見出し画像

頭がはたらかないとかくるしいとか眠れないとか寂しいとかの原因


精神的なくるしさというのは「うつ病」「適応障害」「パニック障害」「統合失調症」「双極性障害」「不安障害」「不眠症」「神経症」「摂食障害」「依存症」「PTSD」とかいろいろあります。

これらの名前って「症状」の名前であって「原因」の名前ではないんですよね。

何が原因でも、眠れなくなったら「不眠症」
何が原因でも、パニックに常に悩むようになったら「パニック障害」

医者に「うつ病ですね」って言われたら「ああそうか、うつ病なんだ」と思ってうつ病の薬を飲むようになります。
もちろんお薬の効果はすごいので結構楽にはなるんですけど、根本的な原因がはっきりしていないと、またその原因となるものが目の前に立ちはだかったときに同じことが起こってしまうんですよね。


では原因はなんなのか。

現代社会に生きている人で、精神的につらい気持ちを抱えている人は、大体が「愛着障害」だと思います。
今まで7年ほど精神科の仕事を通して出会ってきた人たち、仕事以外で出会ってきた人たち、つらい気持ちがある人は根底に愛着障害を抱えている人が多くいました。

※もちろん例外もあります。愛着障害ではなくて、遺伝的要素や生まれつき、愛着とは関係ない要素から発生するものも多いです。
この記事では、「なんで自分はこんなふうになってしまったのか解明したい」という方にむけて「もしかしたらそうかもしれない」という可能性を知る機会になればと思い、書いています。※
※私は医療職ですが医者ではありません※


愛着障害とは「絆の病」


愛着障害とは「親から無条件に愛され、受け入れられたという深い安心を感じられていないことが原因で起こる症状」のことです。

たとえば、うつ病発症のきっかけがパワハラ、過重労働、DV、など親とは関係のなさそうなところにあるとしますよね。


でも、親からしっかりと無条件の愛情を受けて育った人は、そういった環境で少しでも違和感を覚えるとすぐに逃げられます。
無理に頑張ろうとしない。
自分より大切な存在はいないと分かっているからです。



一方で愛着障害のある人は、そういう環境で「洗脳」を受けやすかったり、過剰に周りのことを思いやり考えてしまって無理に頑張ってしまいます。
そして、眠れなくなり、抑うつとなり、気分が上がり下がりしたり、パニックになったりという「症状」が現れるんですね。

愛着障害だということは、言い換えれば「絆の病」だということです。それは、本人だけの「病気」というよりも、多くの場合は、本人と親との関係に遡る問題だということです。親との関係で乗り越えられなかった課題が、他の人との関係で繰り広げられているのです。

「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」P90


こちらの本を参考にしながら、本記事を書いています。

※もちろん、親や家庭環境は関係なく、発症のきっかけがそのまま原因の場合もあります。


愛着障害と境界性パーソナリティ障害


愛着障害の話をしてたのに、いろんな精神のくるしさの話をしていたのに、紹介した本には「境界性パーソナリティ障害」って書いていますね。

境界性パーソナリティ障害って知っていますか?

私は「境界性パーソナリティ障害」を知ったのは大体2010年なんですが、そのころは偏見の声も多くありました。

なぜなら、治るのに時間がかかって大変だからです。
うつ病だったら「気分をあげる薬」、不眠症だったら「よく眠れるようになる薬」と、その症状にしっかり合致する薬があります。飲んで症状が落ち着けば、医者も周りも「よかったね、よくなったね」と安心します。


でも、境界性パーソナリティ障害を根本的に解決する薬はありません。


なぜなら、境界性パーソナリティ障害は、ほぼほぼ愛着障害だからです。

愛着障害の原因である「親から無条件に愛され、受け入れられたという深い安心を感じられていないこと」は、薬を飲んでもなくならないし、薬を飲んでもこの安心感は得られません。

境界性パーソナリティ障害と、愛着障害の違いというのはほとんどなく、時代の流れや理解が進んだことによって呼び名が変わってきたのだろうと思います。

愛着が不安定な場合には、ストレスに敏感で、不安を感じやすく、人に信頼をもちにくく、気分も不安定になりやすいことがわかってきたのです。それは、境界性パーソナリティ障害の症状とオーバーラップする部分が大きいのです。つまり、親との不安定な関係は、単に境界性パーソナリティ障害を生み出す要因というよりも、むしろ障害そのものではないかと考えられ始めています。

「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」P 55

紹介した本の第一刷発行は2016年。
帯には「治療者すら、さじを投げていた境界性パーソナリティ障害 今、回復への道筋が見えてきた。」と書いてあります。
やっと、そのあたりで、治療者の理解とか治療法の確立がすすんできたのだと思います。

境界性パーソナリティ障害や愛着障害をもつ方は、時代の変化にともなって、どんどんどんどん増加していっています。


実は愛着障害のひとたち


境界性パーソナリティ障害や愛着障害(以下、愛着障害で統一します)というのは、メンタルクリニックに一度受診したからといって判断できるものではありません。
幼少期や今までの人間関係まで深掘りしないと分からないものだからです。
そして、それらの治療を苦手としている医者も多くいるので、診断できない(診断を避ける)こともあります。

これは何においてもそうですね。医者にも得意不得意があります。体の病気でも内科・耳鼻科・呼吸器科と色々あるように、精神的なものにも色々あって、この医者はこれに詳しい、とかあります。



だから、どのような症状が出ているかによって「ひとまず診断」されることが多いです。

・不安定で激しい対人関係にともなう気分の上がり下がり→双極性障害、パニック障害
・自傷、自分を愛せない、慢性的な空虚感→うつ
・自分を傷つけるものに依存する→アルコール依存症、性依存症、摂食障害など
・妄想様観念(激しい思い込み)→統合失調症
・自分が自分と思えない、現実感がない→解離性障害
・対人関係でひどく緊張する、うまくいかない→不安障害、社交不安障害
・人の多い場所で落ち着いていられない→不安障害、社交不安障害、強迫性障害
・少しでも汚いと落ち着かない、鍵を閉めたか何度も確認する→強迫性障害、不安障害
・急な環境の変化で精神的に落ち着かない→適応障害

など。


これらは、愛着障害から起因するものがとても多いです。
もちろん、違う場合もありますが。

苦しくて仕方がないときは、原因が何かなんて考えられないけど、お薬を飲んで結構楽になってからだと、少しずつ原因が考えられるかもしれません。


発達障害と愛着障害の関係性


「発達障害」は生まれつきであるADHDやASDなどの総称です。
発達障害は、愛着障害よりもはるかに世間に浸透しているように思います。

実は、発達障害と愛着障害にも関係性がみられています。
症状がよく似ているのです。

例えば、衝動買い。
例えば、人間関係の困難さ。相手に対してどう返事をしたらいいのか?相手の気持ちを察せない。相手の気持ちを考えすぎてしまう。
例えば、物忘れのしやすさ。
例えば、頭が働かない。
例えば、自分の感覚に鈍感。または、敏感。

これらは、発達障害にも愛着障害にもみられる特性です。

なぜこうなるのかというと、愛着の形成、つまり親子関係においていろんな傷つく出来事が起こったときに脳はダメージを受けるんですが、そのダメージを受ける脳の部位は、発達障害において能力が弱いとされている部位と大体同じなのです。

これは、他のケガや病気に置き換えるとわかりやすいかもしれません。

例えば、脳というのは前・横・頭頂・後ろといろんな部位があり、それぞれでつかさどる機能が違います。
脳が後天的に障害される原因として、脳梗塞と脳出血が有名ですが、この二つは全く別のものです。
脳梗塞は脳の中の血管が詰まるもの。
脳出血は脳の血管が破れるもの。

でも、脳梗塞でも脳出血でも、脳の前部分に発生すると「脳の前部分が障害された症状」が出ます。つまり、だいたい同じような症状が現れるのです。もちろん原因も治療方法も違います。でも、症状は似ています。


発達障害と愛着障害も、原因や治療方法が違うので全く別のものではあるんですが、同じような症状が出るため誤診されやすいです。

脳梗塞と脳出血だったら、MRIを撮ればすぐにわかるんですが、発達障害と愛着障害はなかなか区別がつきません。
発達障害の人が愛着障害を併発していることもあります。

つまり「発達障害」と診断されたからといって、愛着障害からくる症状ではない、とは言い切れないのです。

とは言っても、発達障害だろうと思っていたり、診断されて、納得がいっているし、そんなに人生がつらくもない、という方はわざわざ心当たりがあったとしても「愛着障害かも……」と掘り下げる必要はないのかな、と思います。

愛着障害を掘り下げることは、楽ではないからです。
自分が必要を感じないのであれば、きっと必要ありません。

そしてもちろん、発達障害だけの場合もあります。


HSPと愛着障害の関係性


HSPも、愛着障害よりはるかに浸透している言葉ですね。

HSPは病気ではなく、生まれつきの特性です。

よく言われているのは
・周囲の些細な変化に気づきやすい
・小さな刺激に敏感に反応する
・感情の反応が強く、共感力が強い
あたりでしょうか。

これらももちろん、HSPなのかもしれないですが、そうではなくて実は根底に愛着障害があることが多いです。

愛着障害の場合は、
・周囲の些細な変化に気づかなければいけない環境に長くいた
・小さな刺激に敏感に反応せざるを得ない環境に長くいた
・感情の反応が強く、共感力が強くなるしかない環境に長くいた

ということです。

「自分はHSPだから、生まれつきだ」と思うと、それを受け入れるしかなく、治療や見つめ直す機会を逃してしまうので、すこしもったいないような気がします。

ただ、これも発達障害と同じで、納得がいっているし、そんなに人生がつらくもない、という方はわざわざ「愛着障害かも……」と掘り下げる必要はないのかな、と思います。

「わたしは、愛されていたけどな。」


愛着障害のある方は、愛着障害だとは信じきれないことが多いです。

なぜなら「親から愛されていたような気もするし、愛されていなかった気もする」からです。

まったく愛されなかったわけではないけれども、愛されたり、愛されなかったりに、けっこう差があったりして、ある時期までは愛されたんだけど、ある時期からすごく愛情不足を味わっているとか、そういうギャップを味わったかたなんじゃないかと思うんですね。もともと愛されていない場合には、逆に愛されないことに慣れてしまっていて、求めようともしない。

「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」P154

だいたいの人が、こうなのではないでしょうか。

親も完璧な人間ではないので、無条件に子を愛せるときもあれば、愛せないときもあります。
こういった親たちのほとんどは知識不足で、自分のしていることが子にどんな影響を与えるか、よく分かっていません。

親が「愛」のつもりでやっていたし、子も「愛」だと感じていることでも、子は傷つく場合もあります。
「愛」と「傷」は両立するのです。

愛は過剰でも過不足でも、受け手にはかなりの影響を与えます。

だから、愛されていたから愛着障害ではない、とも言い切れないのです。

私は、自分の傷やくるしみは自分にしかわからないと思っています。
周りがどう言おうと、常識的にみてどうであろうと、愛されていようと、感謝していようと、自分が傷つけば「傷」だし、自分が平気であれば「平気」なのです。

親から受ける傷というのは、わかりやすいものばかりではありません。

例えば、きょうだいとよく比較される。
例えば、小さいころから家族の面倒をみさせられる。
例えば、子供からよく見える場所に刃物、ライター、性的なものなど精神的にも身体的にも危険なものがおかれている。
例えば、あなたは青が好きだよね、あなたはお肉が好きだよね、あなたは勉強が好きだよね、と決めつけられる。


これらのようなものでも、傷ついていいし、「そんなことで」という権利は誰にもありません。


治してもいいし、治さなくてもいい


精神的なくるしさは、本当に心から「治したい」「向き合いたい」という気持ちがないと、あまり変化がみられません。

「治したい」という気持ちになるのは、かなり楽な状態にならないと難しいと思います。治す気力が湧かないからです。

治すとか治さないとかは、自分が決めることです。
だから、そのまま共に生きてもいいし、向き合ってもいいのです。向き合うにしてもその人その人のタイミングがあります。いつだっていいのです。
これもまた、他人が何かいう権利はありません。
※犯罪をおかしてしまいそうになったら、向き合った方がいいかもしれません。

そもそも自分がくるしいかどうか、気付かないことだってあります。

精神的なくるしさは、一種のアイデンティティでもあります。
これがあるからこそ生み出せるものがある、という方も多いと思います。

自分の存在を賭けて、自分が生きていいのか悪いのか、そういうレベルで何かを表現することは、もともと幸福で満たされた人なら、する必要がないですものね。切実な欲求に突き動かされてそうせざるをえない人たちは、やっぱりそういう力を持っているんだと思いますね。

「絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服」P146

私もそうです。
今現在くるしいというよりかは、過去に結構くるしかったのですが、そういう経験がないと、noteは書かないし、Xにもいないと思います。

知識をつけること ≠ 決めつけること


精神科で働いていると、うつ病でも千差万別、発達障害でも千差万別です。

うつ病の人にはこうやって関われば絶対うまくいく、というマニュアルはありません。

こういった精神的なくるしさについて知識を持つと、安易に決めつけて偏見する方も少なくはありません。
偏見は自分を守るための行為なので、完全に否定はしませんが、偏見しても攻撃はしてほしくないですね。自分の頭の中に留めましょう。
そしてその偏見は、本当に自分の心からくる偏見なのか、それとも世間や周りに惑わされた偏見なのか、ぜひ考えてみてほしいです。


精神的なくるしさの渦中にいる方にも、こういった知識はつけたくない、知りたくない、という方も多いです。
やっぱり、そういうフィルターを通して自分を見たくない、決めつけたくない、ということなのかもしれません。

でも知識をつけることは、決めつけることではありません。
知識をつけることは、いざというときに、自分を助ける選択肢が増えるということです。


じゃあどうすればいいのか。オススメの本


というわけで、これまでに紹介した本はとてもオススメです。
※Amazonアソシエイトなどは利用していません


絆の病 境界性パーソナリティ障害の克服  岡田尊司・咲セリ

岡田尊司さんは精神科医で、数々の名著を出されています。
咲セリさんは境界性パーソナリティ障害(愛着障害)当事者の方です。
この二人の会話形式で、境界性パーソナリティ障害(愛着障害)について話したり、回復過程について、なにをしたら楽になったかが書かれています。

境界性パーソナリティ障害 岡田尊司

こちらもオススメです。とても詳しく、分かりやすく、改善方法まで載っています。

「愛着障害」なのに「発達障害」と診断される人たち 岡田尊司
発達障害グレーゾーン 岡田尊司

など。とにかく岡田尊司さんの本はとっても良いです。


私について


私は、精神科で7年ほど働いています。
あとは自分自身も、親のことで色々と悩んだりした過去があります。

今後、私なりのメンタルコントロール方法も文章にしようかと考えています。
文学フリマで出店する本として書くかもしれないし、noteで書くかもしれません。まだ未定です。
ぜひまた、読んでくれると嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!