思議な曲だなあと思う。なんなら、この曲を聴いて勝手に想像しているときだけは、お互いお互いを憎からず思っているのに関係が壊れるのが怖くて伝えられない、同性の想い人を持つ男性、もしくは女性になったかのような気持ちになってしまう。そうして、フラれてしばらくして、親友代表として相手(最終的に異性と結婚した)の結婚式のスピーチをする妄想までしている。悲しい。
ひたすら悲しいが、私は音楽や映画や小説などの物語を通して悲しい気持ちになるのが結構好きだったりもする。こう書くとまるでドMみたいが、あえてホラー映画を見たり鬱映画を見たりする人も世の中にはいるのだから、きっと少数派じゃないのだろうなと思っている。昔知人が「映画や小説はいろんな感情を間接的に体験したいときに体験できる安全装置みたいなもの」だと言っていた。その通りだと思う。例えば私は失恋ソングが大好きで、たまに失恋の追体験をしたくなるのだが、そういうときは大体"showmore"の「in the mirror」を聴くようにしている。(ちなみに本当に失恋をしたいわけではなく、映画や小説や音楽を通して失恋体験をしたいだけ。本当の失恋は何度か経験したけれど、数日ご飯が食べられなくなるくらい辛かった。)
自分に何か体験したい思いや感情があるときに、それを代弁してくれたり、安全に体験させたりしてくれる創作物がこの世にはある。そんなにすごいことってなかなかないんじゃないだろうか。
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